私達が聖さを徹底的に追及する事を神様が求められる理由
神様は、イスラエルの民がそれらの異邦の民を打ち破るなら、それらの民を倒すと約束され、神様が私達に与えているパートナシップについて明らかにされました。
そのパートナーシップというのは、私達の従順と(神様への)依存、そして神の力と一体化した信仰です。
神様はイスラエルの民に、約束の地で敵と何の契約もしてはならない、彼らを完全に聖絶し、容赦してはならない、と警告されました。
「あなたは、あなたの神、主があなたに与えるすべての国々の民を滅ぼし尽くす。彼らをあわれんではならない。また、彼らの神々に仕えてはならない。それがあなたへのわなとなるからだ。」(申命記7章16節)
「あなたの神、主は、これらの国々を徐々にあなたの前から追い払われる。あなたは彼らをすぐに追い払うことはできない。…あなたの神、主が、彼らをあなたに渡し、彼らを大いにかき乱し、ついに、彼らを根絶やしにされる。」(申命記7章22-23節)
そのパートナーシップというのは、私達の従順と(神様への)依存、そして神の力と一体化した信仰です。
神様はイスラエルの民に、約束の地で敵と何の契約もしてはならない、彼らを完全に聖絶し、容赦してはならない、と警告されました。
「あなたは、あなたの神、主があなたに与えるすべての国々の民を滅ぼし尽くす。彼らをあわれんではならない。また、彼らの神々に仕えてはならない。それがあなたへのわなとなるからだ。」(申命記7章16節)
「あなたの神、主は、これらの国々を徐々にあなたの前から追い払われる。あなたは彼らをすぐに追い払うことはできない。…あなたの神、主が、彼らをあなたに渡し、彼らを大いにかき乱し、ついに、彼らを根絶やしにされる。」(申命記7章22-23節)
興味深いことに、申命記での主の誓いは、私達が耐えることができないほどの試練(誘惑)に私達を会わせないという、Ⅰコリント10章13節での主の約束とよく似ています。
再び私達は、私達の真剣な聖さの追求と、私達の戦いを戦うために解き放たれる主の力、というパートナーシップを目にします。(ユダ24節、Ⅰペテロ1章5節、詩篇37篇23節、55篇22節)
問題発生
ヨシュア7章11-12節で、聖書は、イスラエルの民が神様の命令に従わなかった時に彼らの身に降りかかった事を述べています。
ヨシュア7章11-12節で、聖書は、イスラエルの民が神様の命令に従わなかった時に彼らの身に降りかかった事を述べています。
主は、彼らのために彼らの敵を打ち負かすのを止めました。
時が経つにつれ、彼らはその土地の住民と結婚し、彼らの神々に従い始めるようになりました。これはまさに神様が避けようとしてきた事でした。
どうやらイスラエルの民は、自分達は神様よりも賢くて憐み深く、禁じられた戦争の略奪品を得る権利があると思い込んだようです。
新しい約束の地
これら全ての事は、私達が今日経験している罪との戦いの前触れであった、と私は思います。
・私達が入った約束の地は神の御国です。
時が経つにつれ、彼らはその土地の住民と結婚し、彼らの神々に従い始めるようになりました。これはまさに神様が避けようとしてきた事でした。
どうやらイスラエルの民は、自分達は神様よりも賢くて憐み深く、禁じられた戦争の略奪品を得る権利があると思い込んだようです。
新しい約束の地
これら全ての事は、私達が今日経験している罪との戦いの前触れであった、と私は思います。
・私達が入った約束の地は神の御国です。
徹底した、たゆまない信仰によって入ることができる御国です!(ルカ11章20節、12章32節、17章21節)
・私達の約束の地における戦場は、思考です。それはヘブル語で、心を含めた思いのことです(ローマ12章1-2節)。
・敵は、思考に存在する偶像の要塞です。
情欲、貪欲、憎しみ、その他もろもろです(マタイ15章19節、ルカ12章34節)。
戦いへと招いている旧約と同様、私達は、戦場でのイスラエルの民のように、私達の戦場で敵にたいして情け容赦なく立ち向かわなければいけません。
そうしなければ、私達は彼らと同じ目に遭います。
もし私達が情け容赦なくとどめを刺さなければ、敵は再び立ち上がり、私達を偶像崇拝へと連れ戻すのです。
力によって天の御国を奪い取る
聖書は、イエスを信じる者達は、力によって御国を奪い取らなければならないと教えています(マタイ11章12節、ルカ16章16節)。
戦いへと招いている旧約と同様、私達は、戦場でのイスラエルの民のように、私達の戦場で敵にたいして情け容赦なく立ち向かわなければいけません。
そうしなければ、私達は彼らと同じ目に遭います。
もし私達が情け容赦なくとどめを刺さなければ、敵は再び立ち上がり、私達を偶像崇拝へと連れ戻すのです。
力によって天の御国を奪い取る
聖書は、イエスを信じる者達は、力によって御国を奪い取らなければならないと教えています(マタイ11章12節、ルカ16章16節)。
New American Standard Study Bibleの脚注は、ここで言っている力とは、御国の福音に応答する人々の凄まじい程の真剣さと決意のことだとと語っています。
現代の教会にある最大の問題の一つは、私達が神の御国を徹底して、激しく、力で奪い取ってないことです。
現代の教会にある最大の問題の一つは、私達が神の御国を徹底して、激しく、力で奪い取ってないことです。
事実、この世代は聖さにたいして情熱を示すことがほとんどありません(マタイ17章17節、ルカ11章29節、使徒2章40節、ピリピ2章15節)。
それよりも私達は、「スーパーでの買い物」のように聖さを求めています。
こういう風に。
「神様、この領域では私を聖くしてください。でも他の領域ではほっといてください。」
神の御国はスーパーマーケットではありません!
私達が聖くなりたいなら、全ての面で聖くされることを願う必要があります。
ここは聖くされたいけれど、ここは世的でいたいと選りすぐりする人達は、神様に服従していません。
そのような人達は、自分自身の神として振る舞い続けているのです(マタイ7章21節、ルカ6章46節)。
神様の前に、別の神(自分自身)を置き続けているのです(出エジプト記20章3節)。
罪の奴隷であることをやめる
私達は罪の奴隷をやめるようにと召されています(ヨハネ8章34節、Ⅱペテロ2章19-22節)。
しかも無慈悲極まりない態度でそうするようにと。
この無慈悲さとは、主が良いお方であり、主はご自分の約束を忠実に果たされる、という私達の主にたいする完全な信仰心を示す、恐れのない心のことです。
オズワルド・チャンバーズはかつてこのように記しました。
「全ての罪の中心核は、神様が良いお方であることへの疑いです。」
ある意味では、私達が罪を犯す度に、私達は神様の良さを疑っているのです。
主の約束は私達の益のためであり、主の命令は私達を守るためであり、拘束するものではないことを疑っているのです。
これらのことを正しく理解することによって、主への愛は喜ばしい従順を通して最も完全に現わされることに私達は気づけるようになるのです(ヨハネ14章15-21節、23-24節、ヘブル2章1-4節、3章12-15節、10章26-31節)。
ここは聖くされたいけれど、ここは世的でいたいと選りすぐりする人達は、神様に服従していません。
そのような人達は、自分自身の神として振る舞い続けているのです(マタイ7章21節、ルカ6章46節)。
神様の前に、別の神(自分自身)を置き続けているのです(出エジプト記20章3節)。
罪の奴隷であることをやめる
私達は罪の奴隷をやめるようにと召されています(ヨハネ8章34節、Ⅱペテロ2章19-22節)。
しかも無慈悲極まりない態度でそうするようにと。
この無慈悲さとは、主が良いお方であり、主はご自分の約束を忠実に果たされる、という私達の主にたいする完全な信仰心を示す、恐れのない心のことです。
オズワルド・チャンバーズはかつてこのように記しました。
「全ての罪の中心核は、神様が良いお方であることへの疑いです。」
ある意味では、私達が罪を犯す度に、私達は神様の良さを疑っているのです。
主の約束は私達の益のためであり、主の命令は私達を守るためであり、拘束するものではないことを疑っているのです。
これらのことを正しく理解することによって、主への愛は喜ばしい従順を通して最も完全に現わされることに私達は気づけるようになるのです(ヨハネ14章15-21節、23-24節、ヘブル2章1-4節、3章12-15節、10章26-31節)。
イスラエルの民が約束の地に入る時に神様が彼らに求められた無慈悲さ。
それと全く同じ無慈悲さが、私達の罪の力との戦いの中で求められているのです。(エペソ5章3-14節、コロサイ3章5-10節)
神様は罪の力を滅ぼしたいと願っておられ、またそのようにしてくださいます。
もし、私達が積極的に聖さを追い求め、主が私達のために戦ってくださることを当てにするならば。(Ⅰサムエル17章47節、Ⅱ歴代誌20章15節)
「私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。
もし、私達が積極的に聖さを追い求め、主が私達のために戦ってくださることを当てにするならば。(Ⅰサムエル17章47節、Ⅱ歴代誌20章15節)
「私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。
ただ捕らえようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。
兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。
ただ、この一時に励んでいます。
すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、
キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」(ピリピ3章12-14節)
妥協した信仰の実
私達の問題は、しばしば自分の力、自分の知恵で神の敵に打ち勝とうとすることです。
もしくは、それらの敵と妥協してしまい、恵みの時である今、それらの敵を比較的些細なものとして扱ってしまうことです。
キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」(ピリピ3章12-14節)
妥協した信仰の実
私達の問題は、しばしば自分の力、自分の知恵で神の敵に打ち勝とうとすることです。
もしくは、それらの敵と妥協してしまい、恵みの時である今、それらの敵を比較的些細なものとして扱ってしまうことです。
キリストが罪の刑罰を取り除いてくださったという事実をいいことに、私達は妥協というサルガッソー海でもがいています(ローマ6章1-7節)。
残念なことに、私達にたいする罰は、イスラエルの民にたいする罰と似たものとなることでしょう。
敵に妥協しつづけるなら、やがて、神様は守りの御手を私達の上から取り去られるのです。
神様の権威と力のもと逃げ去っていた悪霊の力が掃除してきちんと片付いた家に戻って来ます。それも初めより悪く、より力強い7つの霊も連れて来るのです。
結果的に、私達は初めよりも悪い状態になります。(マタイ12章43-45節)
「主であり救い主であるイエス・キリストを知ることによって世の汚れからのがれ、その後再びそれに巻き込まれて征服されるなら、そのような人たちの終わりの状態は、初めの状態よりももっと悪いものとなります。
義の道を知っていながら、自分に伝えられたその聖なる命令にそむくよりは、それを知らなかったほうが、彼らにとってよかったのです。」(Ⅱペテロ2章20-21節)
神様の権威と力のもと逃げ去っていた悪霊の力が掃除してきちんと片付いた家に戻って来ます。それも初めより悪く、より力強い7つの霊も連れて来るのです。
結果的に、私達は初めよりも悪い状態になります。(マタイ12章43-45節)
「主であり救い主であるイエス・キリストを知ることによって世の汚れからのがれ、その後再びそれに巻き込まれて征服されるなら、そのような人たちの終わりの状態は、初めの状態よりももっと悪いものとなります。
義の道を知っていながら、自分に伝えられたその聖なる命令にそむくよりは、それを知らなかったほうが、彼らにとってよかったのです。」(Ⅱペテロ2章20-21節)
神様にたいする敬虔な愛が、聖さの実を生じさせる
イエス様を信じる者達でも、程度の差こそあれ、この点で失敗しています。
そして心からの悔い改めにたいしては恵みがあります。(Ⅰヨハネ1章9節)
しかし重要なのは、戦いにおける失敗ではありません。
重要なのは、
・神様にたいする情熱的な愛によって確立された心、神の口から出るすべてのことば(マタイ4章4節)に従おうと動かされる心です。
・神様は私達の口の賛美だけではなく、私達の生活の賛美も受けるにふさわしいお方であるという明確な理解です。(エペソ4章1節、コロサイ1章10節、ヘブル3章3節)
・来たるべき世と同様、この世にあっても聖められたいという心からの願い、妥協しない願いです。(レビ記11章44-45節)
・私達の願いは神様の力と一体化して、罪の独裁権力から私達を自由にするという理解です。
イエス様を信じる者達でも、程度の差こそあれ、この点で失敗しています。
そして心からの悔い改めにたいしては恵みがあります。(Ⅰヨハネ1章9節)
しかし重要なのは、戦いにおける失敗ではありません。
重要なのは、
・神様にたいする情熱的な愛によって確立された心、神の口から出るすべてのことば(マタイ4章4節)に従おうと動かされる心です。
・神様は私達の口の賛美だけではなく、私達の生活の賛美も受けるにふさわしいお方であるという明確な理解です。(エペソ4章1節、コロサイ1章10節、ヘブル3章3節)
・来たるべき世と同様、この世にあっても聖められたいという心からの願い、妥協しない願いです。(レビ記11章44-45節)
・私達の願いは神様の力と一体化して、罪の独裁権力から私達を自由にするという理解です。
神様と共に、あなたは罪に勝利することができます。
神様はいつも、私達が神様から与えられた召しを達成することができるようにしてくださるのです。
この事のために主を熱心に求めるなら、あなたは主を見つけることになります。(申命記4章29節、Ⅱ歴代誌15章2節、詩篇105篇4節、エレミヤ29章13節、ヘブル11章6節)
神様はいつも、私達が神様から与えられた召しを達成することができるようにしてくださるのです。
この事のために主を熱心に求めるなら、あなたは主を見つけることになります。(申命記4章29節、Ⅱ歴代誌15章2節、詩篇105篇4節、エレミヤ29章13節、ヘブル11章6節)
「ほめたたえよ。イスラエルの神である主を。主はその民を顧みて、贖いをなし、…われらを敵の手から救い出し、われらの生涯のすべての日に、きよく、正しく、恐れなく、主の御前に仕えることを許される。」(ルカ1章68、74-75節)
「あなたがたは、以前は自分の手足を汚れと不法の奴隷としてささげて、不法に進みましたが、今は、その手足を義の奴隷としてささげて、聖潔に進みなさい。」(ローマ6章19節)
「あなたがたは、以前は自分の手足を汚れと不法の奴隷としてささげて、不法に進みましたが、今は、その手足を義の奴隷としてささげて、聖潔に進みなさい。」(ローマ6章19節)
「いっさいの霊肉の汚れから自分をきよめ、神を恐れかしこんで聖きを全うしようではありませんか。」(Ⅱコリント7章1節)
Reprinted with permission from Charisma.
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「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」(使徒16章31節)
