あなたが豊かな人生(命)を生きる事ができないように妨げている3つの欲

(Photo by Aral Tasher on Unsplash)
あなたにとって、「豊かな人生(命)」とはどのようなものでしょうか?
愛?喜び?平安ですか?
実が木から出来るのと同じように、霊的な実は、あなたのイエス・キリストとの日々の関係から成長してくるようにとデザインされています。
私達は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制の実を実らせていくようにと造られているのです。
では、もしあなたが破滅的な習慣や感情のとりこになっているのならどうなのでしょうか?
ヨハネ10:10でイエス様は言われました。
「盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。」
この記事を読みながら、あなたが豊かな人生(命)を生きることを妨げているのが何であるのか、そしてそれにたいして何をすることができるのか知ってください。
豊かな人生(命)の意味
まず、人生の目的を自分がどう理解しているのかチェックしてください。
イエス様は、ヨハネ17:3で人生の意味を私達に教えてくれました。
「その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。」
あなたは毎日、主に近づいていますか?
主に拠り頼み、まず第一に、1日の難題に立ち向かうことができる力と知恵を祈りを通して主に求めることによって、主に近づくことができます。
また、感謝の心をもって、主の臨在、守り、満たしを神様に感謝するのです。
「その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。」
あなたは毎日、主に近づいていますか?
主に拠り頼み、まず第一に、1日の難題に立ち向かうことができる力と知恵を祈りを通して主に求めることによって、主に近づくことができます。
また、感謝の心をもって、主の臨在、守り、満たしを神様に感謝するのです。
いのちに入る
イエス様は、どのようにしていのちに入ればいいのか教えてくれました。
「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。」(マタイ7:13-14)
この意味を2つに分けて見て行きましょう。
この意味を2つに分けて見て行きましょう。
門
イエス様は、いのちに至り、私達に道を示す門は狭いと、明確に語られています。
「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。』」(ヨハネ14:6)
イエス様こそが、ここで語られている狭き門です。イエス様を通してのみ、あなたは天のお父さまに近づくことができるのです。
もしあなたがイエス様を救い主としてすでに受け入れているなら、おめでとうございます!
人生で最も大切なことをすでに成し遂げたことに達成感を感じることができます。
イエス様の中にある豊かな人生(命)を体験することができる位置にあなたはいるのです。
その他のすべてのことは、イエス様の中にあるあなたの位置にかかっています。
イエス様のことばは、この世が言うように、「神様に至る道は沢山ある」とは言っていません。
ただ唯一狭き門、つまりイエス様を通してだけだと、はっきり語っています。
道
イエス様は門だけではなく、道であると語っています。しかしここでイエス様はまた、その道は困難な道であるとはっきりと語っています。
なぜこの道は難しい道なのでしょうか?
それは、毎日主に従おうとする時に、自分の心とこの世の誘惑に戦わなければならないからです。
神のみ言葉を適用することが、この戦いにおける私達の武器です。
だからこそ、「最後まで耐え抜く」と決心することが重要なのです。
私達は、毎日、接着剤のようにイエス様にしがみつき、自分よりはるかに偉大な目的のために生きるのです。
今は天に召されたレイ・ステッドマン牧師が、この事に関して非常にパワフルな事を語っていました。
イエス様は、いのちに至り、私達に道を示す門は狭いと、明確に語られています。
「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。』」(ヨハネ14:6)
イエス様こそが、ここで語られている狭き門です。イエス様を通してのみ、あなたは天のお父さまに近づくことができるのです。
もしあなたがイエス様を救い主としてすでに受け入れているなら、おめでとうございます!
人生で最も大切なことをすでに成し遂げたことに達成感を感じることができます。
イエス様の中にある豊かな人生(命)を体験することができる位置にあなたはいるのです。
その他のすべてのことは、イエス様の中にあるあなたの位置にかかっています。
イエス様のことばは、この世が言うように、「神様に至る道は沢山ある」とは言っていません。
ただ唯一狭き門、つまりイエス様を通してだけだと、はっきり語っています。
道
イエス様は門だけではなく、道であると語っています。しかしここでイエス様はまた、その道は困難な道であるとはっきりと語っています。
なぜこの道は難しい道なのでしょうか?
それは、毎日主に従おうとする時に、自分の心とこの世の誘惑に戦わなければならないからです。
神のみ言葉を適用することが、この戦いにおける私達の武器です。
だからこそ、「最後まで耐え抜く」と決心することが重要なのです。
私達は、毎日、接着剤のようにイエス様にしがみつき、自分よりはるかに偉大な目的のために生きるのです。
今は天に召されたレイ・ステッドマン牧師が、この事に関して非常にパワフルな事を語っていました。
ステッドマン牧師はこのように書いています。
「私達の価値観を覆す十字架が、イエス・キリストの福音の栄光です。その光の中で、私達は悪魔の偽りを剥ぎ取り、全く違う人生の原則に基づいて行動することができるようになります。
その原則とはこれです。『自由とは、私が欲しいものを持つことではなく、神様が願われることをすることだ。』
その人は明け渡す人であり、得る人です。神様が願われることをするために自分の人生を放棄し、ついに、本当に生きることを学ぶ人です。自分の人生(命)を必死で保とうとする人は、結局永遠の命を失ってしまうのです。イエス様ご自身がそのように言われていませんでしたか?
この原則に則って踏み出す男性、女性は、自分にとって悪魔は無力であることを知るようになります。そのような人は、神様が計画された人生を生きることができるように自由にされた人です。
その人は、他の人達が持っているようなものを持っていないかもしれません-といってもそれらのものは何の幸せも生み出さないものです-しかし、その人は、神様が持って欲しいと思っておられるものを持っているのです。それは、(神様のために)精一杯生きた人生です。」
あなたが豊かな人生を生きるのを妨げるもの
「私達の価値観を覆す十字架が、イエス・キリストの福音の栄光です。その光の中で、私達は悪魔の偽りを剥ぎ取り、全く違う人生の原則に基づいて行動することができるようになります。
その原則とはこれです。『自由とは、私が欲しいものを持つことではなく、神様が願われることをすることだ。』
その人は明け渡す人であり、得る人です。神様が願われることをするために自分の人生を放棄し、ついに、本当に生きることを学ぶ人です。自分の人生(命)を必死で保とうとする人は、結局永遠の命を失ってしまうのです。イエス様ご自身がそのように言われていませんでしたか?
この原則に則って踏み出す男性、女性は、自分にとって悪魔は無力であることを知るようになります。そのような人は、神様が計画された人生を生きることができるように自由にされた人です。
その人は、他の人達が持っているようなものを持っていないかもしれません-といってもそれらのものは何の幸せも生み出さないものです-しかし、その人は、神様が持って欲しいと思っておられるものを持っているのです。それは、(神様のために)精一杯生きた人生です。」
あなたが豊かな人生を生きるのを妨げるもの
ヨハネ10:10で、イエス様は、私達には敵がいると言われました。この盗人は、神の民を盗み、殺し、滅ぼすためにやって来ます。
敵は、この世の誘惑を通して、この事をするのです。
Ⅰヨハネ2:16によると、これらの誘惑は3つに分類されます。
「すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。」
しかし、私達は主の助けによって、この世の誘惑に打ち勝つことができると、神のことばは断言しています。「子どもたちよ。あなたがたは神から出た者です。そして彼らに勝ったのです。あなたがたのうちにおられる方が、この世のうちにいる、あの者よりも力があるからです。」(Ⅰヨハネ4:4)
これらの誘惑に打ち勝つためには、私達が
1.神のみことばを知っている
2.神のみことばを信じている
3.信仰によって、神のみことばに基づいて行動する
事が求められます。
「すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。」
しかし、私達は主の助けによって、この世の誘惑に打ち勝つことができると、神のことばは断言しています。「子どもたちよ。あなたがたは神から出た者です。そして彼らに勝ったのです。あなたがたのうちにおられる方が、この世のうちにいる、あの者よりも力があるからです。」(Ⅰヨハネ4:4)
これらの誘惑に打ち勝つためには、私達が
1.神のみことばを知っている
2.神のみことばを信じている
3.信仰によって、神のみことばに基づいて行動する
事が求められます。
この世の誘惑について詳しく見ていきましょう。私達は、私達にたいする敵の策略を知る必要があります。それによって、敵の策略に打ち勝つことができるためです。
肉の欲
肉の欲とは、何が何でも肉の欲を満たしたいという、過度な欲求のことです。
肉の欲とは、何が何でも肉の欲を満たしたいという、過度な欲求のことです。
これは、食べ物であれ、薬物であれ、飲酒であれ、肉の欲求に耽る、という形をとって現われます。
またこれは、性的不品行に耽る、という形をとっても現れます。
これらの放縦の結果、神様から与えられたものを乱用してしまうのです。
またこれは、性的不品行に耽る、という形をとっても現れます。
これらの放縦の結果、神様から与えられたものを乱用してしまうのです。
人が肉の欲求に耽れば耽るほど、偽りと破滅に心を開いてしまいます。
日々の生活は、神様の目的を追求することではなく、快楽を追求すること、あるいは痛みから逃げることだと考えるようになるのです。
日々の生活は、神様の目的を追求することではなく、快楽を追求すること、あるいは痛みから逃げることだと考えるようになるのです。
この妨げに打ち勝つ方法は、心と思いの変化、つまり悔い改めです。
それから、新しい生き方に関して、聖霊様の導きに従順に従うのです。
それから、新しい生き方に関して、聖霊様の導きに従順に従うのです。
目の欲
目の欲とは物欲のことで、嫉みや、他の人が持っているものを欲しくてたまらないという気持ちをもたらします。
目の欲とは物欲のことで、嫉みや、他の人が持っているものを欲しくてたまらないという気持ちをもたらします。
浪費や買い物中毒は、目の欲の現れです。
目の欲を持っている人は、神様が与えてくださったものに満足するということが決してなく、絶えず新たな物を探し求めています。
その人達は、物に過度に執着しているのです。結果として、永続する平安と満足感はいつも、彼らから逃れていってしまいます。
暮らし向きの自慢
暮らし向きの自慢とは、神の御心ではなく、自分の考えや願望に執着することです。
歪んだセルフイメージや他者との関係、人生の目的を通して現れたりします。
歪んだセルフイメージや他者との関係、人生の目的を通して現れたりします。
・セルフイメージ:この領域における暮らし向きの自慢は、自分のセルフイメージや評価を他の人のことよりも、さらには神様への従順よりも優先させたいという願望です。
この暮らし向きの自慢を持っている人は、思うべき限度を超えて自分は優れた者だと思うこと(ローマ12:3)であれ、低い自尊心であれ、自分自身にたいして誤った見方をしています。
低い自尊心は、神様があなたにたいして思っておられることよりも、自分の気持ちや他の人の意見の方が勝っていると主張するのです。
セルフイメージの中にある、暮らし向きの自慢は、他者との比較の中でも現れます。
・他者との関係:この暮らし向きの自慢は、人間関係の中で自分の方法が一番正しいと主張することです。
神のみことばがこう言っているにも関わらず。
この暮らし向きの自慢を持っている人は、思うべき限度を超えて自分は優れた者だと思うこと(ローマ12:3)であれ、低い自尊心であれ、自分自身にたいして誤った見方をしています。
低い自尊心は、神様があなたにたいして思っておられることよりも、自分の気持ちや他の人の意見の方が勝っていると主張するのです。
セルフイメージの中にある、暮らし向きの自慢は、他者との比較の中でも現れます。
・他者との関係:この暮らし向きの自慢は、人間関係の中で自分の方法が一番正しいと主張することです。
神のみことばがこう言っているにも関わらず。
マタイ5:44-45で、イエス様は私達に語られています。
「しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。」
イエス様はまた、マタイ6:14-15で、「人を赦しなさい」と私達に言われています。
「もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。」
この暮らし向きの自慢は言います。「神様のみことばが語っていることは無視して、自分の目にとって正しいことだけをすればいいんだ。」
しかし、イエス様はご自身が進んでしようとされなかったことは何一つとして私達に求められることがないお方です!
イエス様は、十字架での激しい苦しみの真っ最中に麗しい模範を私達に示してくださいました。
イエス様は、敵を赦してほしいと求めることができたのです。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分で分からないからです。」(ルカ23:34)
最後にローマ14:19は言っています。
「そういうわけですから、私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めましょう。」
クリスチャンとして、私達の突極のゴールは、他の人達をキリストに勝ち取ることです。
ですから、人々に良くし、キリストのような品性を示していくことを私達は追い求めるのです。
イエス様はまた、マタイ6:14-15で、「人を赦しなさい」と私達に言われています。
「もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。」
この暮らし向きの自慢は言います。「神様のみことばが語っていることは無視して、自分の目にとって正しいことだけをすればいいんだ。」
しかし、イエス様はご自身が進んでしようとされなかったことは何一つとして私達に求められることがないお方です!
イエス様は、十字架での激しい苦しみの真っ最中に麗しい模範を私達に示してくださいました。
イエス様は、敵を赦してほしいと求めることができたのです。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分で分からないからです。」(ルカ23:34)
最後にローマ14:19は言っています。
「そういうわけですから、私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めましょう。」
クリスチャンとして、私達の突極のゴールは、他の人達をキリストに勝ち取ることです。
ですから、人々に良くし、キリストのような品性を示していくことを私達は追い求めるのです。
これは、自分の肉が、「自分の思い通りにやりたい」と思っている時は困難です。
・人生の目的:この領域における暮らし向きの自慢は、「私は自分の力で成功した、自立できている者であるから、神など必要ない」という誤った態度です。
それゆえに、その人は、この世のものを追い求めることにフォーカスをあてています。
しかしこの地上におられた時のイエス様の態度は、ヨハネ4:34ではっきりと見ることができます。
「イエスは彼らに言われた。『わたしを遣わした方のみこころを行ない、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です。』」
豊かな人生
イエス様は、私達が自分達の力では到底できないことをする力を与えるために、ご自身の御霊を私達に残していかれました。
聖霊様を通して、イエス様ご自身が一生涯、私達の日々の旅路を共に歩んでくださいます。
主のくびきは負いやすく、主の荷は軽いのです。
この人生で、イエス様との関係ほど価値あるものはありません!
これ以上に、追い求める価値があるものが他にあるというのでしょうか?
あなたが豊かな人生を日々、最大限に生きることができますように。
「イエスは彼らに言われた。『わたしを遣わした方のみこころを行ない、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です。』」
豊かな人生
イエス様は、私達が自分達の力では到底できないことをする力を与えるために、ご自身の御霊を私達に残していかれました。
聖霊様を通して、イエス様ご自身が一生涯、私達の日々の旅路を共に歩んでくださいます。
主のくびきは負いやすく、主の荷は軽いのです。
この人生で、イエス様との関係ほど価値あるものはありません!
これ以上に、追い求める価値があるものが他にあるというのでしょうか?
あなたが豊かな人生を日々、最大限に生きることができますように。
「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。」(ガラテヤ5:22-23)
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