その1:祈る力を与える
ちゃんと祈れるようになるより先に、力強い聖霊のバプテスマが必要です。
ローマ8章26節はこのように言っています。
「御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。
私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、
私たちのためにとりなしてくださいます。」
聖書は、何を祈ったらいいのか、どのように祈ったらよいかさえ分からない時があるんだ、と言っています。
しかし聖霊様が私達を通して祈ってくださると。
どのようにしてか?
言いようもない深いうめきによってです。これは異言のことを言っています。
異言で祈る時、自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げるのです。
御霊によって祈る事には恩恵があります。
3つ挙げます。
①あなたを充電する
あなたが御霊によって祈る時、聖霊様はあなたを充電する、つまり新たな力で満たしてくださるのです。
バッテリーをコンセントに繋ぐと充電されるように、あなたが御霊によって祈る時、あなたのバッテリーが充電されるのです。
そして弱さや疲れが消え去り、新たな力がやって来ます。
奇跡のためにあなたを充電するのです。
聖書は、イエス様が神の御霊によって悪霊を追い出したと言っています。
あなたが御霊によって祈る時、悪霊を追い出すのに必要な大胆さがあなたに臨むのです。
大胆さの厚い層で覆われているので、悪霊がどのような現れ方をしようともあなたは動揺することがありません。
聖霊様から与えられる大胆さによってあなたの心には恐れが全くないのです。
それが御霊によって祈る時に起こる事です。
②神の完全な御心を祈ることができる
御霊によって祈る時、神の御心に従って祈っている、と聖書は語っています。
ローマ8章27節
「人間の心を探り極める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。
なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。」
なので、御霊によって祈る時、あなたは失敗することがありません。
ヤコブはこう言いました。
「願っても受けられないのは、神の御心に従って求めていないからだ」と。
祈っているけれども、神のみことばが裏付けしていない事を祈り求めている。
神様が願われていない事を求めているのです。
間違った祈り、良い動機ではない祈り、神様が「あなたはそれを持つことができるよ」と一つも約束していない事を祈ってしまっている。
しかし聖霊によって祈るなら失敗する事がなく、神の御心そのものを祈っているのです。
神の御心を祈るなら、どうなるとⅠヨハネ5章14節は言っていますか?
「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私達の確信です。
私達の願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。」
確信が与えられるのです。
それは大抵こんな感じです。
私の心には何かがある。
でもそのためにどう祈ったらいいのか分からない。
じゃあどうするか?
御霊によって祈るのです。
御霊によって祈っている時に、神の霊が私の心にその特定の状況に関するみことばを与えてくださいます。
今、拠り所となるみことば、神の御心が与えられたので、私は神様にその事を求めるのです。
私はこのようには祈りません。
「神様。これがあなたの御心かどうかは分かりませんが、」
神の御心を知らないのに、一体どうやってそれが叶えられると信じることができるんですか?
聖書は「信仰がなければ、主から何かをいただけると思ってはなりません。」と言っています。
信仰とは、「神にはそれができる」と知っているだけではなく、「神はそれをしてくださる。それは神の御心だからだ」と知っている事です。
ですから御霊によって祈る時、私の場合はしょっちゅうなのですが、神様はその特定の状況に対応するみことばを与えてくださいます。
その状況にたいする神の御心が分かったので、祈る時、私はこのような確信を持つのです。
「私は自分の願望を祈っているのではない。あなたが私に持ってほしいと言われたことを祈り求めているんです。」
ですから私にはそれを受け取る信仰があるので、一度祈り求めたら、その事に関して懇願する必要はないんです。
神様は真実なお方なので、約束された事を成し遂げてくださる、という確信があるからです。
それが御霊による祈りがもたらすものです。
③リフレッシュする
イザヤ28章はこう言っています。
「まことに主は、もつれた舌で、外国のことばで、この民に語られる。
主は、彼らに『ここにいこいがある。疲れた者をいこわせよ。ここに休みがある』と仰せられたのに、彼らは聞こうとしなかった。」
これは異言の事を言っています。
Ⅰコリント14章でパウロはこの箇所を引用して、異言と結びつけています。
聖書は「これによって私の民をいこわせる。これが憩いだ。」と言っています。
ですから御霊によって祈る時、あなたは自分自身を憩わせているのです。
疲れを取り除いていっているのです。
聖書は「善を行うのに飽いてはいけない(疲れてはいけない)」と言っています。
多くの人達は、善を行うのに疲れ果ててしまっています。
神様の憩いを得る方法は、御霊によって祈ることです。
それはあなたの電源を、神様の充電スタンドに差し込むような感じです。
御霊による祈りは、あなたが神の力を働かせていくためにあなたを充電するだけではなく、あなたを憩わせるものでもあるのです。
聖書は「主は永遠の神、疲れることも、たゆむこともない」と言っています。
御霊によって祈る時、疲れることなく、たゆむこともないーそれは諦めない、止めないという事ですーという同じ力があなたの上にやって来るのです。
耐え抜き、そしてあなたの目の前に置かれている競争を走り続けるためにです。
ハレルヤ!
ペンテコステの力はあなたにどのような力を与えるのでしょうか?
1つ目は、使徒2章にある通り、信者達が御霊によって祈ることができるようにするのです。
彼らは異言で祈りました。
神様は彼らにその力、能力を与えてくださいました。
神様が今日、最初にあなたに与えてくださるのはその力です。
皆さんの中には、聖霊のバプテスマをすでに受け、かつて御霊によって祈ったことがある方もいるかもしれません。
しかし、聖書は「1度だけ祈ればいいんだ」とは言っていません。
エペソ5章18節はこのように言っています。
「また、酒に酔ってはいけません。
そこには放蕩があるからです。
御霊に満たされなさい。」
御霊に満たされ続けるのです。
聖霊によって満たされ続ける。
一度きっりのものではないんです。
あなたは過去に御霊に満たされたことがあるかもしれません。
しかし、神様に、新たに満たしてくださるように求めてください。
ダビデは言いました。
「あなたは私に新しい油を注がれました。」
「昨日の油は十分ではない。私は新しい油が欲しい。新しい力が欲しい!私は、神の新鮮な働きに飢え渇いている!聖霊の力によって、私は新しい事をしたい!」
神様は、「わたしは新しいことをする。それが告げられても、あなたがたは信じまい」と言われました。
聖書は「義に飢え渇いている者は満たされる」と言っています。
皆さんの中には、1978年に神様と出会う体験をして、それからずっとその体験だけで生きて来られた方もいるかもしれません。
神様はあなたに1度だけの出会いを与えたいのではありませんよ。
あなたにこれでもかというほど沢山の出会いを与えたいと思っておられるんですよ!
使徒2章で初代教会は聖霊で満たされましたが、使徒4章でもう彼らは御霊の新鮮な満たしを神様に求めていました。
「ああ、大丈夫です。私はもうすでに聖霊で満たされていますから。そのテストには合格していますから」と言うようになってしまってはだめです。
聖霊様との力強い生き生きとした関係を持ち、日々聖霊様に満たしてもらう必要があります、
ハレルヤ。