昔は、「私を側湾症にした神様は非情な神様だ!」「すぐに癒されないから私は神様に愛されてないに違いない。癒やされるためにもっと良いクリスチャンにならないと。少しでも、へまをしたら、神様は癒して下さらない」と神様に対して怒りと憎しみ、そして恐れを感じていました。
でも結果的にこの病によって、神様の多くの恵み、深い愛を体験する事ができ、今は側湾症になった事を本当に感謝しています。
なぜなら、これがなかったら絶対に今の私はないからです。
けれど!私は神様が病を「与えた」とは思っていなくて、側湾症になる事を「許された」と思っています。
はっきり言います。
病気は悪魔からのものです。
今朝の礼拝のメッセージで新たにチャレンジを受けました。
そのメッセージの内容は……
「聖書のどこを見ても神様が病を与えたとは書いてない。むしろ、神様は癒やしの神様だと書いてある。けれど私達は『もし癒やされなかったら』と失望する事を恐れて癒やしを求めなくなってしまっている。でも諦めないで、癒やしを求め続けていきましょう。」
本当にそうです!
聖書の神様は病を与える神様ではなく、癒やして下さる神様。
確かに病が許される事によって、心が砕かれ、多くの恵みを体験する事ができます。
しかし!!
私達は病気の中に留まり続ける必要は全然ありません!
むしろ大胆に神様に、完全に癒やされるまで癒やしを求めつづけていいんです。
いやそれどころか、最後まで癒やしを求め続けていくべきです。
なぜなら神様ご自身がこう言われているから「私は主。あなたを癒やす者である」(出エジプト15:26)
ですから「祈ったけど癒やされなかった。きっと私が病気でい続ける事が神様の御心なんだよ」と言って諦めるのではなく、完全に癒やされるまで、失望せずに諦めずに、癒やしを求め、いやしのみ言葉を宣言し続けていきましょう!!
神様は皆さんからひとときも離れることなく、共に戦って下さっています!
病気が神様か?神様が神様なのか?
私達にとって病気が全能者となってしまってはいないでしょうか?
私達の人生の中心が病気となってはいないでしょうか?
私達が言う事なす事を病気がコントロールしていませんか?
私達が語る言葉は、自分の病も含めた全ての病の癒し主としてイエス様を称えているでしょうか?
それとも、イエス様よりもこの病の方が力があると、ほのめかしているのでしょうか?
確かに、これらの質問は自分自身に問いかけづらいものです。
私達が言う事なす事を病気がコントロールしていませんか?
私達が語る言葉は、自分の病も含めた全ての病の癒し主としてイエス様を称えているでしょうか?
それとも、イエス様よりもこの病の方が力があると、ほのめかしているのでしょうか?
確かに、これらの質問は自分自身に問いかけづらいものです。
しかし、自分の人生から病を追い出すためには、自分が何を崇めているのか知る必要があるのです。
病を宣伝する歩く広告塔になってはいませんか?
私達は、病の新しいイメージキャラクターなのでしょうか?
病のモデルとなってランウェイを歩き、病気を伝道していないでしょうか?
病にスポットライトを当ててきてはいませんか?
息をする度に、この病の力を強調していませんか?
私達は、病の新しいイメージキャラクターなのでしょうか?
病のモデルとなってランウェイを歩き、病気を伝道していないでしょうか?
病にスポットライトを当ててきてはいませんか?
息をする度に、この病の力を強調していませんか?
私は、私達が自ら進んで病を偶像化したとは思っていません。
そうではなくて、病気が徐々に私達の人生に忍び込み、いつの間にか私達は病に頭を下げ、病に振り回されてしまっているのだと思います。
けれども、私達はしっかりと立ち、信仰に満ちて、病をのろい、元いた場所、地獄の穴に戻っていくようにと命じる必要があるのです。
けれども、私達はしっかりと立ち、信仰に満ちて、病をのろい、元いた場所、地獄の穴に戻っていくようにと命じる必要があるのです。
与えられている霊的権利、私達を縛ろうとしてくる汚れた鎖から私達を解放し、癒すイエス様の血潮の贖いの力をしっかりと握ってください。
今こそ、この病という金の子牛から自分自身を解き放つ時です。
私達は「神様がこの病気を与えた」という偽りの教義を広めるのを止める必要があります。
このメッセージは神様のみ言葉に反していて、私達があらゆる病気から癒されることが可能になるようにと、イエス様が鞭打ち柱で私達のために流された血潮を貶めているのです。
イエス様は私達の癒しと罪の赦しのために、その尊い体から、全身から血潮を流されました。
「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」(イザヤ53:4-5)
繰り返しますが、私達は選択しなければなりません。
癒し主イエス様に、自分の全ての疑いと不信仰を進んで認め、悔い改めるのか。
今こそ、この病という金の子牛から自分自身を解き放つ時です。
私達は「神様がこの病気を与えた」という偽りの教義を広めるのを止める必要があります。
このメッセージは神様のみ言葉に反していて、私達があらゆる病気から癒されることが可能になるようにと、イエス様が鞭打ち柱で私達のために流された血潮を貶めているのです。
イエス様は私達の癒しと罪の赦しのために、その尊い体から、全身から血潮を流されました。
「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」(イザヤ53:4-5)
繰り返しますが、私達は選択しなければなりません。
癒し主イエス様に、自分の全ての疑いと不信仰を進んで認め、悔い改めるのか。
それとも、偽りの教義にしがみついて、病を崇めていくのか。
自分の人生の王座から病を追放する準備ができているでしょうか?
イエス様を自分が抱えている病や状況よりも高く上げて、私達の癒し主イエス様に自分の心の王座を明け渡し、この病の汚れから神様の宮である自分の体を清めるつもりがありますか?
「わがたましいは主をあがめ、わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。・・・力ある方が、私に大きなことをしてくださいました。その御名は聖く(主の聖さ、尊厳、栄光のゆえに称えられるべき)」(ルカ1:46-47、49 詳訳聖書)
今日、私達の多くが病を追放する準備ができ、また決意しているはずであると、私は強く確信しています。
祈りましょう。
イエスの御名によって、私は、この病を自分の人生で偶像としてきたことを悔い改めます。
自分の人生の王座から病を追放する準備ができているでしょうか?
イエス様を自分が抱えている病や状況よりも高く上げて、私達の癒し主イエス様に自分の心の王座を明け渡し、この病の汚れから神様の宮である自分の体を清めるつもりがありますか?
「わがたましいは主をあがめ、わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。・・・力ある方が、私に大きなことをしてくださいました。その御名は聖く(主の聖さ、尊厳、栄光のゆえに称えられるべき)」(ルカ1:46-47、49 詳訳聖書)
今日、私達の多くが病を追放する準備ができ、また決意しているはずであると、私は強く確信しています。
祈りましょう。
イエスの御名によって、私は、この病を自分の人生で偶像としてきたことを悔い改めます。
知らずに崇めてきたこの金の子牛を進んで取り除きます。
病よ、お前が私にたいして行使してきた力をのろう。
神の宮である私の体から出て行くようにと命じる。
私の心は、私の救い主、贖い主、癒し主、主であるイエス様、ただお一人のものである。
イエス様こそ、私が全てを明け渡し、ひれ伏し、礼拝するお方である。
イエス様こそ、私が全てを明け渡し、ひれ伏し、礼拝するお方である。
今日から、イエス様が私の人生の中心である。
イエス様こそ私が崇めるお方であり、イエス様こそ私にたいして全権力を持っているお方である。
聖霊様。私が自分の人生で、どのように病気という金の子牛を造ったのかを示して下さった事を感謝します。
今、信仰に満ちた自分自身の言葉とあなたの血潮によって、私はこの病を自分の人生から追い出します。
私はあなたのみことばを探り、そのみことばによって私は癒されます。
イエスの力強い御名によって、信仰をもって祈ります。アーメン。アーメン。
イエスの力強い御名によって、信仰をもって祈ります。アーメン。アーメン。
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