「シオンの娘よ。」これは教会に言っています。
「シオンの娘よ。喜び歌え。
イスラエルよ。喜び叫べ。
エルサレムの娘よ。心の底から、喜び勝ち誇れ。
主はあなたへの宣告を取り除き、あなたの敵を追い払われた。
イスラエルの王、主は、あなたのただ中におられる。
あなたはもう、わざわいを見ない。」
ハレルヤ!なぜ歌うべきなのでしょうか?
なぜなら、あなたはもうわざわいを見ないからです。
今、あなたはわざわいに取り囲まれているかもしれませんが、あなたが歌うことを決心するなら、神様は「わたしが悪魔の仕業を打ち壊すので、あなたは今日からわざわいを見なくなる」と言われます。
「その日、エルサレムはこう言われる。シオンよ。恐れるな。気力を失うな。」
今日、これをあなたに語られているみことばとして受け取ってください。
恐れるのをやめてください!
恐れにとどまることによって、悪魔を喜ばすのをやめてください!
「どうなるのか分からないよ。お医者さんがこう言ったから…」
ちょちょちょちょ、ちょっと!
あなたの口に言わせてはなりません!
確かに恐れの思いがあるかもしれません。
ヨシャパテは3つの軍隊に包囲されました。
モアブ人、アモン人、そしてもう一つの民族。
そして聖書は語っています。
「彼は恐れて、ただひたすら主を求めた」と。
恐れは来ます。
あなたがどれだけ油注がれていようとも、どれだけ力強い神の人であったとしても、恐れを感じない人はいないんです。
悪い知らせを聞くと、恐れを感じるかもしれません。
しかし、信仰の偉大な勇士達と悪魔の餌食となってしまう人達の違いは、信仰の勇士達は自分の思いから恐れの霊を追い出す方法を知っていることです。
彼らは、心に沸き上がる全ての恐れの思いをとりこにする方法を知っているのです。
だからこそ聖書は、「恐れるな。気力を失うな」と言っているのです。
恐れの思いと取り替えるべき思いはこれです!
「あなたの神、主は、あなたのただ中におられる。救いの勇士だ。」
「私は諦めない!私のうちで良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださる!」
「主は喜びをもって私のことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌って私のことを喜ばれる。」
これは神様が言われていることです。
「例祭から離れて悲しむ者たちをわたしは集める。
見よ。その時、わたしはあなたを苦しめたすべての者を罰する。」
神様は、今日、あなたの全ての敵を正しく取り扱われます。
あなたの使命にたいする全ての敵を。
あなたの肉体の全ての敵を。
病という名の全ての敵を。
あなたの経済の全ての敵を。
みことばが何と言っているか知っていますか?
「神は、御民の賛美の中に住まわれる」
そして主は、詩篇68篇で言っています。
主が立ち上がられる時、全ての敵は散らされる、と。
あなたは神の家族とされたので、あなたの敵は神の敵となったのです。
ですから何であれ、あなたに立ち向かおうとしてくるものは全て、神に立ち向かうことを決心しているものなのです。
神様は戦いで負けることは決してありません。
ですから神と戦おうとするものは、敗北を覚悟しているのです。
今日、元気を出してください。
神様は、あなたを苦しめた全てのものを取り扱われる、と言っています!
喜んでください!
だからこそピリピで、パウロはこう言ったのです。
パウロは牢にいた時に、ピリピの人達を励まし続けました。
どんなことがあっても、反対者達におびえるな。
それは彼らにとっては滅びのしるしであり、あなたがたにとっては救いのしるしだ。
だからこそ、いつも主にあって喜びなさい。
もう一度言う。喜べ!
聖書は言っています。
「手を叩き、神に向かって勝利の声を上げよ!」
なぜなら、神様こそ、御民に立ち向かってくるものに復讐される方だからです。
神様はあなたの人生の敵を黙らせます!
神様はあなたの人生の病の扉を閉じられます!
神様はあなたの人生の鬱の扉を閉じられます!
神様はあなたの人生にある不安の扉を閉じられます!
神様はあなたの結婚生活の問題の扉を閉じられます!
神様はあなたの人生にある経済的貧困の扉を閉じられます!
神様は、あなたを破壊するために悪魔が計画した全ての扉を閉じられます!
神様はあなたを苦しめたすべてのものを罰します!
そして主は言われています。
「足のなえた者を救い、散らされた者を集める。わたしは彼らの恥を栄誉に変え、全地でその名をあげさせよう。」
この部分、もう一度読みます。
というのも、今でも覚えているのですが、数年前これが私の霊に入って来た時に、私の心は明るくなったからです。
神様は言っています。
「わたしは彼らの恥を栄誉に変え、全地でその名をあげさせる。」
この良い例がマルコ10章46-52節です。
バルテマイという盲人がいた、と聖書は言っています。
バルテマイではなく、盲人のバルテマイと人々は呼んでいました。
盲目は彼の人生に恥をもたらしていました。
彼は道ばたに座って物乞いをしている人でした。
公認の物乞いである事を示す上着を与えられていた、と聖書は語っています。
彼は恥辱の的だったのです。
家系の恥だった。
呪いと見なされ、誰も彼と関わりを持ちたくなかった。
聖書はこう言っています。
イエス様が通りかかると、バルテマイが、「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください。」と叫んだと。
ダビデの子、というのはイエス様の単なる肩書ではなかったんです。
当時の人々がその名前で読んでた、ご立派な肩書ではなく、旧約の預言です。
ダビデの子はメシアであり、油注がれた者だと聖書は言っているんです。
彼が「ダビデの子」と言った時、彼は油注がれた方を遣わしてくださった神様を賛美していたのです!
イエス様が癒し主であり解放者であるので彼は賛美していた!
盲人バルテマイは、ダビデの子、という短い肩書を言う事によって神様を賛美していたので
す。
彼は「普通の人、イエス様」とか「癒し主イエス様」とか「良い先生、イエス様」「ラビ」とは言いませんでした。
彼は「ダビデの子のイエス様!」と言い、そう言う事によって、イエス様が救い主であることを認めていたのです。
「イエス様。私はあなたがメシアであり、癒し主であると認めます。油注がれた方としてあなたを賛美します!私をあわれんでください!」とバルテマイは言った。
群衆は彼に「黙れ!」と言いました。
言いましたよね。あなたの賛美を黙らせたい人達がいるんです。
彼らはあなたを黙らせたいんです。
あなたの賛美の燃料を汲み出してしまいたいんです。
彼らはあなたを押しつぶし、けなし、とがめて、あなたの内から賛美を完全に無くしたいと思っている。
自分達には賛美がないから、あなたからも賛美を無くしてしまいたいのです。
自分達の火が消えてしまったので、あなたの火も消したい。
しかし盲人バルテマイには、別のスピリットがありました。
群衆に屈せず、続けたんです。
「ダビデの子のイエス様。私をあわれんでください!」とさらに叫び立てました。
彼がそのように神を賛美していると、「イエスは立ち止まった」と聖書は言っています!
イエス様は賛美の叫びを無視することができなかった。
賛美の叫びを無視することはできなかったんです。
イエス様は立ち止まって、バルテマイを呼んで来るようにと言いました。
分かりますか。
賛美は、あなたを神が次に御業をなす人にするのです。
あの日、イエス様はバルテマイを癒す予定ではなかったんですよ。
別の所に行こうとしていた。
でも、バルテマイが賛美することによって、神様のコンピューターに入って「いやいや、次は盲人バルテマイの番だ。」と予定を変えてしまったのです。
イエス様は彼を呼び寄せた、と聖書は言っています。
イエス様は言われました。「わたしに何をしてほしいのか」
あなたが神様を賛美する時、神様は、イエス様の名が記された、天の資源によって裏付けされている白地小切手を与えてくださるのです。
みことばに沿うものなら何でも記入することができ、神様はそれを与えて下さいます。
バルテマイは、「目が見えるようになりたい」と言いました。
「あなたはわたしに何をしてほしいのか」とイエス様は言われました。
「何が必要なのか」とは言っていませんよ。
バルテマイは視力を必要とはしていませんでした。
盲目で死ぬことはありませんからね。
彼は盲目でも生きていけたんです。
視力を必要とはしていませんでした。
宗教的たわごとをあなたの霊に入れないでください。
「神はあなたが欲しいものではなく、あなたが必要とするものを与えるんです。」
それは真実ではありません。
イエス様は言いませんでしたよ。
「盲人バルテマイ。何が必要なのか」
「目が見えるようになりたいんですが・・・あなたは私にとって何が最善なのかご存知ですから・・・」とバルテマイは答えて、
イエス様はただ彼を祝福し「父よ。このまま盲目でいられるように彼に喜びを与えてあげてください。耐え忍ぶことができる喜びを・・・」と、
そんな事言いませんでしたよ!
「わたしに何をしてほしいのか?」
「目が見えるようになることです」
イエス様は言われました。
「あなたの信じたとおりになるように。」
するとすぐに彼は見えるようになったのです。
今までバルテマイが恥辱の的だった街の全ての場所が、今度はバルテマイの話題で持ちきりでした。
だからこそゼパニヤ3章は言っているのです。
「あなたが恥を受けていた全ての場所で」と。
聖書は言っているのです。
あなたが神を賛美するとき、神はあなたをその失望の穴から引き上げてくださり、あなたを町の話題にする、と。
あなたは賛美と栄光の的になるのです。
私は人々があなたを礼拝するようになると、言ってはいません。
あなたを見て、人々が神様をほめたたえるようになると言っているのです。
だからこそ詩篇126篇はこう言っているのです。
「主が捕囚となっていた民をシオンに戻されたとき、私たちは夢見ている者のようであった。」と。
そこの箇所を読みましょう。
「主が捕囚となっていた民をシオンに戻されたとき、私たちは夢見ている者のようであった。
そのとき、私たちの口は笑いで満たされ、私たちの舌は喜びの叫びで満たされた。
そのとき、国々の間で、人々は言った。
『主は彼らのために大いなることをなされた。』
主は私たちのために大いなることをなされ、私たちは喜んだ。」
主があなたにしてくださった事を見て他のクリスチャン達が神様をほめたたえるだけではありません。
異教の国の人達が、神様が背後にいなければ絶対にありえない、と認めているのです。
賛美はあなたを恥、敗北、失望、呪い、絶え間のない戦いの領域から引き上げます。
そして神様は、人々が「主はあなたのために大いなる事をしてくださった!」と言うような領域にあなたを移してくださいます。
私はイエスの御名によって、今日この言葉を受け取る全ての人達に宣言します。
今年が終わる前に、今まで「あなたの神はどこにいるんだ?
その神への礼拝があなたに何をもたらしたんだ?」と言ってきた人達が態度を変えて、
「主はあなたのために大いなることをなされた!」と言うようになります。
彼らはこう言わざるをえなくなります。
「神は生きておられ、イエスは神の御子に違いない。なぜなら、あなたのように人生が劇的に好転した人の話しを今まで聞いたことがないから」
イエスの御名によって。
もしあなたの霊でこの言葉を受け入れることができるなら、「私はその言葉を受け取ります」と宣言してください。
お祈りします。
続く


