主の前で礼拝する者となる

アンドレス・ビソニ

「主の御前でへりくだりなさい。そうすれば、主があなたを高くしてくださいます。」


自分の心が高慢になっていくのを感じ、自分の心が神様の事柄にたいして冷ややかになっていくのを感じるなら、それは不信仰が心にやって来たり、神様の事柄に失望を感じ始めているからかもしれません。


自分が期待していたようには答えられなかったかもしれない。


神様に願ったとおりのことが、自分の人生で起こらなかったのかもしれません。

その事によって、あなたの心は神様の事がらにたいして硬くなってしまっている。



そうであるなら、これが答えです。


ひれ伏して、礼拝するのです。


ひれ伏して、礼拝する。


その場所にとどまる必要があります。



あなたが神様に用いられ始め、奇跡が起こり、人々が救われていくのを目にし始め、ミニストリーが成長していき、人生が変化していくのを目にするようになるかもしれません。


その時もひれ伏し、主を礼拝するのです。


主の臨在の中でへりくだる、という姿勢を保ち続ける必要があります。



もしあなたが主の臨在を求めているならば。


ヨハネ12章。


「イエスは過越の祭りの6日前にベタニヤに来られた。

そこには、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロがいた。

人々はイエスのために、そこに晩餐を用意した。そしてマルタは給仕していた。

ラザロは、イエスとともに食卓に着いている人々の中に混じっていた。

マリヤは、非常に高価な、純粋なナルドの香油3百グラムを取って、イエスの足に塗り、彼女の髪の毛でイエスの足をぬぐった。

家は香油のかおりでいっぱいになった。」


イエス様がベタニヤに来られた3回目の時。


イエス様はマルタとマリヤとラザロのいる村に来られました。


この時は、イエス様の人生で難しい時でした。もしかしたら一番困難な時だったかもしれません。


聖書は、「過越の6日前だった」と言っています。



イエス様は、6日後に自分が十字架にかかることを知っておられました。

誰も知りませんでしたが、イエス様は何が起こるか知っていました。



6日後には、自分の体が砕かれ、自分が愛していた人達から拒絶され、つばをかけられ、背中をムチ打たれ、十字架に釘づけにされ、

無実でありながら血を流し、

死が、普通の死ではなく、犠牲の死、拷問による死が自分の人生にやって来ることをご存知だった。



その事が起こる数日前のイエス様のストレスを想像してみてください。



聖書は、イエス様はゲッセマネで血の汗を流された、と言っています。



主はいともたやすく、十字架に背を向けることもできました。

しかし、十字架に向かって歩いて行かれたのです。



人々がイエス様を殺したのではないのです。

イエス様が、私達のために、ご自分の命をささげられたのです。



この困難な時に、イエス様は別の村に行くこともできましたが、マルタとマリヤとラザロがいる村を選ばれたのです。



マリヤはイエス様がおられる部屋に入って来て、イエス様の元に行きました。



彼女は誰かからの許可も求めず、周りの人にどう思われるかも気にしていませんでした。

人々の意見も気に留めず、非常に高価な香油を携えて彼女は真っ直ぐイエス様のもとにやって来ました。

その香油は、あなたが1年間丸々働いて得られる給料に価するものでした。



彼女はそれをイエス様の足元に全て注ぎました。


「ちょっと待って、計算させて。えっと、10%はいくらかしら。よし。じゃあこれは献金して」

ではなかったのです。



彼女は全てを、全てですよ !

全てをイエス様に注いだんです!

自分のために1滴も残すことなく全てを、イエス様の足に注いだ!

そしてイエス様を礼拝し、自分の髪の毛でイエス様の足を拭った。



そしてその香油の香りが部屋中に満ち溢れたのです。

雰囲気が変わりました。

一人の女性の犠牲の伴う礼拝のゆえです。


この箇所が私達に語っていることは何でしょうか?

「あなたは礼拝者にならなければならない」



あなたは自ら進んでイエス様を礼拝する必要があります。

あなたが主を礼拝する時、あなたの人生、家庭、教会の雰囲気に変化が起こります。

なぜなら礼拝は、聖霊様の臨在を引きつけるからです。



礼拝は、あなたのうちにおられる聖霊様の臨在を現すのです。

またあなたを通して、他の人達に現れるのです。



聖書はこう言っています。

「しかし、神に感謝します。

神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝利の行列に加え、至る所で私たちを通して、キリストを知る知識のかおりを放ってくださいます。」



私はこの箇所が大好きです。

あなたが礼拝者であるなら、あなたを通して何かが発散されているのです。



それはキリストを知る知識の香りです。



キリストを知る知識の香りとは何でしょうか?

それは聖霊の油注ぎと臨在です。

それが雰囲気を変えるのです。

それが部屋の、教会の、家庭の雰囲気に変化をもたらすのです。



あなたが主を礼拝し始めるなら、あなたは自分の人生に変化が起こるのを目にするようになります。



悲しみ、鬱、苦しみ、恐れ、病、病気があった場所に、突如として喜び、平安を感じるようになり、癒しや変革を目にするようになるのです。



なぜなら雰囲気が変わったからです。



知識は雰囲気を変えません。

素晴らしい説教も雰囲気を変えません。

神学、知識、どれも素晴らしいし大切ですが、雰囲気を変えるものではありません。



礼拝者達が霊とまことによって主を礼拝する時に、雰囲気が変えられていくのです。



ずっと前に、私はある教会でメッセージをすることになりました。

2晩そこにいたのですが、最初の晩はワーシップメンバーが檀上に沢山いて、ありとあらゆる楽器を用いていました。


彼らは本当に素晴らしく、プロでした。

正真正銘のプロで、ショーをしているような感じだったんです。

終わった時には、皆が立ち上がって拍手するほど素晴らしかったんです。

なぜなら完璧なパフォーマンスだったからで

す。



次の晩、私はワーシップチームが出て来るのを待っていました。

ところが出て来たのは、18,19,20歳位の若い男の子でした。

彼一人と小型のピアノ。


「あーあ、どうなることやら」と思いました。そうでしょ。



エルサルバドル出身の青年とピアノ一本。

その集会のためにエルサルバドルから呼ばれていたんです。



彼がピアノの後ろに立ちました。

私達も全員立っていました。


彼がポンと一音鳴らしました。

シュー。

今でも覚えています。

何かがその場所に落ちてきたような感じでした。

その場所の雰囲気が変わりました。

彼が賛美を終える時には、神の臨在の中でその部屋にいた人達が一人残らず全員、泣きながらひれ伏していたのです。



彼は、神を知る知識の香りを放っていたのです。

彼は演奏をしていたのではなく、イエス様を礼拝していたのです。



イエス様を礼拝していた。



最初のバンドチームは音楽に精通していました。

2番目の青年は、音楽を造られた方を知っていたのです。

音楽を造られた方を。



香りというのは、非常に興味深いです。

というのも、肉の目で香りを見ることはできませんが、気づくことができるからです。



それと同じように、油注ぎをや聖霊様の臨在を目で見ることはできませんが、人々はそれに気がつくことができるのです。

あなたが主の臨在を携えているなら、学校にいる人達はそれに気づくことができる。

あなたの職場の人達も、家族もそれに気づくのです。



なぜなら、御霊はあなたを通してキリストを知る知識を証しているからです。

主の臨在は、あなたが行く所どこでも、イエス様を現していきます。



だからこそ、聖霊の臨在の下でイエス様を証する事は素晴らしいんです。

なぜなら、あなたの言葉が人々の心に触れ始めるからです。



そしてあなたは、彼らの心に証し、イエス様を現わしているのは自分ではなく、聖霊様だと分かるのです。