④子どものような信仰
〜神様が言われたことをそのまま信じる!〜
(写真はYouTubeより)

4番目。

子どもは、言われた言葉を全て信じる


これは重要です。

私が息子に、「君はスーパーマンだよ」と言うなら、彼は「自分はスーパーマンだ!」と本気で信じるのです。


また息子に、「お父さんは昔、月に飛んだことがあるんだよ。実は、バズ・ライトイヤーだったんだ。あの映画はお父さんの物語なんだよ。」と言うなら、息子は本当に信じてしまうでしょう。


まあ、子どもというのは何も知らないので、時にものすごくだまされやすいのですが、それでも子どもから学べることがあるんです。

子どもというのは、決して疑うことがありません。

まだ疑うことを学んでいないんです。

疑いというのは、後から習得するものなんです。


神様が私達を創造された時、神様は、私達が信じるように造られたのです。

ハレルヤ。



経験や悲劇、そして神のみことばとは異なる意見や話しなどによって、人々の心に疑いの種が蒔かれてしまうのです。


そしてそれらの疑いの種を根こそぎ引っこ抜くことなく、そのままにしておくなら、それはあなたの心の中でどんどんどんどん大きくなっていきます。

そして突然、それまでは簡単に信じることができたことが、今度は、信じることが非常に難しくなってしまうのです。


しかし、子どもは、疑うことを学んでいません。

子どもは、無邪気に信じるのです。



というのも、彼らの考えや心は、他の人達が言ったことによってまだ歪められたり、汚されたりしていないからです。


民数記13章を読むなら、ヨシュアとカレブの中に子どものような信仰がるのを見ることができます。


2人は、他の人達が見たのと同じ巨人達、同じ天にまで達するような高くそびえたつ城壁、大きな軍隊、カナン人達を見ました。


しかし、彼らは「神が私達と共におられるなら、私達は必ず約束を獲得することができる!」と言ったのです。


彼らは、疑いや不信仰から自分達の心を守ったのです。


彼らは、後にイエス様が言われたことをすでに理解していたのです。

「信じる者には、どんなことでもできる。」と。



「神様は本当に約束したことをしてくださる気はあるのだろうか?そもそもできるのだろうか?」と、神様の誠実さ、意志、能力にたいして疑いが来る時は、「なんてばかばかしい!」と思ってください。

神様を疑うことは、ばかげているんです。


子どもは言われたことは何でも信じます。

神様は、私達に、子どものような信仰を持つようにと言われています。

それによって、私達が創世記から黙示録まで、神様が語られた全てのことばを信じることができるようになるためです。


神のみことばが「あなたは圧倒的な勝利者です。」と言っているなら、

あなたは「自分は本当にそのような者なのだろうか。」と疑う必要はありません。

「神様が言われたなら、それで決まりだ。私はそれを信じて、前進する!」


それが、親の言葉にたいする子どもの反応です。


子どもは親の言うことを全て信じるんです。

たとえそれがどれほどばかげていることでも。


「神様には何でもできる」と心底信じ込んでいたヨシュアは、ある日、空を見上げて、太陽に命じました。「太陽よ。動くな。止まれ!」と。


いったい誰が正気で、空を見上げて、天体に向かって「止まれ!」と命じるでしょうか?

いったい誰が正気で、神様が造られた自然を見て、「こうなれ!」命じると思いますか?


イエス様は言われました。「神のような信仰があるなら、この山に向かって『動いて、海に入れ。』と言えば、そのとおりになる。」


人生のどこかで、人々は、「神様でも、せいぜいこれくらいしかできないだろう。」と小さな考え方、小さな信仰、ちっぽけな期待感に陥ってしまうのです。


しかし、神様は、信じる者達として、私達を造られたのです。

ただ信じるだけではなく、神様というお方を、そして神様がこの地上で成し遂げることができることを、制限なく、無限に信じるようにと。


子どもは何でも信じます。


ですから、聖書が「彼の打ち傷によって、あなたは癒されたのです。」と言っているなら、そのことばを丸ごと、そのまま信じてください!


聖書が「あなたは聖霊のバプテスマを受けることができる。」と言っているなら、「だけど、それは私のためじゃないのかもしれない。。。」とは思わないでください。

あなたに約束してくださっているんです!



みことばが約束していることは、全て一字一句信じてください。


私の息子は文字を学んでいますが、まだ文章を読むことはできません。

でも、子ども達というのは、読むことができるようになったからといって、聖書の怖い話しを好んで読むことはしません。

たとえば、「アサ王は医者を求め、そして死んだ。」といったような文章にひきつけられることはありません。


子ども達がひきつけれる話は何だと思いますか?


勝利の話しです。

ダビデとゴリアテような勝利の話しを読んで、彼らの心に大胆さが植え付けられていくのです。「僕は、ダビデのようになりたい!」って。


彼らの心に何かが沸き上がってくるのです。


子ども達はそれを信じて、思うんです。「彼を通して神様がこんなすごいことをできたなら、私を通しても神様はすごい事をすることができる!」



ヘブル人の3人の少年達が入れられた熱い炉の中に、イエス様が来られ、3人を守られたので、3人は少しも焦げつくことなく、無傷であった話しを読んだ子ども達はこう思うんです。

「凄い!ってことは、僕のいのちを奪うことができるものは何もないんだ!僕は無敵なんだ!だって、神様が僕といつも一緒にいてくださるから!」


人生のどこかで、私達は疑うことを学ぶようになり、神様にたいする子どものような信頼を失ってしまうのです。


それは、神のみことばとは異なる、様々な意見を受け入れてしまうようになるからです。



私は祈ります。聖書があなたと神様について語っているすべてのことを信じるための恵みが、今日、あなたの心に焼きつけられますように。

イエスの力強い御名によって。



聖書が神様について語っている全て、聖書があなたについて語っている全てのこと。


それはあなたがキリスト・イエスにあって新しく造られた者であること、あなたに力を与えてくださるキリスト・イエスご自身によって、あなたは圧倒的勝利者であること、強くしてくださるキリスト・イエスによってあなたは何でもできること、神様が私達に神のご性質を与えてくださったゆえに、私達の内で神の力が働いていることです。


私は祈ります。神様があなたをキリスト・イエスにあって何者としてくださったかという啓示であなたの心の目が溢れかえり、あなたがそのことを一切疑わなくなりますように。


つづく


https://www.youtube.com/live/xgMgfhEcggs?si=hMNV2RE59BUaPOia