HIV陽性であり元同性愛者の証
カイル・ブラウン
ゲイのライフスタイルから立ち去ることは、「カミングアウト」をして、ゲイのライフスタイルに入って行った時とは違い、容易ではなかった。
私は「ゲイのクリスチャン」と自称し、自分なりの「キリスト教」に宗教的な満足感を覚えるために日曜日には教会に通っていた。
しかし、それ以外の曜日は、神様が存在しないかのような生活をしていた。
数年間、何人かの男性と付き合い、一つの虚しい関係から次の関係へと移ってもなお、私は自分の感情に従って生きるという選択に満足を覚えることができなかった。
そしてある時、絶望した私はよく考えもせずに、HIV陽性だったパートナーと無防備なセックスをしてしまった。
内に抱いていた自己嫌悪が現れたものであり、4か月後、HIV陽性と診断された。
この時が私の人生でどん底の時で、私は自分のことを愛してくれていた人達との付き合いを一切やめてしまった。
ようするに、私は「自分はひどい生活をしてきたんだから、この病気になって当然だ。」と感じていたのだ。
ある夜、ソファーに座りながらCNNを見ている時に、元レズビアンのジャネット・ボインズが「Pray the Gay Away?」という番組でリサ・リングに自身の証を語っているのを目にした。
それまで、神様が同性愛のライフスタイルから引き離してくれた事について誰かが語るのを聞いたことがなかった。
それまで耳にしてきたのは、「同性愛から異性愛になることは不可能だ」。それだけだった。
同性愛のアイデンティティを手放し、キリストにある新しいアイデンティティを神様に信頼して委ねるようにと、神様が私のことをも呼んでくださっていることを理解するまで何年もかかった。ようやく私は、2人の主人に仕えることはできないんだとはっきりと分かったのだ。
どちらかを愛し、どちらかを憎む、あるいはどちらかにしがみつき、どちらかを軽蔑するかだ(マタイ6:24)
自分の同性愛のアイデンティティから離れ、自由の中で生きることが可能なのだろうかと、疑いが沢山あった。
神様の御手によって、ジャネット・ボインズとジャネット・ボインズミニストリーズが共に手を差し伸べ、私が同性愛のライフスタイルから離れ去る最初の数か月間において有益な役割を果たしてくれた。それはもう一度最初から、歩き方を学ぶようだった。
このミニストリーを通して、同性愛のアイデンティティをイエス様の十字架の元において、神様から与えられたアイデンティティの中を信仰によって確信をもって歩いている人達を紹介してもらい、この事が私に、「自分はキリストの中にいるのだから、新しく造られた者であるのだ」という確信を与えてくれた。(Ⅱコリント5:17)
そしてまた神様は、素晴らしい教会の家族で私を囲んでくださった。
この家族の中に私のそれまでの歩みを知っている男性達もいた。
彼らは私の事を知り、神の男性、兄弟として私を励ますために時間を割いてくれた。
けれども、今や神の軍隊の中にいる私の勝利を悪魔が非常に嫌っているという事実に私は気がついていなかったのだ。
悪魔は、同性愛のライフスタイルから抜け出した最初の一年目は攻撃してこなかったので、私は「同性愛のライフスタイルを捨てるのは思ったよりもずっと楽勝じゃないか」と喜んでいた。
箴言16章18節は真実だったようだ。
というのも失敗する前の年に高ぶりがやって来たからだ。
もう一度男性と付き合いたいという願望はなかったが、同性に惹かれる事と性欲は無くなってくれなかった。
何年も、それらが消えて無くなるようにと祈ってきたが、毎日それらの思いと戦わなければならないことは苦痛でたまらなかった。
非常に親しかった祖父と伯母を3ヵ月という短い期間で続けて亡くした後の私は無防備で、元の木阿弥になってしまった。
キリストに従う者であるのに、自分から進んで慣れ親しんでいた習慣に戻ってしまったという現実と向き合った時、恥と罪悪感に襲われた。
どういうわけか私は、キリストに人生を捧げることは内面の葛藤と同性愛の葛藤から解放された人生へのチケットと同じものなんだと思っていたようだ。
自分の罪の重みを負っているという事実は明白だったので、教会で数人の男性達と弟子訓練を受けている最中に、自分の現状を正直に打ち明けた。
私の驚きをよそに、彼らは思いやりと恵みと強さのある反応を示し、2つの事を私に思い出させてくれた。
神様の恵みは十分であるので(Ⅱコリント12:9)、私の罪が神様を驚かすことはない事を。
もう一つは、神様の愛と優しさが私が悔い改め、罪から立ち返り、キリストに向かって歩いていくようにとさせるものであることを(ローマ2:4)
私は自分がつまはじき者、裏切り者、失敗者、ペテン師のように感じていたが、それは疑いと欺きを入れて来る敵の偽りを聞いていたからだという事に気づいた。
神様の愛の真理が私に押し寄せ、罪悪感、恥と恐れの鎖を溶かしてくれた。
その時から、毎日、自分の十字架を取って、主についていくようになっている。
葛藤がなかったわけではない。
イエス様に従っていくことは、イエス様の計画と目的に信頼することが求められる。
具体的な指示を求めていつもいつも地図を見るわけではない。
明け渡しと犠牲の人生へと私達は呼ばれている。
私は毎日失敗するが、自分が仕えている神様はすぐそばにいて私が倒れた時に起こしてくださる事を知っている。
どのような罪であれ、罪の生活から離れ去ることには戦いがつきものだ。
この事を理解するのは勝利のうちを生きるために、なくてはならない重要な土台だ。
「しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。」(Ⅰコリント15:57)
もしあなたが、同性に惹かれることであれ、自分の性別に関する事であれ、人からのレッテルであれ、自分自身のアイデンティティに葛藤を覚えているなら、あなたは一人ではないことを知ってほしい。
もし正直になるなら、葛藤があると認めない人は誰一人としていないはずだ。
自分自身の失敗をいちいち記録する必要はない。
それより大事なのは、全ての人のために死なれたお方に立ち返り、日々、自分自身を神様に明け渡し、キリストにあって私達が持っている赦しと新しい命を受け入れることだ。
HIV陽性であることを誇りに思う?
NetflixのQueer Eyeのスター、ジョナサン・ヴァン・ネスが最近、タイム誌のインタビューを受けた。
その中で、ジョンは自身がHIVコミュニティーの一員であることを誇りに思っていると明かしている。
不運な状況の中でも肯定的であり続けることは理解できる。
けれど、なぜ感染症にたいして扉を開く病や罪を美化するのか理解に苦しむ。
HIV陽性であることにどのような誇りを持つことができるというのだろうか?
感染者と無防備なセックスをして、自分自身も同じ病気に感染したことを誰が誇りに思うだろうか?
なぜこれが自慢に思い、堂々と宣言すべき素晴らしい事なのか理解することができない。
HIVはゲイコミュニティで蔓延している。ゲイコミュニティの沢山の尊い人達が、1999年にエイズで亡くなった私の兄ロバートのように、命を落としてしまっているのだ。
私達はHIVを美化する必要はない。
無防備にセックスする事の危険性について人々に教える必要がある。
誰かがエイズによって苦しむことは美しい事ではないと、教会の講壇から人々に警告しなければならない。
愛する人が病と闘って苦しんで叫んでいる姿を見るのは辛く、恐ろしいことだ。
その中の一体どこに美点があるというのか?
この病に感染した人達のために私達は祈り続けよう。
そして私達はまた、エイズによって愛する人を亡くした家族の事を覚えたいと思う。
この病を猛烈な勢いで蔓延させている不品行にたいして声を上げ、祈る時だ。
キリストの中に、そして人々を正しく教える事の中に、今もなお希望がある。
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「この方(イエス・キリスト)以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」(使徒4:12)
「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」(エペソ2:8-9)
