⑤ペンテコステの力
〜全てのくびき、束縛を打ち砕く聖霊の力〜
TJ Malcangi
③くびきを砕く
私はこれが大好きです。
使徒10章38節。
「それは、ナザレのイエスのことです。
神はこの方に聖霊と力を注がれました。
このイエスは、神がともにおられたので、巡り歩いて良いわざをなし、また悪魔に制されているすべての者をいやされました。」
聖書は、イエス様は聖霊と力を注がれていた、と語っています。
その結果、巡り歩いて良いわざをし、捕らわれ人を自由にし、束縛のくびきを砕きました。
イザヤ10章27節は、「その日になると、油注ぎのゆえにくびきは打ち砕かれる。( And it shall come to pass in that day, that the yoke shall be destroyed because of the anointing.)」(訳者注:King James Versionを和訳)と語っています。
これは聖霊の力の事を語っています。
ですから、聖霊様の油注ぎは、くびきを打ち砕く油注ぎなのです。
前にも言った事があるのですが、もう一度言います。
聖霊様は、あなたが悪魔に何とか対処するために力を与えるのではありません。
聖霊様は、あなたの人生で悪魔の仕業を打ち壊すために力を与えてくださるのです。
そして聖書は、「油注ぎのゆえにくびきが半分に割れる」とは言っていません。
もし何かを二つに割っても、接着剤などでまたくっつけることが可能だからです。
けれど、打ち砕かれたら、それを元に戻すことは不可能です。
油注ぎは、悪の仕業を粉砕するのです。
もし私があなたの家に訪れて、ファイン・チャイナを割ってしまったとしても、あなたをそれを接着剤で修復することができます。
でも私が大ハンマーでぶったいて粉々にしたら、それを修復することは不可能です。
聖霊様の油注ぎは、くびきを完全に粉々に打ち砕いて、二度と機能しないようにさせます。
「油注ぎのゆえにくびきは打ち砕かれる」イザヤはこの箇所を実のところこのように描写しようとしました。
雌牛か雄牛の首が太くなりすぎて、くびきがもぎり取られて、二度とはめることはできなくなってしまった。と。
聖霊様の油注ぎはまさにそれをするのです。あなたを超自然的に太く強くするのです。
「Cops」というテレビ番組で、身長216㎝体重154kgの大男が逮捕されるエピソードがあります。
警官達は彼に小ちゃな手錠をはめようとするのですが、彼には小さすぎるので、特別あつらえの手錠をかけ、パトカーに乗せました。
良い例えではなかったかもしれませんが、油注ぎがあなたの首を太くするので、悪魔のいかなる種類のくびきも二度と役に立たなくなるのです。
ハレルヤ!
油注ぎは、悪魔の攻撃からあなたを解放するだけではなく、あなたが二度と悪魔の餌食となることがないようにあなたを強くするのです。
その事に感謝を覚えるなら、アーメンと言ってください。
ハレルヤ!
生まれ変わったクリスチャンとその他の全ての宗教を信じる人達を区別するのは、クリスチャン達の中にあるくびきを打ち砕く油注ぎなのです。
私達の内にその力がなければ、私達は他の人達と何の変わりもありません。
他の宗教と変わらなくなってしまうのです。
TLオズボーン師はインドに行って、福音を語っていました。
その当時、彼はバプテストの宣教師で、まだペンテコステの力、聖霊様の力を知りませんでした。
6ヵ月インドにいた間、誰一人として救われなかった。
それなので、「もう働きをやめたい」という思いで帰国しました。
その後、ある説教者が聖霊のバプテスマについて語るのを彼は聞き、聖霊に満たされました。またその説教者を通して神の力が働き、単純な命令で悪霊が追い出されるをの彼は見ました。
彼は宣教地に戻って行き、奇跡、しるし、不思議が起こるのを目にするようになりました。
ずっと起こってほしいと願っていたことが現実化していったのです。
以前彼は、ヒンズー教徒やイスラム教徒達と討論しようとしました。
ある時、イスラム教徒の男性と討論した時、この男性は美しい金縁で革張りのコーランを取り出しました。
TLオズボーンがある聖書箇所を引用すると、彼はコーランから全く同じ箇所を引用したのです。ほぼ一語一句同じだった。
というのもムハンマドはモーセ5書や預言書をコーランに利用したからです。
それなので、TLオズボーンは無力さを感じ、どうにもできないと感じました。
しかし聖霊の力を受けてから、同じ地域に行くと全く違う結果となりました。
彼と彼の妻デイジーはおそらく人類史上、夫婦としては最も多くの人をキリストに導いた夫婦だと思います。
なぜなら彼らにはペンテコステの力が働いていたからです。
人々を縛っていた病、罪、中毒のくびきが打ち砕かれていくのを彼らは目にしていくようになったのです。
パウロはこのように言っています。
「私の福音は言葉によって行われたものではなく、御霊と御力の現れだった」と。
彼はローマ15章19節でこのように言いました。「私はエルサレムから始めて、キリストの福音をくまなく伝えた。御霊の力によるしるしと不思議と共に、私はキリストの福音をくまなく伝えた。」と。
ペンテコステの力、聖霊の力がなければ、福音を半分しか語っていません。
「罪が赦され、天国に行けますよ」と語ることはできます。
しかし彼らは、この地上で攻撃にただ我慢しなければならない。
ペンテコステの力は、あなたが福音の全てを提示することができるようにするのです。
ただ天国に行けるだけではありません。
私は神の力の働き人として、他の人達の人生にある悪魔のくびきを打ち砕き、神の力を解き放って、悪魔が彼らの人生から奪ったものを回復していくために遣わされています。
ペンテコステの力は皆さんをそのような者へと変えるのです。
あなたを解放するだけではなく、あなたが解放されたら、今度はあなたが他の人達を解放していくのです。
イエス様は言われました。「ただで受けたのだから、ただで与えなさい。」と。
私達はこの地上にあって、聖霊の力の公認分配者達なのです。
パウロはマルタ島で、ポプリオの父が熱病と下痢で寝込んでいるので、祈りに来て欲しいと言われた時、「彼が救われるようには祈りますよ。でもこの地上では病で苦しまなければならないんです。」とは言いませんでした。
彼は自分自身を、天の力の公認分配者と見ていました。
「行きますよ。でも福音を語って、彼が救われて、罪の赦しを得るためだけに行くのではなく、熱病から彼を解放しに行きます。彼は死ぬことなく、生きて、主の御業を語り告げます。」
この世代はこれ以上、キリスト教の別の教えは必要としていません。
この世代は、聖霊の力の新鮮なデモンストレーション(聖霊の力が現実であることを確かに示すこと)を必要としているのです。
聖霊様なしの教会にできる最善の事は、紹介センターになることです。
ただ人々に専門家達を紹介する。
でも実のところ、聖霊様は、あなたがあらゆる事に対処できる専門家となるために力を与えてくださっているのです。
彼らは病気ですか?
それなら聖霊様が取り扱ってくださいます。
罪に束縛されていますか?
聖霊様はそれも取り扱われます。
聖霊様があなたに力を与えてくださるのです。
聖書は「囚われ人を解放するために」と言っています。
何に囚われているのでしょうか?
罪にです!
クリスチャンと言いながら、いまだに罪に捕らわれている人達の多さに、私はイライラします。
私はもはや罪の捕らわれ人ではありません!
私が聖霊様に満たされた時・・・皆さん、私は「自分は誘惑されることはない」とは言っていませんよ。
けれども、私は誘惑によって動かされることはありません。
私は誇っているのではなくて、皆さんに示そうとしているんです。
「私達は罪の中で生きているんですよ。毎日、罪を犯すって事を自覚している人は何人いますか?」
このようなメッセージは実のところ、人を罪の捕らわれから解放する力はありません。
私はそのような説教者ではありません。
私は今日、皆さんにハッキリと語ります。
地獄があなたにもたらしたありとあらゆる種類の中毒、罪となる習慣、鎖。
「どうしても止めることができない!」とあなたは感じています。
しかし、あなたを解放する油注ぎの力が、今あなたの上にあります。
イエス様は「御子が自由にした者は、半分だけ自由なのです」とは…言われませんでしたよ!「完全に、本当に自由なのです」と言われたのです。
聖霊様の力によって、あなたはその自由を受けます。
くびきを打ち砕く。
あなたには今、病があるでしょうか?
「イエス様はあなたが天国に無事に入る事にしか関心がない」と教えられてきましたか?
主は、悪魔の仕業からあなたを解放し、そして今度はあなたが周りの人達を解放していくために聖霊様を遣わされたのです。
聖書は「彼は私達の罪の赦しのために刺し通された。彼は十字架で私達の罪をその身に背負った。」と言っています。
イエス様は十字架で全ての犠牲を払われました。
なぜ「十字架からペンテコステへ」というタイトルにしたと思いますか?
キリスト教は、十字架で終わりではないからです!
ペンテコステへと進んでいくからです!
以前言いました。
キリスト教は十字架で始まった。
それによってあなたは救われます。
しかし、キリスト教はペンテコステを通して広がっていったのです。
神様の御手の中にある役に立つ武器へとあなたは変えられ、地の果てにまで働きを続けていくのです。
つづく
