私達が普段、観ているもの、聴いているものは、私達に影響を与えます。
影響を受けない人はいません。

イエス様を信じるクリスチャンとして、私達は、心を守りなさい。と神様に言われています。


「わが子よ。私のことばをよく聞け。
私の言うことに耳を傾けよ。
それをあなたの目から離さず、あなたの心のうちに保て。
見いだす者には、それはいのちとなり、その全身を健やかにする。
力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。
いのちの泉はこれからわく。」(箴言4章20-23節)


私達の心の扉、窓はどこでしょうか。
それは目と耳です。


つまり、私達の心は、私達が見るもの、聞くものによって明るくもなり、暗くもなります。
また、聖霊様にたいして、敏感にもなり、鈍感にもなります。


「からだの明かりは目です。
それで、もしあなたの目が健全なら、あなたの全身が明るいが、もし、目が悪ければ、あなたの全身が暗いでしょう。
それなら、もしあなたのうちの光が暗ければ、その暗さはどんなものでしょう。」(マタイ5章22-23節)


ではどのようにして、私達はこれは見ても、読んでも、聞いても大丈夫だ。
これはやめた方がいいと判断できるのでしょうか。


最近、本棚にあったマリーン・キャロザース師著「聖なる楽しみ」にこのようなことが書いてありました。


「私は好んでテレビを見ましたが、次第に度を越し、俗悪番組などを見ても平気で受け入れることができるようになってしまいました。
こういったことを毎日続けていると、悪に対しても慢性化し、我々のモラルの基準も変わってしまうのです。・・・・・


イエスさまはこのように言われました。
『もしあなたのうちの光が暗ければ、その暗さはどんなでしょう。』(マタイ6:23)
もし私の心の中に暗さを入れたら、私の中の光は暗くなってしまうでしょう。
これこそ私が時々体験した霊的無気力を説明するものなのでしょうか。・・・・・


『そのためには、主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい。
実を結ばない暗やみのわざに仲間入りしないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。』


私は、神様が果たしてテレビガイドにある番組に満足しているかどうか知らなけばなりませんでした。
そして神様が映画をどのように評価しているのかも知らなければなりませんでした。
もし神様がそのようなものを嫌っているのでしたら、私はどうしたらいいのでしょうか。
どんな番組ならイエスさまは喜んで私の家の居間に座って私とテレビを見てくださるでしょうか。」



この漫画、本、映画、テレビ番組、動画、音楽は、イエス様が隣で一緒に見てくれる、聴いてくれるだろうか?

これを一つの判断基準にして、もし答えがNoなら、やめましょう。


もう一つは、漫画や本を読んだり、映画などを観ている時に、聖霊様が「やめなさい。」と言われたら、やめるということです。



「私は言います。
御霊によって歩みなさい。
そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。
なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。」
(ガラテヤ5章16-17節)


「思い違いをしてはいけません。
神は侮られるような方ではありません。
人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。
自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。」
(ガラテヤ6:7-8)


この世が提供してくるものは魅力的で刺激に満ちています。
それにNo!と言うことは容易いことではないかもしれません。
特にそれが習慣化している場合は。
肉の欲望にNo!と言うことも容易いことではありません。


そこには戦いがあるかもしれません。


でも必ず、聖霊様に従って良かったと思うはずです。
必ず祝福を受けます。


「ですから、あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストの現れのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。

従順な子どもとなり、以前あなたがたが無知であったときのさまざまな欲望に従わず、あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なるものとされなさい。

それは、『わたしが聖であるから、あなたがたも、聖でなければならない』と書いてあるからです。」
(Ⅰペテロ1章13-16節)


この記事を読んでくださったお一人お一人に神様の祝福が豊かにありますように。