なぜ、すべての事に感謝すべきなのか?


リンダ・ソマー

「感謝」

この言葉は、この文化において使われなくなってきているように思えます。
人々は、人から「仕えられること」を期待しているようで、仕えてくれている人に感謝するなんて頭によぎりもしません。

ルカ17:11-37は、イエス様によってきよめられた10人のツァラアトに冒された人達について語っています。

癒してくださったことを感謝しにイエス様のもとに戻って来たのはたった1人だけでした。
イエス様は他の9人はどこにいるのですか?と聞かれ、その後に、あなたの信仰があなたを直したのです、と感謝を伝えに戻って来た人に言われました。

このツァラアトに冒されていた人がイエス様に感謝した時、他に何か起こったのでしょうか?
イエス様が10人を癒された時、彼も癒されてましたよね?

感謝した人は、ただ単に皮膚が癒されただけではなく、もっと深い癒しを受け取ったのだと思います。

心の癒しを受けたのです。

主に感謝するために戻って来たときに、彼の心は健やかになり、満ち満ちた神様の愛を受け取りました。
すべての事を主に感謝する時に、私達もまた、いつも心に癒しを受けるのです。

み言葉の中で、ありとあらゆる状況で、またすべての事について感謝するようにと、私達は強く勧められています。

かつて私は、すべての事について感謝しなさいと勧めているこのみ言葉に抵抗していました。
というのも、人生で経験していたいくつかの試練に感謝することは、私にとって難しいことだったからです。

しかし、これらの試練を振り返って見ると、神様がこれらの試練を用いて私の人格を築き上げ、また怒り狂ったり、苦々しさを抱いたりせずに厳しい試練を通っている私を通して、他の人達が神様の栄光を見るようにとされたことに気がつきました。

今、私はすべての事を、私を攻撃するためにサタンが使うのを神様が許されたものさえも感謝することができます。
私達を攻めるために作られる武器は、どれも役に立たなくなり、突極的にはサタンが私達を攻撃するために用いた武器は、私達の霊的戦いにたいする理解を深めたり、私達の人生に神様のご性質をさらに築き上げていくために、つまり私達の益となるために用いられるということを、いつも覚えとく必要があります。

恵みは感謝を通して満ち溢れます。
たとえどんなことを体験していたとしても、感謝の心を持っているなら、神様の恵みをさらに受けることができる正しい位置に自分を置いているのです。

どんな試練を通っていたとしても、私達にはいつでも何かしら感謝できるものがあります。

神様に感謝するものを一つも見つけることができないなら、眼球内の液体流動に感謝しなさい、と誰かが言っているのを聞いたことがあります。

私達は人生で、あまりにも多くの事を当然の事と思い込んでしまっているのです。
しかし、感謝の気持ちは、何事も当然のことと思ったりはしません。

感謝の心を持っている人は、すべてのことを神様からの贈り物として見ていて、神様に栄光を帰す人です。

私は、いつもぶつぶつ文句や不平不満を言う人達よりも、感謝している人達のそばにいたいと思います。
不平不満は、雰囲気をネガティブで一杯にしますが、感謝の心は、恵みと愛と喜びの雰囲気にします。

昔、よくこのような歌を歌っていました。

「肯定的な気持ちを増し、否定的な気持ちを取り除け/ポジティブであり続け、どっちつかずな奴には関わるな」

どっちつかずな奴とは悪魔のことです。
私達が感謝するかわりに、ぶつぶつ文句や不平不満を言う時はいつでも、悪魔にしがみついているのです。

主よ、私がいつも感謝の心を持つことができるように助けてください。

ヨシュア11:1-12:24、ルカ17:11-37、詩篇84篇1-12、箴言13:5-6を読んでください。

リンダ・ソマー
Around the Word in 365 Daysの著者。

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