3月に受けたけいこヴァールハイトさんと4月のコピアベートさんのセッション後の変化を改めて書いていこうと思います。
この2つのセッションはリンクしているところが多いので、この変化はこのセッション、と言い切れません。
それに私は徳川呪術解除セッションには申し込んでもいないのに、セッションで自己愛と自己肯定感を高めてもらったら、ふんわり徳川呪術も解除されたというお話です。
最近、少しだけ模様替えをしたのですが、そのついでに自分の写真を飾りなおすことにしました。
その写真は20歳ぐらいの頃、一眼レフにドハマりした高校時代の友人に撮ってもらったものです。
友人宅の近所をおしゃべりしながら散歩していたとき、私を被写体にして撮ってもらった大切な思い出の一枚。
ものすごく気に入った私は、友人にネガをもらいパネルにしました。
それからというもの、私は自分の写真を部屋中に飾っていたのです。
時は過ぎ、今から16、7年ほど前のこと。
当時、一人暮らしをしていた私の家に遊びに来た複数の友人に「自分の写真を飾るのはおかしい」と指摘されました。
もうすでにその友人たちとは疎遠になっているのですが、当時の私は自己愛もなければ自己肯定感もなく、藁にも縋る思いでたどり着いた、とあるスピリチュアルのコミュニティで知り合い仲良くしていた人たちです。
自分が天然サイキックの持ち主であることの自覚もほぼなく、むしろこの人たちがそう言うのなら私がおかしいのかもしれないと思うようになってしまいました。
それからは自分の写真を飾ることもなくなり、いつしか部屋にある写真は飼い犬の写真ばかり。
ここへ引っ越してくるときにも、なんの躊躇いもなく、ほとんどの写真を処分しました。
でもこのパネルだけは処分できず、かと言って飾ることもせず、部屋の奥深くにしまい込んでいました。
でもセッション後の壮絶な膿みだしがなんとなく落ち着いてきたとき、全身鏡をもっとちゃんとした場所(?)へ置きなおそうと思い直しました。
この鏡、どのくらいの大きさなのかと言うと、縦180cm×横90cmとかなり大きく、一人暮らしの部屋に置くには正直、置き場所に困るサイズです。
しかもフレームはアンティーク調でゴージャス感が溢れまくっています。
案の定、物が多い私の部屋ではこのサイズの鏡を置く場所がなく、なんとミニキッチンの対面の壁に置くというハメに、、、。
服を着て着用感を確かめるにも、距離を置いて客観的に見ることもできない有様です。
なのでちょっとした模様替えをし、そのついでにこのパネルを飾ることにしました。
で、ここで疑問に思いました。
なぜ自分の写真を飾ることはおかしいことなのか、と。
何となく友人たちが言わんとすることはわかるようで、でもわかりません。
と言うより、うまく言語化できません。
なので今、話題のChatGPTに聞くことにしました。
まず最初に「一般的に自分の写真を飾ることはおかしい?」と質問しました。
自分自身の写真を飾るかどうかは、個人的な好みや文化によって異なります。一般的には、自分の写真を飾ることに対して特別な社会的規範はありません。
ただし、自分の写真を飾ることが「おかしい」と感じる人もいるかもしれません。それは、彼らが自己顕示欲やナルシシズムを示す行為と見なすことがあるからです。しかし、これはすべての人に当てはまるわけではありません。
自分の写真を飾るかどうかは、その人の自己表現の方法の1つであり、個人的な意見や価値観によって異なります。
なるほど、、、。
私がしていた「写真を飾る」行為は、ナルシシズムや自己顕示欲と捉えられたということなのか、、、。
なので次に「自分の写真を飾ることが多い国、または文化はどこ?」と質問。
自分自身の写真を飾ることが一般的である国や文化もあります。たとえば、アメリカ合衆国では、個人的な写真を飾ることが一般的で、家族写真や自己表現のための写真を部屋に飾ることがよく見られます。また、ヨーロッパの一部の国では、自分自身の写真を展示することが一般的で、写真が家庭の内装に取り入れられることもあります。
一方、アジアの一部の国では、自己表現を抑える文化的な傾向があるため、自分自身の写真を飾ることがあまり一般的ではないかもしれません。ただし、これは一般的な傾向であり、個々の人々の文化的背景や個人的な好みによって異なる可能性があります。
お! ここでアジアの一部の国、と出てきました。
なのでさらに「なぜアジアの一部の国は、自己表現を抑える文化なのか?」と質問。
アジアの一部の国々においては、自己表現を抑える文化的な傾向が見られる理由は複数あります。たとえば、一つの要因は、個人よりも集団や社会全体の利益を優先することを重んじる価値観があるためです。また、家族や地域社会といった集団の中で、個人が強調されるよりも、集団の繁栄や和を大切にする文化があるため、自己表現を控えることが求められることがあります。
また、歴史的にも、多くのアジアの国々が王朝や帝国主義の支配下にあった期間が長く、支配者に対する服従や控えめな態度が求められたため、自己表現を抑制する文化が育まれたとも言われています。
なお、日本においても、自己表現を抑える文化的な傾向があるとされています。ただし、近年は個人的な表現や自己主張が重視される傾向も見られるため、文化的な変化が進んでいるとも言えます。
!!!
「歴史的にも(中略)支配者に対する服従や控えめな態度が求められた…」!!!
なんと!!!
まさかの自分の写真を飾るか飾らないかだけのことが、徳川呪術につながるとは!!!
え、、、??
と言うことは、自分の写真を飾りまくっていた20代の頃の私は(写真を飾る=自己表現をすることに関しては)この徳川呪術から逃れていたのに、30代の半ばでかけられたってこと???
しかも友人と思っていた人たちに???
恐ろしい、、、。
恐ろしすぎる、、、。
でもこれが徳川呪術なのだと思います。
言わば「出る杭は打たれる」呪術。
「右にならえ」の呪術。
「皆は皆と同じでなければならない」呪術。
しかもこの呪術の恐ろしさを際立てているのが、術師でもなんでもない人でも簡単にお互いにかけ続けられること。
侮れません。
今は、術にかけられた当時(16、7年前)に比べて、うんと自己表現がしやすくなっていると思います。
もっと自由に自分を表現できるし、発信できるツールもある。
だから以前に比べると、うんと生きやすい時代になったと思います。
これは補足ですが、ChatGPTには、もしまた同じように指摘されたらどう言えば良いのかを聞いたのですが、なぜか私が謝る回答をもらったので、これはこれで納得できない!
なので無視することにしました。
(他人が自分の写真を飾ろうかどうしようか、どうでもよくない??? あーこの人は自分が大好きなんだなぁ、だけだよねぇ、ぶっちゃけ。むしろ全力で自分大好きを打ち出せるところが羨ましいし、見習いたいっ!)
かつての私は自分に自信がなく、自己肯定感もなかったので、こうやっていとも簡単に徳川呪術にかけられてしまったけど、けいこさんとコピアベートさんのセッションでかつての自分を取り戻せるくらいには自己表現することに躊躇いがなくなりました。
まぁそうは言うものの、友人と呼べる人はいないと言っても過言ではない私なので、この部屋に誰かを招く、なんてことはこれからもないだろうなぁと思うので、誰も知らない、誰も見ないであろうことが大前提なんで心おきなく飾れているのですが。
と言うことで、今回も非常に長くなってしまいましたが、たかだか自分の写真を飾るか飾らないかが、まさかの徳川呪術だったというお話でした。
セッション後の変化はまだまだあるので、また書こうと思います。
いつもサポートしてくださるガイドさんと高次元の存在に感謝します♡