メッセージより一部抜粋
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「だから私たちがこの福音を伝える時に、一番良い伝道の方法はイエス様の御名によって起きる癒しと奇跡であることを信じてください。
イエス様のことを証言したバプテスマのヨハネは、ある時から『本当にこの方がメシアなのだろうか?』と疑問を持つようになり、自分の弟子をイエス様の元に遣わして質問しました。
ルカ7章19節。
『すると、ヨハネは、弟子の中からふたりを呼び寄せて、主のもとに送り、『おいでになるはずの方は、あなたですか。それとも、私たちはほかの方を待つべきでしょうか』と言わせた。』
ちょうどそのころ、イエスは、多くの人々を病気と苦しみと悪霊からいやし、また多くの盲人を見えるようにされた。
そして、答えてこう言われた。『あなたがたは行って、自分たちの見たり、聞いたりしたことを、ヨハネに報告しなさい。
目の見えない者が歩き、ツァラアトに冒された者がきよめられ、耳の聞こえない者が聞き、死人が生き返り、貧しい者たちに福音が宣べ伝えられている。だれでも、わたしにつまずかない者は幸いです。』
イエス様は『わたしがメシアだよ。』と言う代わりに、『この奇跡を見なさい。この癒しを見なさい。』と言われたんです。
マタイ4章23節から。
『イエスはガリラヤ全土を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいを直された。
イエスのうわさはシリヤ全体に広まった。
それで、人々は、さまざまな病気や痛みに苦しむ病人、悪霊につかれた人、てんかんの人、中風の人などをみな、みもとに連れて来た。
イエスは彼らをいやされた。
こうしてガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤおよびヨルダンの向こう岸から大ぜいの群衆がイエスにつき従った。』
神の奇跡といやしだったんですね。
実は、これがなければ、イエス様がキリストであることを伝えることができないんです。
私達が福音伝道をする時はもちろん、色んな方法で伝道すべきなんですね。
しかし今日の教会を少し冷静な目で見てみましょう。
あらゆる伝道方法を実は持っているんですね。ですけど、イエス様が約束した、人々を癒して、悪霊を追い出す、そういう教会、そういう風に伝道する教会は本当にまれなんです。
今日のほとんどの教会が力も無く、この世にたいして影響力もなく、光も放ってない一番の原因が、教会が神の力を失っていることです。
この世の人々が問題に直面した時、『教会に行けば解決される』と思っている人はほとんどいません。
なぜ人々が偽りの宗教に行き、家まで売ってその宗教にお金を捧げているのか。
そこに何らかの霊的力を体験したからなんです。
それがなければそのような宗教は成り立ちません。
力を感じたから、彼らは惑わされ、教祖に従ってしまうのです。
しかし私が言いたいのは、本当の神の力は神の教会にあるということです。
中国であれほどクリスチャンが増えたのは、イエスの御名によって癒し、不思議、奇跡が起こっているからです。
それは起こるんです。
なぜなら、イエス様が約束してくださっているからです。
イエス様を信じたら、天国に行けます。
しかしもう一つの意味は、『あなたが今、イエス様を信じたら、あなたの所に天国が臨みます。』という意味なんです。
天国に病気はないんです。
だから私達はイエス様を信じれば、今いるところで天国を実現できることを信じてください。病が癒され、悪霊が追い出されて
いくことを信じてください。
教会に神の力があるなら、人々は偽りの宗教に行くのでしょうか?
教会は神の力を放たなければなりません。
イエス様の教会こそ、真の救いがあるし、いやしと解放があるからです。
・・・まずは、神のみことばを素直に信じることから始めましょう。
日々、聖霊様と祈りを通して親しく交わりましょう。」
「それから、イエスは彼らにこう言われた。
『全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。
信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。
信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、
たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。』
主イエスは、彼らにこう話されて後、天に上げられて神の右の座に着かれた。
そこで、彼らは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。
主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた。」(マルコ16章15-20節)
「すると、ペテロは『金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい』と言って、
彼の右手を取って立たせた。
するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、おどり上がってまっすぐに立ち、歩き出した。
そして歩いたり、はねたりしながら、神を賛美しつつ、ふたりと一緒に宮に入って行った。
人々はみな、彼が歩きながら、神を賛美しているのを見た。」(使徒3章6-9節)
「さて兄弟たち。
私があなたがたのところへ行ったとき、私は、すぐれたことば、すぐれた知恵を用いて、神のあかしを宣べ伝えることはしませんでした。
なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心したからです。
私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行われたものではなく、御霊と御力の現れでした。
それは、あなたがたの持つ信仰が、人間の知恵にささえられず、神の力に支えられるためでした。」(Ⅰコリント2章1-2&4-5節)
「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。」(ヘブル13章8節)