これが無ければあなたの聖さはむなしい
グレタ・マルボ
「すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。」(エペソ1:4)
愛に根差していない聖さは真の聖さではありません。
愛に根差していなければ、表面的で厳しい、そして宗教的な聖さになってしまいます。
あまりに高尚で、手の届かない聖さに。
「わたしが聖であるから、あなたがたも、聖でなければならない。」(Ⅰペテロ1:16)
これは命令です。
しかしこれは同時に、私達の愛する主からの招きなのです。
私達が私達の愛する主と一つとなるための。
真実の愛は、自分の愛する人のようになっていきたいと願うものです。
「主よ、あなたが聖いから、私も聖くなりたい。
あなたを愛しているから、私の聖さが(私の中におられる)あなたを現わすものであってほしいです。」
聖さのない愛は肉的であり、この世的な愛です。
愛のない聖さは高慢であり、表面的です。
愛と聖さが結合されなければなりません。
それは、神様に向かうために私達をこの世から別つ心のことであり、身にまとわなければならない表面的なものではありません。
また(心からではなく、頭で)従う規則でもありません。
聖さには目的が必要です。
そうでなければ、愛と情熱の流れを阻止する単なるうわべだけの宗教や「すべき・すべからず」リストに成り下がってしまうのです。
聖さの目的は、神様と一つとなることです。
本物の聖さとは、神様と一つとなるために純粋さを求める情熱です。
花婿との混じりけのない一致を求める花嫁の情熱です。
聖さは愛によって燃え立たせられ、愛は聖さによって純化され、完全なものとされていきます。
聖さから愛を分けることもまたその逆も、私達の結婚生活、家族、教会にとって危険なものなのです。
聖さがなければ、クリスチャンの結婚生活の中で表される愛は、この世と何の変わりもありません。
結婚の床からイエシュアが取り除かれるなら、結婚の床は汚されます。
クリスチャンの結婚生活は情熱、聖さの両方において、キリストと教会の一致の現れとなるべきなのです。
それこそ全てのクリスチャンの結婚生活を、キリストが存在しないこの世の結婚生活とは全く違ったものとするものなのです。
キリストが結婚の床も含め、結婚生活のありとあらゆる領域におられるべきです。
愛から聖さを切り離す事が、教会における別居と離婚の原因となっています。
結婚生活(結婚の床)における愛のない聖さは、情熱が燃え立たないよう妨げてしまうのです。
聖さのない愛は、純粋さのよどみない流れをブロックしてしまいます。
どちらであれ、夫と妻の一致は、表面上の機械的な行為へと成り下がってしまうのです。
「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。
キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。
そのように、夫も自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。
自分の妻を愛する者は自分を愛しているのです。
だれも自分の身を憎んだ者はいません。
かえって、これを養い育てます。
それはキリストが教会をそうされたのと同じです。」(エペソ5:25-29)
人が自分の妻を愛する時、それは自分自身を愛することになります。
妻が自分の肉であるがゆえに、妻を養い育て、慈しむのです。
イエシュアはご自身を愛されるのと全く同じ方法で、ご自身の花嫁であり教会でる私達を愛されています。
「この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とをさして言っているのです。」(エペソ5:32)
イエシュアは私達に「聖く振る舞いなさい。」ではなく、「聖くなりなさい。」と言われています。
聖くあること、それは私達の主との一致と関係しています。私達は主と結びついているので、聖いのです。
「聖い振る舞いをすること」は、命令や規則に従って歯を食いしばって努力する事と関係しています。
聖くなるために、私達が主と一つである事により頼むのではなく、自分自身により頼んでしまっているのです。
私達が主との一致を通して、主が聖くあられるように自分も聖くなろうと全力を傾けるなら、私達の行いは歯を食いしばらなくても自然に聖くなっていくのです。
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「この方(イエス・キリスト)以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」(使徒4:12)
「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」(エペソ2:8-9)
