TJ Malcangi
詩篇91篇1節から。
「いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る。
私は主に申し上げよう。
「わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神」と。
主は狩人のわなから、恐ろしい疫病から、あなたを救い出されるからである。
主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。あなたは、その翼の下に身を避ける。主の真実は、大盾であり、とりでである。
あなたは夜の恐怖も恐れず、昼に飛び来る矢も恐れない。
また、暗やみに歩き回る疫病も、真昼に荒らす滅びをも。
千人が、あなたのかたわらに、万人が、あなたの右手に倒れても、それはあなたには、近づかない。
あなたはただ、それを目にし、悪者への報いを見るだけである。
それはあなたが私の避け所である主を、いと高き方を、あなたの住まいとしたからである。
わざわいは、あなたにふりかからず、えやみも、あなたの天幕に近づかない。
まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。
彼らは、その手で、あなたをささえ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにする。
あなたは、獅子とコブラとを踏みつけ、若獅子と蛇とを踏みにじろう。
彼がわたしを愛しているから、わたしは彼を助け出そう。彼がわたしの名を知っているから、わたしは彼を高く上げよう。
彼が、わたしを呼び求めれば、わたしは、彼に答えよう。わたしは苦しみのときに彼とともにいて、彼を救い彼に誉れを与えよう。
わたしは、彼を長いいのちで満ちたらせ、わたしの救いを彼に見せよう。」
あなたの残りの生涯の指標となるとても力強い詩篇です。
今日までの日々がどれほど悪いものだったとしても関係ありません。
テレビで104歳の女性を見たことがあります。
長生きなので、インタビューされていたんです。
100歳は長生きですよ。
「あなたの長寿の秘訣は何ですか?」とインタビュアーが聞きました。
彼女が何と答えたと思いますか?
最高でしたよ。
彼らは、彼女が聖霊充満のクリスチャンだとは思っていなかったんです。
こう答えました。
「私は、神様の約束である詩篇91篇を本当に信じているからです。」
力強い事だと思いませんか?
「わたしは、あなたを長いいのちで満ち足らせる」と神様は言われている
でも多くの人達はこうです。
「いやー、それは神様の約束ではないよ。神様は、ふさわしいと思った選ばれた特別な人を長生きさせるんですよ。」
しかし彼女は、それを自分のものとしたのです。
「私は、神様が私を長いいのちで満ち足らせてくださると、本気で信じているんです。
ただ長生きするだけではなく、長く満ち足りた人生を与えてくださるとね」
そして彼女はそれを得ました。
あなたも、あなたが信じたものを受けるのです。
あなたが信じた事、それがあなたが人生で何を受けるかを決めていくのです。
小さく信じるなら、小さなものを受けます。
神様が言われた事、約束された事を全て、信じてください。
私はパウロが言った事が大好きです。
確か、使徒24章だったと思いますが、パウロはパリサイ人から実際に攻撃を受けています。
そして、裁判を受けていた。その時にパウロは立ち上がって言いました。
「しかし、私は、彼らが異端と呼んでいるこの道に従って、私達の先祖の神に仕えており、律法と預言者たちが書いている事を全部信じています。」
彼はこう言ったんです。
「彼らが異端と呼ぶ方法で私は神を礼拝しています。
なぜなら、私は、神が律法と預言者達によって書かれた全てのことを信じているからです。」
しばしば、あなたが神様の約束をそっくりそのまま信じ始めるやいなや、「狂信的」「過激」「異端」「変人」「頭がおかしくなった」などとレッテルを貼られるようになります。
でも、私は、キリストの祝福を受けるために、愚か者と思われるなら、そう思われても構いません。
パウロは言いました。
「彼らが異端と呼ぶ方法で、私は私達の先祖の神に仕えています。全部信じています。」
あなたがどうかは分かりませんが、私は、神様が私が持つことができるといった全てのものを受け取りたいです。
それ以下で甘んじるつもりはありません。
約束よりほんのちょっと少なくてもいいやとは思いません。
縁すれすれの杯ではなく、あふれ流れる杯を受け取ります。
それでは、節ごとに読んで行きましょう。
詩篇91篇1節
「いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る。」
まず2つの事をはっきりとさせましょう。
1つ目。
あなたは、いと高き方の隠れ場に住む必要があります。
つまり神様と関係を持つ必要があります。
聖書は、守りのバリアーは、神様の中に住む人達のみに備えられていると語っています。
(もちろん、神様を信じている人達が、まだ神様を信じてない人達のためにとりなし祈るなら、神様はその人達をも守ってくださいます。)
では、どのようにして神様の中に住むのでしょうか?
イエス様はヨハネ15章ではっきりと語っています。
「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。
そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。」
ヨハネ15章7節です。
ではどうやって、神様にとどまるのか?と思われる方もいるでしょう。
とっても単純です。
あなたが聖書を読み、祈る時、あなたは神様にとどまっているのです。
聖書を読むこと、それはあなたが神様にとどまり、神様があなたにとどまっていることです。
天のお父さんと交わっているのです。
そういう風には見えないかもしれないし、時には「とどまっている。交わっている」という感じもしないかもしれません。
しかし、あなたが聖書(みことば)を読んでいる時、気づこうと、気づかなかろうと、あなたは天のお父さんと交わっているのです。
あなたが祈る時、あなたは三位一体の神様と交わっているのです。
御子イエス様の御名と聖霊様の力によって、あなたは天のお父さんに語っているのです。
それが神様のうちにとどまる、という意味です。
神様とこのような関係を築いている者達が全能者の陰、つまり全能なる神様の強力な守りの中に宿ることができるのです。
私達が確立すべき2番目の基本的な事は91篇の2節にあります。
「私は主に申し上げよう。
『わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神』と。」
「私は主に申し上げよう」という言葉に注目してください。
神様についてあなたが何と語るかが重要なんです。
神様についてあなたが語ることが、あなたが神様から何を受けるかを決めるのです。
あなたが神様について信じていることは、あなたが神様について語っている言葉の中に表れてます。
あなたの手は、あなたの口が語っている以上に大きなものをつかむことはできません。
あなたの口で言うことができないほど大きいなら、それはあなたの手でつかむには大きすぎるのです。
だからこそ、詩篇91篇を書いた人物は、「私は主に申し上げよう。『私の基本的な必要を満たしてくださるわが神』と。」とは言いませんでした。
そうではなく、彼は大きく、大胆に言いました。
『わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神』
91篇の続きを読めば、彼が小さな事を語っていないのが分かります。
『勝つ時もあれば、負ける時もある』などとは言っていません。
違います!
彼は言っています。
「わざわいは私にふりかからず、えやみも私の天幕に近づかない!」
あなたの告白は重要なのです。
あなたが神様について語っていることが、あなたの信仰がどこにあるのかを明らかにするのです。
だからこそ聖書は、私達に、信仰のうちにあるかどうか自分を吟味し、調べるべきだと語っているのです。
神様はこのようなお方だとあなたが語っている言葉は、あなたがどのようなレベルの信仰を働かせているかを調べるのに良い方法です。
多くの人達は、神様がまるでエル・チャポのように資金が枯渇していて、自分の必要を全く満たすことができないかのように語っています。
神様はエル・シャダイ、十分以上の神様なんですよ!
ですから、あなたは語る事に注意する必要があります。
ある人達は、神様がもはやジェホバ・ラファ、偉大な医者として働いておられないかのように語っています。
それなので「ああ、もうしょうがないですよ。神様は時に、私達が病気になることを許されるんですよ」と言ったりします。
これは私の見解ですが、あなたは聖書の神ではない別の神という偶像をこしらえていますよ。
なぜならあなたが神様について語っている事は、聖書が神様について語っている事と一致していないからです。
それなので偶像崇拝の領域に足を踏み入れてしまって、神様について真実を語っていないのです。
想像できますか?
ある人達は、親族や敵にでさえ抱くことがないようなひどいイメージを神様に持っています。
何というか・・・最近のクリスチャンミュージックの歌詞を読んでみてください。
彼らが神様について思っている事は、酷すぎます。
神様をあたかも悪党、幼児虐待者、私達が人生で前進し、増大、向上していくことに反対している、天におられる怒っていて、不快な存在として描いているのです。
自分が会いに行った時に、どんな対応をされるかまるで分らないような存在として。
そのように語っている人達の人生を見てみると、みじめな状態です。
神様にたいして惨めな見方をしているので、結果的に人生がみじめになっているのです。
「私は私の神に申し上げよう」
神様について正しく語ることを学んでください。
そうするならば、あなたの人生に望ましい事が現れるのを見るようになります。
2つの基本的な土台。
あなたの口に見張りを置く。
何でもかんでもあなたの口から出さないでください。
「今までは何でもかんでも口から出していたけど、今日この日から、神様について聖書が語っていないことは言わない。
自分自身についてもそうだ。
自分なりの神観は持たない。
自分なりに神様はこのような方だとは思わないことにする。
偽りの神観は持たない。
神様とはどのようなお方か、みことばが語っていることは何であれ、私はそれを信じていく。神様は過去においても真実なお方だったから、いまも変わらず真実だ。
なぜなら、イエス様は昨日も今日も永遠に同じだから。
主は決して変わらない。
主は2022年も変わらない。
主は聖書の時代もそうだったし、この終わりの時代もそうだ。」
それでは詩篇91篇にある約束を見ていきましょう。
1つ目。
聖書は言っています。
あなたはわなから救い出される、と。
3節です。「主は狩人のわなからあなたを救い出す」
わなから救い出される、とはどういう意味でしょうか?
あなたを捕らえるために敵である悪魔や、時には人間が仕掛けるあらゆる種類のわなの事です。
聖書は「私の敵は、私のために穴をほりましたが、おのれが穴に落ちるでしょう。しかし正しい者達は良いものを受け継ぎます」と語っています。
ですから、あなたの敵があなたを倒すために仕掛けたどんなわなも・・・神様は言っているのです。
「わたしはあなたをそれらのわなから救い出したり、わなにはまらないように別の道に行かせるだけではない。あなたにたいして仕掛けたそのわなに敵がはまるのだ。」と。
わなからの救い。それが詩篇91篇にある約束の1つです。
2番目。恐ろしい疫病、死に至る病からの守り。
聖書はこう言っています。
最初にこう言っているのが最高です。
3節。「必ず(英語の聖書ではSurely(必ず、確かに)と書かれている。)、あなたを救い出される」
「願わくば」とか「神様の御手に委ねるしかないよ」といったものではありません。
「最善を祈るけれど、最終的には神様次第だよ」といったものではないんです。
「必ず、確かに」と言っているんです。
確定した言葉であり、曖昧で不確実な言葉ではないのです。
もしかすると、ではなく、確実になのです。
イエス様は、この地上を歩まれていた時、「まことに、まことに(Surely,surely)、わたしはあなたがたに言います」と言われる時がありました。
詩篇91篇でも、「Surely」が出て来ます。
つまり神様は、「これは絶対的な真理だ。あなたがこれは自分に語られたことばだと信じて受け取るほど狂っているなら」と言われているのです。
多くの人達は、みことばは全ての人に適用される事は信じています。
しかし、いざ自分自身のために信じる時になると、なかなか信じることができないのです。
文字通り受け取ってください。
私は詩篇91篇を読むとき、「必ず、あなたを救い出されるからである」とは言わずに、「必ず、TJを救い出されるからである」と言っています。
「必ず、主は私の家族を、私の命を救い出されるからである」と言っています。
客観的には読みません。
ものすごく個人的なものとします。
「あなた」を「私」あるいは自分の名前に変えて読んでみてください。
6節に飛びます。
「暗闇に歩き回る疫病も恐れない」と言っています。
つまり、人間によって発見され、今出回っている病気や、さらにはまだ明らかになってはいない病気、悪魔がこの世代を襲うために計画しているウィルスや、人々を病気にし、薬漬けにするために悪魔が計画するどんなものをもです。
神様は、あなたが異なるレベルで活動するように計画されているのです。
神様は、健康保険を用意されているのです。
あなたがどこかの会社に雇用されると、もしかすると、良い健康パッケージ、健康保険制度をその会社は用意しているかもしれません。
あなたがカナダ国民なら、カナダの健康保険制度に加入することが可能です。
しかしあなたが天国の国籍を持つなら、天国の保健制度に加入できるのです。
そして天国の保健制度は、「病気になったら癒す」ではなく、「そもそも病気に決してなることがないように、わたしはあなたを守る。」なのです。
さてもしあなたが今、病気なら、詩篇91篇は「わたしはあなたを恐ろしい疫病から救い出す」と言っています。
医者が「末期です」とか「これは治りません」と言っても関係ありません。
人間の基準では「治療不可能な不治の病」かもしれません。
しかし天国の制度には、「不治のやまい、治らないもの」は1つもありません。
ある神の人がこう言っているのを聞いたことがあります。
「信仰はあなたを神の力につないで、天の癒しを受けるものであり、不信仰は、私達が神の力につながって、天の癒しを受けるのを阻むものだ。
しかし不信仰は、神のみことばの光に照らされることによって治療可能で、そうすることによってあなたは信仰の中に入っていくことができるのだ。
不信仰が治るなら、それ以外の全ても治る。」
というのも信仰は、神のみことばを読むことによって得ることができるからです。
全ての患い、病、弱さ、虚弱、体の痛み、症状は、今この瞬間、この場で取り除くことが可能なのです。
なぜなら、信仰を得ることができるなら、癒しも得ることができるからです。
イエス様は長血の女性に言われました。
「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。」と!
ですから、あなたはこの箇所を「ああ、主は恐ろしい疫病から救い出してくださるのね。それが私ならいいんだけど。主よ、願わくば、次は私がそのラッキーな人になれますように」と読むこともできます。
しかしあなたはこの箇所を読んで、こう言う人にもなれるのです。
「主よ。あなたのみことばはこう言っています。ですから私はあなたのことばを額面通り受け取ります。
主よ、あなたの良さはあなたのことばの中に表れていることを私は知っています。私はこれを私への約束として受け取ります。
主は私を狩人の罠から、そして恐ろしい疫病から救い出してくださいます!」
聖書はこう言っています。
「あなたがたの神、主に仕えなさい。
主はあなたのパンと水を祝福してくださる。
わたしはあなたの間から病気を除き去ろう。」
あなたの間から病気を除き去る!
今日から、病はあなたから立ち去ります。
イエス・キリストの力強い御名によって。
あなたが最後に見た病が、あなたが目にする最後の病です。
なぜなら、あなたは今日から、天国の健康法に入ったからです。
人々は、あなたから出て来るとてつもない力と健康に驚くようになります。
彼らは驚き、当惑しながら「あなたは普通じゃない。」と言い、それにたいしてあなたはこう答えるようになります。
「そうです。あなたの言うとおりです。
私は普通ではありません。
なぜならキリストを死から甦らせた方の御霊が、私の死ぬべき体を生かしてくださっているからです。
私は御国の人であり、御国の法則よって動いているのです。」
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