羽生さんが試合の時メイクをしていないことを、我々は知っている。
あの滝のような汗がキスクラでごしごしとぞんざいに拭かれた後、さらに美しい顔が現れるのを見ているから。
でも、中には彼に好意を持っている人でさえ、メイクをしているのだと勘違いすることがある。
こちらの記事で、中国番組で羽生選手を大絶賛する様子を紹介しているが、その中では皆の認識が「メイクをしている」ことになっている。
http://peeekers.com/informal-talks-hanyu
また、ミヤネさんが2019Worldの時、羽生さんのOriginの演技を見て、「メイクを(ショートと)変えましたね」と、コメントする場面があった。
それについては羽生さん自身が、試合後のインタビューで「メイクしてないんですけどね」と笑いながらコメントしていた。
羽生さんの表情は演技によって、あるいは演技中もめまぐるしく変わる。
柔和な顔、慈愛に満ちた顔、鬼のような顔、決意に溢れた顔、可憐、哀切、歓喜、悲愴、執念、色々な雰囲気をまとう。
そして表情だけが変化するのではない。
目尻がほんのり赤くなる。
頬が、唇がピンク色に染まる。
まぶたの周りに影ができる。
眼光がするどくなると、下まぶたの際にくっきりと黒い線が入る。
羽生さんの顔に、天然のメイクが施される様子を見て、私は初めて化粧の意味がわかったように思った。
歌舞伎や京劇の俳優が目元を赤くしたり、隈取りをしたりするが、一体何であんな不自然な化粧をするのだろうと不思議に思っていた。
でも、そうなのか。
人は本来、強い決意、内から燃えさかる感情などによって、自然と顔に化粧が施されるのだ。
演技中の羽生さんのように。
そして舞台役者、ダンサーたちは、その演技における感情を本物らしくするため、まず外側から化粧をするのだろう。
つまり、羽生さんの感情は演技しているときでさえ、常に本物なのだと、思った。