2024年7月の記事を再投稿することにしました。

癒しも、救いも、解放も、問題の解決もそうですが、イエス様は、私達が願う以上に、私達が異言で祈ることを願っています。

それですので、異言で祈りたいけれど、まだ祈れないよという方は、イエス様にただ求めてください。



「人間の心を探り極める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。

なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。」ローマ8章27節


④私が毎日異言で祈る理由

〜ここに憩いが、安らぎがある〜

(写真はYouTubeより)

TJ·マッカンジー


4番目

異言で語るとき、あなたはリフレッシュされる


イザヤ28章を読む前に語らせてください。


異言の祈りが信者にもたらすことの中に、神様の臨在の現れにたいする鋭い認識というものがあります。


神様の臨在はあるのですが、その臨在に私達が気がつく場合と、鈍感な場合があります。


私が子供だった頃は、ケーブルテレビではなく、アンテナテレビでした。

実は私の両親は今でも、ケーブルにはしていません。

いかがわしい番組が多いからです。


ともかく、テレビにうさぎの耳のようなアンテナが2本立っているのです。

6チャンネルや12チャンネル、22チャンネルをよく見ていて、時々44チャンネルも見ていました。


44チャンネルは私が好きな番組を時々放送していたのですが、問題は、なかなか映らないのです。

頑張ってアンテナの角度を調整するのですが、画面が砂嵐状態でなかなかきれいに映らないのです。

でも頑張っていじっていると、ある瞬間にぴったしカンカンな角度になって、きれいに見ることができるようになります。


それが異言で祈る時に起こることです。


自分の霊的アンテナを天国の送信信号にぴったり合わせると、どこにいても神様の臨在を認識するようになるのです。


あなたが行くすべての所であなたとともにある神様の臨在に気がつくことができることを知っていますか?


日曜礼拝や聖会に参加している時や、私のメッセージを聞いている時だけではなく、スーパーでも、美容室や床屋でもあなたとともにいる神様の臨在を認識することができるんですよ。


私は、床屋で髪の毛を切ってもらっている最中に、神様の油注ぎが自分の上に来るのを感じる時が沢山あります。


それで自分を担当してくれている床屋さんに福音を伝えると、その人が救われるんです。

その中でイエス様を信じなかった人は一人だけでした。


私が行く様々な国で、福音を伝えると、人々が救われるのです。

なぜなら、その前に「聖霊様。今、私の愛を、私の心をあなたに向けます。私の思いを、上にあるものに向けます。」と言って、私は異言で祈るからです。


入ったお店では、「こんなひどい音楽があるのか!」と思うほどの本当に邪悪で不快な音楽がかかっていることもあります。


でもそれは私には関係ないのです。私がいる所には、光があります。


そのような場所にいても、神様の臨在を私は感じることができます。

それゆえに、私は自分が行く所で光となり、人々に奉仕することができるのです。


なぜなら神様の臨在が私の上にあり、溢れ流れる泉のように、人々に流れていくからです。

ハレルヤ!


そして人々は「あなたは何か違う。あなたが入って来た時に、突然喜びが沸いて来たです。」と言うようになります。


彼らは、神様の臨在と、それに伴う聖霊様の甘美な喜びを感じ始めるのです。


あなたも、その神様の臨在を携えていくことができるのです。


しかしそれには秘訣があります。


異言は、天のさらに高い霊的領域にアクセスすることができるようにします。


あなたが気づこうとそうでなかろうと、霊の領域では様々なことが起こっているのです。


多くの人達は、霊の領域で起こっていることに全く気がついていません。



しかし異言で祈り始めると、超自然的なものを遮っている覆いが取り去られていき、あなたはどこに行こうとも神様の臨在を認識するようになります。


皆さん、神様の臨在を感じながら、枯れ切った井戸になることは不可能です。

いのちの泉が内側からボコボコと溢れ流れてくるのです。


ヨハネ7章は「『心の奥底から(腹から)、生ける水の川が流れ出るようになる。』これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。」と言っています。


その川は、御霊によって祈ることによって掻き立てられます。

そしてあなたはリフレッシュされ、力を受けます。


イザヤ28章11-12節。


この箇所が異言のことを言っていると分かる理由は、異言を推奨しているⅠコリント14章でパウロがこの箇所を引用しているからです。

「まことに主は、もつれた舌で、外国のことばで、この民に語られる。主は、彼らに『ここにいこいがある。疲れた者をいこわせよ。ここに休みがある』と仰せられたのに、彼らは聞こうとはしなかった。」

ハレルヤ!



イザヤは御霊によって、「神様は将来、人々に賜物をお与えになる。その賜物とはもつれた舌で、外国のことばで語ることだ。そうすることによって、神様は疲れた者達に憩いを与え、休ませる。神様は、異言を語る者達をリフレッシュする。」と預言していたのです。

「これこそいこいだ。疲れた者をいこわせよ。ここに休みがある。」



朝起きた時、もうやめたいと感じ、やる気が出ず、肉体的も霊的にも感情的にも疲れ果てていて、何を祈ったらいいのか分からず、そもそも祈る気にもなれない時に、ともかく異言で祈り始める。


そうすると、ある瞬間に突然、重荷が取り去られ、リフレッシュされるのを感じます。


そして「立ちはだかる壁を飛び越えることができた。また一つ聖書の真理を体験できた!」と喜びが沸き上がってくるのです。


それが異言で祈る時に起こることなのです!

異言の祈りは、すべての落胆や、やる気をなくさせるような思い、感情、そして疲れを打ち破ります。


そして実際に、体力も回復し、あなたを助けてくれるのです。


私は何度もこれを体験してきました。

異言で祈っている最中に、主が私が引き上げてくださるのを。



初めて、ホープフェスト(伝道集会)を開催する前、私は不安になりました。

「人が来るだろうか?」「救われる人がいるだろうか?」

突如として様々な思いが襲い掛かってきました。


私はどうしたでしょうか?

それらの思いを受け入れて、永遠にああでもない、こうでもないと思い悩んで、意気消沈し、体力も気力もすり減らし、「やっぱりやめよう!」とあきらめることも十分可能でした。


しかし、ありとあらゆる思いが押し寄せ、打ちのめされそうになった時に、私は知性で祈る代わりに、御霊によって祈り、霊を掻き立てました。


そうした時に、突然、不安に満ちた様々な思いが消え去って、平安の思いがやって来たのです。


「自分にはできない。自分はだめだ」とう劣等感に満ちた思いが消え去り、「私は圧倒的な勝利者だ!私は私を強くしてくださるキリスト・イエスによってどんなこともできる!」という思いがやって来たのです。


「誰も来ないよ。」という思いは消え去って、「神様のために必ず成功できる!」という思いがやって来ました。


「いったいどうなるんだろう。。。」という思いは消え去り、「神を愛する者達、神のご計画に従って召された人々のためには、全てのことが働いて益となる!」という思いがやって来ました!



イエスの御名によって祈ります。

今晩、あなたが聖霊のバプテスマを受け、異言で祈るようになる時に、全ての失望感、疲れは消え去り、聖霊によって神様があなたをリフレッシュし、あなたは歩いても疲れず、走ってもたゆまず、神様があなたに定めた競争をしっかりと元気に走り終えることができるようになりますように!

イエスの御名によって!


つづく




NCTC Dallasの牧師夫妻が、週3日、現地時間では夜、日本は火曜、木曜、土曜の13時から約1時間異言の祈りを導いています。
土曜日だけは2時間です。
祈りを始める前に、短いメッセージがあります。
メッセージは英語ですが、異言の祈りがメインです。↓