イエスの血潮
〜契約の保護力〜
(Unsplash)
TJ Malcangi

血の契約とは何でしょうか?

北米において、とりわけ西欧諸国の私達は、あまり理解していません。

これから話すことによって、
これは悪魔的な教えだ。TJの教えはもう聞くべきではない、血の契約なんて、悪魔的で魔術的だ」と思わないでください。

私は、これを他の人達とやってくださいとは言っていません。
手を切って、ビジネスパートナーとか、友人達と血の契約をしてください、とは言っていませんよ。
キリストと私達との間の血の契約以外のものは全て、悪魔的です。


しかし、神が血の契約をした最初の人間はアダムでした。
アダムから人類が始まったので、この血を流して契約するというメンタリティーが地球全体に広がったのです。
それゆえに、多くの部族が今でも血を流して契約を結ぶという儀式を行っています。


悲しいかな、彼らは、西欧諸国の教会よりも、血の契約についてよく理解しています。
彼らは、悪魔的な目的で行っていますが、それでも血の契約の価値を理解しているのです。


デイビッド・リビングストンという宣教師がアフリカにいました。
アフリカがまだ未伝地域だった頃の話しです。
リビングストンは部族の族長達と知り合いになり、彼らが互いに血の契りを結ぶのを目にするようになりました。
彼らが何をしているのか、そしてそれはどのような意味があるのかを彼は観察しました。
しばらくの間、彼はそれに関わりたくないと思い、その事を口にすることもありませんでした。
興味はそそられましたが、悪魔的な宗教的儀式だと彼は思っていました。
なので彼は血の契りを結ぶことはしませんでした。


しかしある日、主が彼に、神のみことばから、彼らの血の契りは、神様が私達人間としてくださった契約と似ていることを示されました。
もちろん、彼らの血の契りは、悪魔が本物をパクったものですが、彼らから非常に価値あることを学ぶことができる、と語られたのです。
それから彼は、神が人間と結ばれた血の契約について、族長達に語るようになりました。
その後から、彼は今だかつてなかった程宣教が上手くいくようになったのです。


なぜなら彼らは、現代の西欧諸国の教会よりも、人が体のどこかを切って血を流して誰かと契りを結ぶことの意味を知っていたからです。
Ⅰコリント11章で、イエス様は、杯を手にして「これはわたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行いなさい。」と言われました。


イエス様は、「わたしはわたしの血を流して、あなたがたと契約を結ぶ。」と言われたのです。
デビッド・リビングストンは、それを用いて部族の人達に福音を語りました。
彼らはそれを理解しました。
彼の他のメッセージよりも、このメッセージで多くの人が改心したのです。
彼らの多くが神様のもとに押し寄せ、悔い改め、イエス様を信じました。
彼は、そのメッセージのゆえにアフリカの多くの地域に大変革をもたらしたのです。


彼らが結んでいた血の契りとは一体なんだったのでしょうか?
今でも、ある部族地域においては行われ続けています。
一つの部族が、別の部族、あるいは族長が別の族長と、個人が個人と血の契りを結んでいた理由はこれです。

1番。
部族が経済的に豊かではない、家畜があまりいないなど弱くて、他の部族から脅されている場合、彼らは自分達よりも力のある部族と血の契りによって同盟を結びます。
そのことによって強い部族が所有しているものと保護の権利が彼らに与えられます。


2番目。
2人の間でビジネスパートナーシップを結ぶようなものです。
それぞれが手の平をナイフで切って、その血をお酒に数滴たらして、混ぜ合わせます。
そしてそれを、両方が飲みます。そのことによってビジネスの契約を結び、「私はあなたを騙さない。そしてあなたも私を騙すことはしない。」と約束したのです。
そしてその契りを守りました。


デイビッド・リビングストンは、「アフリカ部族の間で、血の契りが破られたという話しは一度も聞いたことがない。」と言っています。
彼らは、徹底的に契約を守ったのです。


3番目は、愛のゆえです。
この場合の愛は同性愛を意味しますが、ある男性が別の男性を愛し、献身している時に血の契約を結ぶのです。
Ⅰサムエル18章3節でヨナタンとダビデは実際に血の契約を結んでいます。
彼らは同性愛者ではありませんでしたが、互いに愛し、献身し合っていました。
契約を結ぶことによって一つとなり、「私はあなたの後ろ盾になります。そしてあなたも私の後ろ盾になります」と言っていたのです。


ヨナタンとダビデの時代からアフリカの部族時代に至るまで、血の契約はどのように行われていたのでしょうか。
部族は、血の契約を結ぶ時に、それぞれの友人や親族、そして祭司が証人として集まります。
そして、贈物を交換します。
ヨナタンも自分のよろいを脱いで、それをダビデに着せました。


彼らはそれぞれの最も価値あるものを相手に与えました。
ヨナタンの場合は、自分の武具をダビデに与えました。
それは、「私にとって価値あるものをあなたに与えたので、私が所有している他のものは全て、あなたのものでもあるのです」という意味でした。

それから彼らはナイフで手を傷つけ、その血を一つの杯に入れて混ぜて、お互いにそれを飲みました。
そのようにしてお互いの血が混じり合うことによって、契約の中に入ったのです。

あるいは互いにナイフで傷つけた手を握ります。


スタンリーという宣教師がいました。
彼は病気で弱くなっていました。彼の宣教師仲間達は、宣教地に出かけていて何か月も不在でした。
彼は一人残され、次第に体は弱っていきました。
すると村人達が、それを良い事に、彼のものを盗みに来るようになりました。
彼は弱り果てていたので、なすすべもありません。
それでどうしたかというと、本当はしたくなかったのですが、その村の族長と血の契りを結ぶことにしました。
そうすることによって、他の村人達に自分の持ち物を奪われたり、殺されないようにするためでした。


通訳を介して、族長と血の契りを結ぶことに合意し、指定の場所に行きました。


彼は、持ってくるようにと言われた自分の最も価値あるものを持って行き、族長も一番価値あるものを持って来ました。

スタンリーは、唯一持っていた山羊を持っていきました。
スタンリーは腸が丈夫ではなく、唯一その不調を和らげてくれるのが山羊の乳だったのです。
族長に山羊を持って来いと言われたので、持っていき、それを族長に与えました。
すると、族長は杖を彼に渡しました。

その時、彼は馬鹿を見たような感じがしました。
「何かを生産するものを自分は与えたのに、その代わりにもらったのがこんな馬鹿げた杖か!?」

すると、通訳が歩み寄って、その杖はただの杖ではありませんよ、と言いました。

羊飼いが持っているような杖ではない、と。

「族長がたった今あなたに与えた杖は、非常に価値あるものです。それは族長の権威を表しているからです。
その杖を与えたことによって、族長が持っている全てのもの、族長にたいして人々が持っている敬意があなたに授けられたのです。
人々が杖を握っているあなたを見る時、それは族長自身を見ているのと同じことなのです。」


族長は、宣教師と血の契りを結ぶことによって、自分の評判、権力、権威、財産、すべてを彼に与えていたのです。
彼は、自分は損をしたと思いましたが、保護と援助と権力と最高の権威を手にしたのです。


それが人と人との間の契約です。
イエス様はご自身の血を流して私達と契約を結ばれました。


「これはわたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行いなさい。」とイエス様は言われましたが、
あまりにも多くのクリスチャンが聖餐を単なる儀式として行ってしまっています。


「あんまり意味がよく分からないけれど、イエス様を信じて洗礼を受けてから、毎月最初の日曜日に、パンとぶどうジュースが配られるからやっているんだよね。
神様を賛美します、って言ってね。多分、私の罪が赦されたことのためにやっているんだと思う。」


それ以上なんですよ!
イエス様がご自身の血を流され、私達がイエス様と血の兄弟となった時に、ヘブル2章だったと思いますが、「聖とする方(イエス様です)と、聖とされる者(私達)が一つとなり、主は私達を兄弟と呼ぶことを恥としない」と言っています。

私達が聖餐をする時に、イエス様の血を象徴するぶどうジュースを飲む時に、私達がイエス様と血の契約を結んだ時にイエス様の全ての力、いのち、権威、性質が私達のうちに移った事を理解して行うのです。


私達がイエス・キリストの杯の中のイエス様の血を飲むときに、それは神様の全てのご性質が私達のうちに与えられたということなのです。
私達の性質は取り去られました。
イエス様のご性質が私達の人生を圧倒的に完全に支配しているのです。
だから、イエス様はヨハネ6章で、「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのいのちを自分のうちに持っているのです。」と言われたのです。
ハレルヤ!


ある人達は、「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつか永遠のいのちを持って、天国に行くことができる」と読んでしまっています。

それ以上なのです。ここでいう「いのち」とは、「ゾーエ」で、「神のいのち」「神の性質」という意味なのです。
あなたがイエス様の肉を食べ、血を飲むとき、神の力の源を文字通り受け取っているのです。
イエス様のいのち、力があなたのうちにあり、かつてのような歩みをしなくなります。


あなたのすべてが変わったのです。
あなたのDNAが変えられたのです。
だからこそ、イエス様は「彼はわたしのうちにとどまり、わたしもその人のうちにとどまる。」と言われたのです。


イエス様のいのち、性質、力、源、健康、栄光、イエス様のすべてが私のもとにきて、私を支配するのです。
私のDNAは変えられました。私はイエス様と血の契約を結んでいます。


だからこそ、血の契約について理解することが重要なのです。


ライハンルト・ボンケ先生は、血の契約について語っていました。
するとアフリカ人の多くが簡単に救われるのです。
なぜなら、彼らは理解するからです。

「待てよ。私は、保護を得ようとして族長達と血の契りを結んできた。
でもいつもいつも上手くいくわけではない。
あなたは、全宇宙の神が、王の王、主の主が私と血の契約を結んでくださる、と言うのですか!?私はそれに関心があります!」

そして簡単に救われていくのです。

オイデッポ監督は、彼の教会で行われた聖餐式について語っていました。
白血病や鎌状赤血球貧血などの血液疾患から完全に解放されるのは珍しいことではなく、聖餐式でよく起こっていると語っています。
なぜなら、霊的理解では、輸血が行われていて、私の血液がイエス様の血に取って代わられるからです。
(訳者注:聖餐をする時に、多くの癒しが起きています。キリスト教を伝道していたという事で何度も牢獄に入れられ、拷問を受けたブラザー・ユン(「天国の人」の著者)は、奥さんが
病気になり、毎朝2人で聖餐をするようになりました。その中で、奥さんの病は癒され、健康を回復しました。)


それでは血の契約を結ぶ時、一体何が起こるのでしょうか?
この血の契約の結果起こる7つの事とは一体何なのでしょうか?

続く