この前、ケネス・ヘーゲン・ジュニア著「永遠に確立されたいやし」という本を読んでいた時に、本当にビックリする事を知りました。


6世紀の終わりまで、クリスチャン達は、聖書に教えられているように神の癒しを堅く信じていて、いやしはいつでも神のみこころであり、病いや患いは悪魔的な圧迫であって、どういう場合もイエスの御名による祈りによって癒されるべきであると信じていたそうです。


実際、初代教会の教父達であるユスティノス、イレナエウス、オリゲネス(西暦165年や250年の記録)や3世紀、4世紀に生きた著名な神学者クレメンスや教会の監督はその時代にイエスの御名によってなされた癒しを記録しています。


しかし、西暦590年に教皇グレゴリウス一世が即位すると、それまでの神の純粋なメッセージは、病いや患いは神がご自身の子ども達を懲らしめる方法の一つであるというグレゴリウスの信念によって、あいまいなものとされ始めたそうです。


彼は、病気を悪魔的な圧迫の結果と見る代わりに、神の訓練と怒りのむちと考えました。


彼の考えが人気を得るにつれ、病気はもはや敵の業であるとは広く考えられなくなり、病気はどういう場合でもいやされるべきであるということも、もはや考えられなくなったそうです。


そして多くのクリスチャン達は神がいやしを願っておられることを疑い始めるようになりました。

グレゴリウスの考え方が広められ、教会全体の中で神の超自然的な力の現れの勢いがくじかれ、それは16世紀の宗教改革までつづいたそうです。



イエス様は言われました。
「盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。」(ヨハネ10:10)と。


そして聖書はこのように言っています。

「主であるわたしは変わることはない。」
(マラキ3:6)

「わたしは主。あなたをいやす者である。」(出エジプト15:26)

「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。
だが、私たちは思った。
彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。
彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」(イザヤ53:4-5)


「夕方になると、人々は悪霊につかれた者を大ぜい、みもとに連れて来た。
そこで、イエスはみことばをもって霊どもを追い出し、また病気の人々をみないやされた。
これは、預言者イザヤを通して言われた事が成就するためであった。
『彼が私たちのわずらいを身に引き受け、私たちの病を背負った。』」(マタイ8:16-17)


「イエスは舟から上がると、多くの群衆を見、彼らを深くあわれんで、彼らの病気をいやされた。」(マタイ14:14)


「さて、ツァラアトに冒された人がイエスのみもとにお願いに来て、ひざまずいて言った。『お心一つで、私をきよくしていただけます。』
イエスは深くあわれみ、手を伸ばして、彼にさわって言われた。
『わたしの心だ。きよくなれ。』
すると、すぐに、そのツァラアトが消えて、その人はきよくなった。」(マルコ1:40-42)


「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。
それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。
キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」(Ⅰペテロ2:24)


「愛する者よ。
あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。」(Ⅲヨハネ2)


「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。」(ヘブル13:8)


イエス様は一人一人を憐れみ、癒したいと思っておられます。

長年、病で苦しみ、祈ってきたけれどなかなか癒されなかったがゆえに、落胆し、癒しを諦めてしまったかもしれません。

でもイエス様は変わりません。神のみことばも決して変わりません。

どうぞ、イエス様に癒しを求めてください。
そして祈ったら、もうその祈りはかなえられたと信じ、「キリストの打ち傷によって私はいやされた」と声に出して宣言し始めてください。

イエス様はあなたを愛し、あなたのことを気にかけておられます。イエス様は良いお方です。主はあなたを、またあなたの大切な人を癒してくださいます。