2019World、グランプリファイナル、全日本の後などに悶々としながら書いていたもの、とその続きです。

 

 

これはあるべき状態ではない。なんとかして、誰かが正さなくては。これでは本来高い評価がふさわしい羽生選手が浮かばれない。ものすごく、いたたまれない気持ちになる。

 

羽生さんだって、こんなプロトコルを見たら、絶望的な気分になって、試合をする意欲を失うのではないか、と何よりそれが心配になる。

 

でも、羽生さんはすごい。

それなら、自分の基礎点をネイサンより高めればいい。そしてノーミスすれば少なくとも同様の(正しく評価されればさらに良いはずの)GOE、PCSが与えられ、ネイサンを上回る点数を獲得することが出来る・・・はず。

 

悔しくても悔しくてもそこで止まらず、勝つための手を考える。そして実行する。

 

メディアは、羽生ファンが騒ぐことにはすぐ飛びついて面白おかしくはやし立てるのに、ファンがジャッジに対して騒ぐことについては取り上げない。取り上げるとまともに検証しなくてはいけなくなり、困ったことになるから、というツイートを読んだ。

 

でも、そもそもメディアは、フィギュアスケートのジャッジに関わるルールを知っているのだろうか。私は、新聞・雑誌記者は言うに及ばずフィギュアスケートライターでも、まじめに毎年毎年あの七面倒くさいISU Communicationを読み込んで、フィギュアのルールを勉強している人はほとんどいないのではないかと思う。

 

解説者も例外では無い。織田さんは違う。彼は勉強しているしルール変更をフォローしていると思う。適切で私には分からないところも分かり易く解説をしてくれる。

 

でも、本田さん、荒川さんは怪しいと思う。

 

本田さんはコーチもしているからルール変更などフォローしているはずと思うけれど、それにしては解説がお粗末で、聞いていて嫌になることがある。

きれいに着氷したジャンプに対して、「高さと幅、流れがありますね」

それしか言わない。

羽生さんの最高のジャンプに対しても、「高さと幅、流れがありますね」と言ったときには、さすがにカチンときた。

 

それしか言うことはないのですか、と思う。

加点要素、あと5つあるんですけど。

●よい踏切と着氷。(→「流れがある」で表現しているのかな)

●エフォートレス。

●ジャンプの前のステップ、思いがけない独創的な入り。

●踏切から着氷までの非常によい姿勢。

●音楽に合っている。

 

一つ目しか、覚えてないみたいに聞こえますよ。

羽生さんのジャンプ前のステップ、見えてないの? 

独創的なツイズルサンド、見えてないの?

美しい姿勢、力の入ってない様子、音楽を生かしたトウの付き方、気がつかないの?

それとも、羽生さんのジャンプがどんなにすごいか、視聴者に伝えたくないの?

 

しかも、

「軸が曲がりましたが加点の取れるジャンプにしましたね」などと言う。

それは解説ではないですね。

軸が羽生さん比でいつもより傾いていることは「poor air position」ではないので減点の対象ではないですし、なぜ加点が取れたのか説明してくれないと、加点が取れたことを武史さんが訝しんでいるように、不当だと言っているように聞こえます。

 

最近の武史さんの羽生さんに対する解説を聴いていると、そんな風に穿った見方すらしたくなってします。

 

そして、ジャッジたちも一つ目と二つ目だけで+5をつけるのだ。そのジャンプが4Lzなら。そしてそれが羽生さんでなければ。

 

荒川さんは、2018-2019シーズンの試合の解説で「手を上げたので加点の対象になります」と言ったのでがっかりした。それはそのシーズンから加点の対象から外されて、ファンの間では話題になったことだったのに。

 

稔さんに至っては・・・。

まあ、私は彼の解説が好きだけれど。

 

脱線した。

つまり、ファンがジャッジ批判、採点批判をしても、それを検証する能力のあるメディア、ライターは多分いないから、記事として取り上げないのだと私は思う。

 

ISU技術審判の岡崎さん、岡部さん、吉岡さんの言葉を載せるコラムはあるけれど、彼らは決してファンの疑問に答えようとしない。

 

荒川さんの「ベテランに対しては、ファンやジャッジの期待が大きくて、厳しい判定になる」という言葉は、本当なのだろうな、と思う。

本来、ジャッジは、誰が演技していようと、同じ判断基準でジャッジすべきなのに(ファンや観客の期待が高まるのは仕方ないが)、その基準が変わってしまうというのは、荒川さん自身が経験したことなのだろうと思う。

 

彼女は、1997年と1998年の全日本で優勝したけれど、その後2006年に引退するまで全日本で優勝したことはない。ISU主催国際大会でも、優勝は2004年の世界選手権と2004年のNHK杯のみである。オリンピック前年の世界選手権は9位である。それで、2006年のトリノオリンピックの優勝につなげたのだ。

そういうものなのだ、ベテランが評価されるには誰がどう見ても最高の演技をするしかないのだ、と受け入れなければ、競技を続けられなかったかもしれない。

 

ジャッジも人の子、実力のある常勝の選手には判定の目が厳しくなり、不振だった選手が復活する、あるいは若手の子が伸びてきたときには、どうしても点が甘くなるのかもしれない。

 

私はそれで良いと言っているのではない。ただ、悪意や意図を持って羽生さんの点を引き下げるジャッジングがなされていると思いたくないのである。

 

色んなジャッジがいるから、中にはとんでもない人もいる。お酒に酔っていたり、人の採点を盗み見するような人までいる。でもそういう人たちは一応ISU内で処罰対象になる。

許せないのは、もっと賢く悪巧みを進める人たちだ。ただそういう人達はごく一部だと思いたい。大概のジャッジはフィギュアスケートが好きでフィギュアスケートに貢献しようとボランティアでジャッジをしている。

 

もちろん、彼らの能力と今のジャッジルールが求める基準がバランスが取れていないという問題はある。今のルールで採点するのは、人間では不可能だと思う。マッシミリアーノさんの言うように。

 

主観に任せるところ大。これ以上無いという演技にだけ+5と思っている人がいる一方、加点要素が1つか2つでも+5をつけてしまう人もいる。

 

GOEの加点がそれぞれの基礎点の0.1倍になるということにまだ慣れていないジャッジもいるのではないか。集計されて初めて、ものすごい高得点になって驚いたり。

 

全日本のフリー、羽生さんの得点が三位になってしまって、ジャッジ自身びっくりしたのではないかという気がする。

 

2006年トリノ、2010年バンクーバーでジャッジを務めたパトリック・イベンスというジャッジが言っていた。

 

「我々はまた、私たちの以前の点数もわからないので、誤って別のスケーターにより高い点を与えてしまうことも、あり得るのだ」

つまり、試合中は、前の選手に何点付けたか覚えていないし確認することも出来ない。前に演技した選手よりよくない内容なのに、高い点を付けてしまうことが(逆も)あると言っているのだ。

https://figureskate.wordpress.com/2010/03/08/patrick-ibens-interview/

 

 

姉とよく話すのだが、GOEとPCSの審査員を分けてほしいと思う。

 

GOEやエレメンツに気をとられていると、演技を全体的にまた詳細に見ることが出来ず、トランジションやスケーティング、音楽解釈の見落としにつながるのではないかと思うのである。

 

特に羽生さんの演技は、プログラム全体を通して足元、顔、手、身体のラインなど全ての身体表現がちりばめられている。

 

またプログラム全体を通して音楽を表現している(ところどころの音はめではなく、音楽への深い理解がある)。羽生さんは、音楽に対して、技術においても解釈においても素晴らしい演奏家だと私は思う。

 

羽生さんの演技を十分に感知してPCSを評価するためには、GOE採点しながらの、ながら審査では無理だと思う。

 

 

GOEとPCSの審査員を分ける、というのは今までも提案があったように聞いている。でも審査員達には不評であったと。

確かに、ISU主催国際大会の最終グループ以外で、PCSだけ採点するのは退屈かなとも思う。

また、技術面、芸術面両方審査して初めて審査員としての矜持が立つ、ということなのかもしれない。

でも、現在の採点システムでは、芸術点という項目はない。PCSもあくまで技術的な観点から採点することが求められている。

 

エレメンツは、それぞれGOE素点がばらけているのに対し、PCSは1人の競技者に対しては、どの項目も一定の点数周辺に固まる傾向がある。これもISUは是正する課題のはずである。

 

今は閉鎖してしまった現役日本人ジャッジの方のブログで読んだのだが、ISUの勉強会で、PCSの項目を1人1つずつ採点させたら(AさんはSS、BさんはTRというように)、見事に点がばらけたと言う。

1人のスケーターの演技に対し、スケーティングスキルが6点台で、音楽の解釈は8点台が付くなどと言うこともあったとのこと(点数はうろおぼえです)。

 

PCSを誠実に採点していたら、本来そういう点の付き方になるのだと思う。でも今は、全体的にプレゼンテーション能力を見極めて、その上で適当に5つの項目に対して点数を散らしているように見える。

そもそもあの短時間で、それ以外のことが出来るだろうか。演技中はエレメンツを追うので必死だろうし。

それこそ、そんなに色々点をつけたら、自分が誰に何点つけたか全く覚えていられなくなるだろう。

 

また「フィギュアスケート採点は『美人投票』的であることが問題」という論をどこかで読んだ気がする。

 

「美人投票」とは金融市場用語。 誰が美人かではなく、多数の人が誰を美人と思うかを当てるのが株式投資の本質だという、ケインズの投資理論だそうだ。

 

ジャッジは、他の人とかけ離れた点をつけると、試合後のミーティングで何故そういう点をつけたかをレフェリーが納得出来るように説明しなくてはならない。それが面倒で、過去にその選手につけられた点と近い無難な点をつけてしまう、という(同現役ジャッジの今は無きブログより)。

そのために、出場選手の過去採点のメモを持って採点しようという人が増え、さらにそれを禁止する規則が提案されたりしたのだろうと思う。

https://ameblo.jp/sienna12/entry-12372800353.html

フィンランドによる提案第233号 2018年

 

もっともこの提案は、特にテクニカルパネルに対してのものである。つまりテクニカルパネルも、誰がどのジャンプでエッジエラーを犯しやすいなどのカンニングをしながら審査しているということを示唆しているのだと思う。

 

とりとめも無くなってしまった。今日はここで終わりにします。