TJ Malcangi
6.油注がれた集会に参加する
勝利の霊がある、信仰が語られている集会に参加してください。
ある場所で集会を持っていた時に、一人の男性が入ってきました。
彼は覚せい剤をやっていて、集会の後に私のところに来て、自殺願望があると言いました。
私は彼のために祈り、キリストに導きました。
次の日も火曜の夜も、彼は続けて集会に参加しました。
主の御霊があるところには自由があります。それは大きな罪からだけの自由ではなく、心配の罪からの自由でもあります。
彼は、油注ぎのある集会にたった2回参加しただけで、信仰に満たされ、全く別人になりました。
火曜の夜の集会後に私のところに彼が来た時、誰だか全く分かりませんでした。
誇張しているのではなく、本当に彼が誰なのか分からなかったんです。
聖書を脇にかかえて、笑顔で私に「こんにちは、兄弟」と言った彼に、私は言いました。「お名前はなんですか?」
「えー!覚えていないんですか!?」
「すいません、覚えていません。」
「私は、日曜日の夜来た、覚せい剤をやってた男ですよ。
あなたは私のために祈ってくれました。
翌朝起きた時、覚せい剤をやりたいという気持ちも、私を縛っていた自殺願望も私の人生からきれいさっぱり断ち切られていました。」
彼はCMに抜擢されそうなほど、喜びに満ちていました。
彼はゲラサ人の悪霊につかれていた男性のようでした。
ゲラサ人の男性から悪霊が追い出され、正気になってちゃんと服を着て座っているのを見たその地方の人達は衝撃を受けましたが、私も彼の変わりようを見て本当に衝撃を受けました。
神様が人々を解放されるのを何度も見てきましたが、彼の場合はたった2回集会に参加しただけで、全く別人になったのです。
油注ぎのある集会、主の御霊が働かれている集会に参加してください。
油注ぎのある場所で語られるみことばによっても、私達の思いは一新されていきます。
心配の思考パターンから信仰の思考パターンとなっていくのです。
ハレルヤ!
イザヤ10章27節はこう言っています。
「油注ぎが重荷を取り除く」(欽定訳)
心配は重荷です。
油注ぎは、重荷を取り除き、とらわれのくびきを打ち砕きます。
心配に捕らわれてしまっている人達がいます。
油注ぎはあなたを自由にし、あなたの人生から心配、思い煩いのくびきをもぎ取ります。
イザヤ61章は言っています。
「悲しみの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに(英語の聖書では「重苦しさの霊」)」
重苦しさの霊、憂いの心とは、心配の霊です。
これを見ている方の中で、人生で一度は心配したことがある方達は全員分かりますね。
心配がやってきた瞬間に、それを払いのけないでいるなら、心配で頭が一杯になり、憂鬱という生理的影響がもたらされ、意気消沈し、精神的に参ってしまうのです。
なにもやる気がしない。
しかし聖書は、「主の霊がわたしの上にある。主はわたしに油を注がれた。
悲しみの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるため」と言っています。
ハレルヤ。
心配は、不平不満を生み出しますが、あなたのうちにある油注ぎは、賛美を生み出します。
イエス様は言われました。イエス様は油注がれたお方です。
そのイエス様がこう言われています。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。」
心配はくびきであり、あなたを打ちひしがせ、あなたが行きたくない方向に連れて行きます。
ご存知だと思いますが、心配し出すと、そこから雪だるま式に大きくなっていくんです。
雪だるま効果です。
最初はちょっとした心配から始まったのが、30分、1時間経つと、最悪の事を考え始めてしまっている。
ひざに少し痛みがあるとします。
ちょっとした痛みなのですが、「膝 痛み」と検索する。
そして色々と読んでいくうちにどんどん心配が増していき、ひざが猛烈に痛くなり、病院に駆け込むと、「どこも悪いところないですよ。多分、どこかにひざをぶつけたんでしょうね」と言われる。
それは全てちょっとした心配から始まったものです。
全ての思いをとりこにして、キリストに服従させるのではなく、自分の思いに居座らせた結果、最悪な事を想像し始めてしまう。
それが心配というくびきで、自分の最悪の敵にさえ起こってほしくないことを、頭の中で色々と想像させるようにしてくるのです。
油注ぎは、そのくびきを打ち砕きます。
あなたの人生にあるくびきが油注ぎによって打ち砕かれるのが見えます。
神の御霊が今、働かれています。
今日、そのくびきが打ち砕かれます。
イエス様は言われました。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしのくびきを負いなさい。
そうすればたましいに安らぎが来ます。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
私は今、すべての心配で一杯になった頭に語ります。
それがお金や病気、ニュース、核戦争、仕事、人生のこれからのステップについての心配であれ、すべての思い煩っている頭に言います。
神のみことばに敵対する全ての思いをとりこにして、神のみことばに従わせます。
そしてあなたの理解を越えた神の平安を解き放ちます。
あなたのために祈ります。
リビングにいようと、トイレにいようと、職場にいようと関係ありません。
あなたのために祈ります。
聖書は、「あなたがわたしの命令に耳を傾けさえすれば、あなたの平安は川のようになる(新改訳ではしあわせ、英語の聖書では平安)」と語っています。
神の平安が、今、あなたの思いを川のように満たすことを信じます。
あなたの心から溢れ、頭のてっぺんから足の裏まで満たされます。
平安の川があなたにやって来ます。イエスの力強い御名によって。
「あなたに目を向けている者達を、あなたは全き平安のうちに守られます」
私は預言します。
今日この日から、全き平安があなたの思いにやって来て、あなたの心と思いをキリスト・イエスのうちにあって守ります。
私は心配を叱りつける。またあなたを思い煩わせ、意気消沈させているいかなる嵐も叱りつける。
聞いてください。
神様は「あなたの重荷をわたしにゆだねなさい。わたしがあなたの面倒を見る」と言われましたが、
それは「あなたは、確実に起こり、あなたを倒す問題について心配しているが、ともかくあなたの重荷をわたしにゆだねなさい。
あなたは必ず倒れる。でも心配はいらないよ。確かに、それは起こるよ。でも心配しなくていいよ。」という意味ではないんです。
神様は良い神様であって、頭のおかしな神様ではありません。
「あなたの重荷を主にゆだねよ。主があなたのことを心配してくださる」という約束がなぜ素晴らしいのかというと、神様は、精神科医のようにあなたの心配を扱われるお方ではないからです。
精神科医達は、あなたの肩に腕を回して「大丈夫だよ」と言ったり、気を紛らわせるために薬を処方してくれるでしょう。
しかし神様があなたの面倒を見られる時、聖霊様によって慰めを与え、その心配や不安な気持ちを取り去っておしまいではなく、次に、そもそもあなたを心配させている状況や問題にたいして神様は戦われるのです。
すべての曲がった道を神様は真っ直ぐにされます。心配を引き起こしている問題を解決されます。
ハレルヤ。
今、私の霊に来たみことばをお読みします。
ゼパニヤ3章14節。
なんと力強いみことばでしょうか。
今日から、あなたの人生はこうなると信じます。
先ほど読みましたが、主はあなたに「憂いの霊のかわりに、賛美の外套を着けさせる」と言われました。
心配している時というのは、意気消沈しているので、歌う気分にもなれないでしょう。
しかし、神様が憂いの霊を取り除き、あなたの心に賛美を与えると、あなたは賛美し始めます。
「シオンの娘よ。喜び歌え。イスラエルよ。喜び叫べ。エルサレムの娘よ。心の底から、喜び勝ち誇れ。」
あなたに語っています。
「主はあなたへの宣告を取り除き、あなたの敵を追い払われた。」
「あなたの重荷を主にゆだねよ。主があなたのことを心配してくださる。」
主があなたの敵を追い払い、あなたを苦しめ悩ましていた全てを取り扱われます。
これを聞いてください。
「あなたの敵を追い払われた。イスラエルの王、主は、あなたのただ中におられる。」
主はあなたのそばにおられます。ハレルヤ。
主があなたの助け手であるなら、心配したり、不安になる理由はありません。
心配したり、動揺する必要はありません。
主ご自身があなたを支えています。
主があなたの戦いを戦われます。
「イスラエルの王、主は、あなたのただ中におられる。あなたはもう、わざわいを見ない。」
これはあなたへの神のみことばです。
これを希望的観測として受け取らないでください。
これはあなたにたいする神のみことばなんです。
「あなたはもう、わざわいを見ない。」(欽定訳)
「私はもう、わざわいを見ない」と宣言してください。
あなたが最後に見たわざわい、敗北で最後です。
今日から、あなたは栄光から栄光へと、勝利から勝利へと進んでいきます。
「その日、エルサレムはこう言われる。シオンよ。恐れるな。気力を失うな。
「あなたの神、主は、あなたのただ中におられる。救いの勇士だ。」
ああ、本当に力強い慰めのことばです。
「主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。
主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。」
18節。
「例祭から離れて悲しむ者たちをわたしは集める。彼らはあなたからのもの。
そしりはシオンへの警告である。
見よ。その時、わたしはあなたを苦しめたすべてのものを罰し、足のなえた者を救い、散らされた者を集める。
わたしは彼らの恥を栄誉に変え、全地でその名をあげさせよう。
その時、わたしはあなたがたを連れ帰り、その時、わたしはあなたがたを集める。
わたしがあなたがたの目の前で、あなたがたの繁栄を元どおりにするとき、地のすべての民の間であなたがたに、名誉と栄誉を与えよう。」
神様は言われているんです。
「わたしはあなたを苦しめたすべての者を罰し、足のなえた者を救い、散らされた者を集める。わたしは彼らの恥を栄誉に変え、全地でその名をあげさせよう。」と。
あなたが心配していたことすべて、「あなたのことを心配しているよ」と他の人があなたのために心配していたすべて、
あなたが恥を感じていた全ての領域で、また人々から気の毒がられていた全ての領域で、栄誉に変えると、神様は言われているんです。
つまり、あなたの証を、主があなたにされた偉大な御業を人々が聞くようになるのです。
ハレルヤ!
「あなたの恥、心配を栄誉に、賛美に変える」
ルカ1章です。
御使いはマリヤに言いました。
「あなたの親類エリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。
不妊の女といわれていた人なのに、今はもう6か月です。
神にとって不可能なことは一つもありません。」
人々があなたを今までどんな名で呼んだとしても、人々があなたの名前を聞けば、あなたの抱えている問題を思い浮かべるほど、大きな、あるいはずっと続いてきた問題だったとしても、
神様にとって不可能なことは一つもありません。
あなたが神様に、あなたの重荷を放り投げる時、神様は心配を取り除くだけではなく、その状況さえも変えてくださるのです。
あなたは心配の罪に打ち勝つだけではなく、心配を引き起こしていた状況や問題がどんなものであれ、それらに打ち勝ち、その勝利の証が世界中で聞かれるようになります。
「不妊の女といわれていた人なのに、今はもう6か月です。」
人々は「あなたの神はどこだ」と言ってきたかもしれません。
「不妊の人」「病人」「借金を抱えて、無一文になった人」「悪魔の罠にかかってしまった人」とかつては言われていた。
しかし今からは、「妊娠6か月」「健康になった」「丈夫になった」「負債がなくなった」と言われるようになります。
神にとって不可能なことは一つもありません。ハレルヤ!
イエスの御名によって預言します。
あなたの家族は「ああ○○家はいつもこうだったからね。皆、この問題を抱えているよね」と思われてきたかもしれません。
ルカ1章で、生まれてきた子どもにヨハネという名をつけようとしたエリサベツに、人々は「あなたの親族にはそのような名の人はひとりもいない」と言いました。
私はイエスの御名によって宣言します。
それと同じように、富んでいるとは言われていなかったあなたの家族の中で、あなたは富んでいると言われるようになります。
救われている者が誰もいなかったあなたの家族の中で、あなたは最初に救われた者となります。
健康な人が誰もいなかったあなたの家族の中で、あなたは健康な人と言われるようになります。
精神的に安定していなかったあなたの家族の中で、あなたは穏やかな人と言われるようになります。
誰も解放されていなかったあなたの家族の中で、あなたが最初に解放される人、自由にされた人となります。
ハレルヤ!
あなたがまず最初の人かもしれませんが、あなたで終わることはありません。
あなたが家族の今までの歩みを変える人となります。
あなたについて、人々が心配していたこと、それが何であれ、主が責任をもって引き受けてくださいます。
今までずっと続いてきたどのような先祖代々の呪いも、イエス・キリストにあって、そしてイエスの血によって、今、打ち砕かれます。
そして今からは、先祖代々に渡る祝福が流れていきます。
つづく
