正直に言うと、24日のショートは応援モードではなく、鑑賞モードで演技を観てしまいました。羽生さんのショートに対して不安はなく、それよりもどんな『序奏とロンド・カプリチオーソ』を演じてくれるのだろうというワクワクする思いの方が強かったことと、夫が隣で一緒に観ていたので応援モード全開がはばかられたためです。

 

夫は、私が羽生さんに入れ込みすぎていると言って、何かというと小馬鹿にするし、さらには冗談とは言え、羽生さんのことまで小馬鹿にしたことを口にするので、夫が側にいるときは、羽生さんや羽生さんの演技に対してことさら理性的に振る舞おうとする癖がついてしまっているのです。ああ、面倒くさい。

 

なので、最初は辛口の感想しか出て来ませんでした。

アルゲリッチのモーツァルトを聴いてもケチをつけるような上から目線モード。

素晴らしいけど、もしもっと完成度を上げるとしたらこういうとこじゃないかしら、というお節介モード。

 

 

 

え、チョーカー?💦 美しいけど、美しすぎないかしら。フェミニン過ぎないかしら。首の長さが際立ち過ぎないかしら。ちょっとなまめかしい。私はすきだけど。。。夫が変に思うんじゃないかしら。(夫は特に何も言わず。気にしすぎでした)

衣装の色が、デザインが、オトナルやんけ。プラスNotte Stellataみ。天と地の衣装の色味と対照的にした方がいいのでは。緋色とか、紺とか、色は濃いめで、もっと全体にふわっとした衣装でもいいんではないかな。

私のイメージしてた『序奏とロンド・カプリチオーソ』とちがうう。←知らんがな。

 

ピアノ。前半は良いけど、どんどん激しくなりすぎない? 

4T+3T、着氷が音に合ってないよぉ。着氷後ちょっとオフコントロール💦

羽生さん、顔、厳しすぎる。最後、マスカレードになってる。雄叫び出そう。

怖いよ、怖いロンカプですね。全然想像してたものと違う。

 

私は、『バラード1番』の演技のように『序奏とロンド・カプリチオーソ』という音楽をそのまま表現する演技になるのだろうと勝手に思っていたのです。でも羽生さんの演技はストーリーや感情を前面に押し出していました。そのことに最初違和感がありました。

 

それでも、技術的にはほぼパーフェクトで、110点以上出さなかったら怒るからね、と思ってました。

そうしたら、111.32点。びっくりしました。

え、ジャッジ、どうしちゃったんだろう。

PCSが49.30て、なんなのよ。

もちろんこの演技に対してPCS49.30点が高すぎる点などと全然思わない。だけど、2016-2017シーズン以降羽生さんがどんなに素晴らしい演技をしても、低い点を付け続けて来たジャッジがどうしてそんな点を出すのか、これまでの経緯を考えると不安な気持ちになってしまう。

2020四大陸のバラード第1番は、芸術作品として至高だった。あの時のPCSでさえ48.40。

 

異様に気前がいい。気持ち悪い。どんな落とし穴を用意しているの?

SPで上げて、FSでどんと落とすつもりなの?

フリーで羽生さんの4Aを、回ってても認めないつもりじゃないでしょうね。

 

さんざん、羽生さんの演技に対する不当な採点を見てきたから、採点のたびに「またひどい採点をされても、傷ついたりしない、どうせそういう評価しか出来ない、そういう能力しかないんですものね」という心構えでいたので、羽生さんの得点、首位発進を素直に喜べず、何かを警戒しなくてはならないのではないかと、疑心暗鬼になっていました。

目立たないように、二人でペアを組んでまで羽生さんの点数下げにいそしむジャッジ達もいるのですから。

http://pianetahanyu.altervista.org/sportlandiaより「堀口律子(&フレンド)」/

 

でも、今はジャッジに対する警戒は後回しにして、首位発進を喜ぶことにしました。

 

SP演技後インタビューの中で「プログラムにのせる強い気持ちは。どういう風にプログラムを描いているのか」という質問に対して、

https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2021/12/24/kiji/20211224s00079000574000c.html

 

正直、最初はなかったです。清塚さんにピアノをアレンジしてもらう時に電話で打ち合わせをしたんですけど、そのときは具体的な物語はなくて、すごくパッションにあふれる、だけど、そこに切なさだったり、繊細さだったりというものがあふれるものにしていただきたいですということをお伝えして作っていただきました。

最終的にシェイにも加わっていただいて、その中で思い描けたのが、自分自身アクセルが全然進捗がなくて苦しかった時期でもあったので、暗闇から最初は何か思い出が色々ちらついてきて、みなさんの記憶だったりとか、自分が歩んできた道のりみたいなものが、思い出すんじゃなくて、蛍の光のようにパって広がってきて、最初のスピンが終わった後からは、そういうのを全部エネルギーにして、何かに向かってがむしゃらに突き進んで、最後は、なんか自分でもよく分からない、何か意識が飛んでいるような感覚の中で何かをつかみ取るみたいな物語なんで。

 

ジェフがこのプログラムの基盤を作り、シェイがそこに物語を、すごく情緒あふれる物語を付けてくれた。本当に新しいプログラムとして、自分自身もエキシビのように感情を込めて滑ることができた

 

と語っているのを読んで、納得しました。やっぱ、はんにんはシェイだ(笑)。

 

ジェフが羽生さんに作るショートは、作曲者が込めた思いや旋律が呼び起こす世界を、シンプルに振りに落とし込んでいると私は思います。『パリの散歩道』『バラード第1番』『レッツゴークレイジー』『Otonal』『Let Me Entertain You』。それが私にはとても共感できるものでした。

 

以前、シェイの『奇跡のレッスン』を観た時、子ども達に自分の演技についてストーリーを考えて来るように言っていました。感情を演技に乗せるためだと思います。音楽を解釈しなさいと言っているのではなく、音楽のタイトルと関係無くてもいいから、自分が心を沿わせることのできるストーリーを考えろと。

でも、私は、音楽には音楽そのものの息吹きというかストーリー、エネルギーの流れがあって、それは人間の感情や意志に根ざすストーリーとは別種のものではないかという気がしている。バレエ音楽や、ドラマの劇伴のようにストーリーありきの音楽ももちろんあるが。シェイはそれすらも無視してよいと。それよりは自分の心を感じなさいと。

少し違和感は感じたが、多分これは子ども達がスケートで感情を表せるようにするための教育としてのステップなのだろうと思った。

 

フリーの『オペラ座の怪人』『SEIMEI』はもともとストーリーがある。それのどの場面、どの感情をどの音に乗せるかという解釈はあるとしても。

『Hope & Legacy』『Origin』におけるシェイの振り付け意図、解釈のインタビューを聞いたときは、素晴らしいと思った。やはりフリーの長さの演技になると、ストーリーというのは大事だと思う。

 

ただ、ショートで、しかも『序奏とロンド・カプリチオーソ』という、旋律が走り抜けていくような曲で、ストーリー性を持った演技というのは全く予想していなかったので、面食らったのである。

アナウンサーは「孤独の中で、希望に手を伸ばし掴み取る」イメージと言っているが、もっと激しいですね。

暗闇

思い出や道のりが、蛍の光のようにちらつく

それをエネルギーとして取り込み突き進み、意識が飛ぶ中で何かをつかみ取る

 

 

そういう演技であるのならそういうものとして受け止めたい。せっかくの羽生さんの演技を未消化のまま私の中で終わらせてはもったいなさ過ぎる。と思い、一人になって録画や動画を何度も何度も観る内に、最初に感じていた違和感はだんだん影をひそめ、観る喜びがわき上がってきました。

 

 

出だし。きれいな背中。そこから広がる世界。

余談ですが、羽生さんが背中でも表現する人だというのに気づいたのは、2019スケートカナダのエキシの時でした。『パリの散歩道』の演技始まって10秒後背中を見せて向こうに滑っていく時の表現の雄弁さは、ソチシーズンの演技には感じなかったもの。以後羽生さんの演技は彼がどちらを向いていても、等しく雄弁であると感じるようになりました。

 

そして最初の二小節の最後の、32分音符のごく短い長さの間にパタンと裏返したように正面を向き、静かな気合を一瞬見せた後に、ふっと力を抜き、たおやかな流れに入る。

ロンド・カプリチオーソでは4分音符、2分音符の流れの中に16分音符、32音符が宝石のようにちりばめられている。長さが8倍、16倍違う音が隣り合って存在する。多用されるシンコペーション。そんなことも表現しているんだなーと思いました。

なんで32音符がどうとか自信持って書いているかというと、NHK杯の後羽生さんのSPが『序奏とロンド・カプリチオーソ』のピアノ版だということがわかって、ドビュッシー編曲の楽譜を購入したからです。山野楽器のツイートでそういう楽譜があるんだとわかったのに、山野楽器のオンラインショップが見つけられなくて、ヤマハオンラインで買いました。山野楽器さんごめんなさい。

 

4Sきれい。イーグルから入ってイーグルに抜ける。着氷が4拍目だ。羽生さんは一拍目で降りようと思えば降りられる人なのに、あえて4拍目の弱拍に合わせて降りることでふんわり感を出し、その後の流れにすっと続けているみたい。

出のイーグルの右手が頭の後ろに添えられる。下手すると色っぽくなりすぎるポーズだけれど、何故かとても精神性を感じさせる。

その後のピボットターン。2014-2015シーズンのバラード第1番を思い出した。あの時のピボットは今思えば無邪気な少年だった。今は、艱難辛苦を乗り越えた後の悟りの静けさ。

 

 能登直さん

 

そのまま右手を前に伸ばし後ろに振り払いながら身体の向きを変える。ここがすごくせつない。静かなのに激しい。

 

32分音符が24個連続し上昇するような細かいパッセージ。細かい細かいステップで4T+3Tに入って行く(驚愕)。そして少しだけritがかかって4T+3T。

 

ここは、ピアノはritかけない方がジャンプは合わせやすいのではないかな。

Otonalで4T+3Tを音に合わせて跳びたいのに、タイミングが合わなくて苦労していたことを思い出した。

音源は清塚さんの演奏そのままなのだろうか。それとも矢野さんに調整を頼めたのだろうか。ピアニストとしてはいじられるのは嫌だろうけれど。難しい問題だ。清塚さんが太っ腹であることを願おう。もし調整出来るのなら、4T+3T、上手くいくのではないだろうか。

 

羽生さんのキャメルスピンは本当にきれい。入りがアラビアンからフライング?

玉に瑕を言えば、キャメルでドーナツへの移行の時に膝を下に落とすこと。フィギュアスケートでは全く問題のある形ではないのだろうけれど、クラシックバレエ的には美しい形ではないなと思う。スピンの巧者ローマン・サドフスキーくんはキャメルから形を色々変えるとき膝を落とさない。いつもその瞬間、綺麗ではっとする。 

 

「アウトオブノーウェア」(英ユロスポ風)の3A。ゴージャス。宇野選手曰く「僕より20cm高い」73cm。着氷してツイズル。息つく間もなくシットスピン。

シットスピンの、ポーズの多彩さと音楽との融合はこれぞ羽生結弦。

 

そしてステップシークエンス前の瞬間「行くぞーっ!」という声を(心で)聞いた。

ステップシークエンスのちょうど真ん中あたりで、単純な下降音階のはずのところが、清塚さんの編曲で劇的な下降音階に変化していて、その瞬間ののけぞるようなホップジャンプがものすごく印象的だった。

 

ステップシークエンスはレベル4でGOE満点だった。ステップは技術的に非の打ち所がなかったということだろう。でも、私的には満点とは思われなかった。

ステップシークエンスの+GOE採点ガイドラインは、

1)エッジが深く,明確なステップおよびターン

2)要素が音楽に合っている

3)エネルギー,流れ,出来栄えが十分で,開始から終了まで無駄な力がまったくない

4)創造的および/またはオリジナリティがある

5)全身の優れた関わりとコントロール

6)シークェンス中の加減速が十分

 

1)、2)、4)、5)、6)にはチェックが入ると思うのでGOE満点は当然なのだが、3)について、全体にまだ荒削りだと思った。こなれていないという感じ。

音楽には合っているし一つ一つの音をとても丁寧に拾っていると思う。でも全体的な調和や、エネルギーの流れについては、まだよくなると思った。それまではうっとりと眺めていられたのに、ステップの部分では「すごく上手いな」と思うレベルになった。人間になっていた。

ある意味、音の一つ一つに気を配っている感じ。羽生さんが清塚さんのピアノの「音の粒立ちを大事にしたい」と言っていたことと関係するのか。私としては、もっとエネルギーの流れに身を任せてほしいと思った。

 

これからまだまだ円熟味を増すだろうと思う。それが楽しみ。

文句ばかりの感想になってしまったけれど、実を言うと、あれから20回以上はリピートしていると思う。ものすごく好きなプログラムである。