実父を赦したとき、私は本当の父を見出した


レイラニ・ヘイウッド


見えない力によって私は跪かせられ、耳で聞こえる声で「あなたの父親を赦しなさい。」と語られました。
それは私がキャンパス・ミニストリーの集会でイエス様への信仰を表明した後に、寮の自分の部屋に足を踏み入れた時でした。
実の父とは数年間口を聞いていませんでした。


力が私を押さえつけていたので立ち上がることのできなかった私は、跪いたまま「父を赦します。」と囁くように言いました。
その言葉を発した瞬間、突然、自分ではまったく気がついていなかった、私の心の周りに城壁のようにそそり立っていた壁が崩れ落ちて行ったのです。
何年間も流していなかった涙が頬を伝っていきました。
何の感情も示さないということで、友人達からは「石のような顔(無表情)」と呼ばれていました。


ハンサムな父が家族を置いて出て行った時のことが鮮明に蘇えり、泣きじゃくりました。
父と母が互いにひわいな言葉を浴びせ合いながら、私のことを引っ張り合っていた時に感じた恐怖が甦り、閉じ込めておいた痛みが私の震える体を駆け抜けました。
それまで私を苦しめていたものが去って行った時に、平安の雲が部屋の中にとどまりました。
今まで通って来た全ての痛みの場面で神様が共にいてくださったという気づきが、私に平安をもたらしたのです。
実の父は私を捨てたけれども、神様は私を見捨てたり、ひとりぼっちにはされませんでした。


私の父、レオナルド・コーパスはフィリピンで生まれ、ハワイで育ちました。
父は私の母アロハが19歳だった時に結婚しました。すでにフィリピンに妻と2人の子どもがいたにも関わらず、父はまだ15歳だった母に求愛したのです。両親は私が6歳の時に離婚しました。


父は、プレゼントを持って私の人生を出たり入ったりしました。8歳の時には欲しくてたまらなかったピカピカの黄色いゴーゴーブーツをプレゼントしてくれました。
父は会計を学んだのですが、そこそこ給料が良い職になかなか就くことが出来ないでいました。
というのも、1960年代から1970年代のカリフォルニアではフィリピン人にたいする偏見がはびこっていて、文字通り何千人ものフィリピン人が過酷な農場での労働を生涯するようにと言い渡されていたからです。


父は面白く、魅力的で、ハンサムで、才能あるミュージシャンでした。
家族を養えないことと雇用の機会がないことに父は苛立っていたのだと思います。


10代前半の頃、私は毎夏、父の家で数週間過ごしていました。その時に、本人は気がついていませんでしたが、父が私の執筆家としてのキャリアを開いてくれたのです。
父はタイプライターを持っていたので、私はそれを拝借して文章を書いていました。
日中は、継母の庭で、父と一緒に草むしりをしたり、水やりをしたり、トマトやきゅうり、オクラ、レタスの手入れをし、夜は、父がテレビでレスリングの試合を観ている間、物語をタイプしたり、ラジオでビッグバンドの音楽を聴いていました。
その時作った1つの物語は、子どもの雑誌で掲載されました。


父のそばで草むしりや水やりをしたり、新鮮な野菜を収穫したことは、父との最高に幸せな時でした。
その時の父は満ち足りていて、心穏やかに見えました。
けれど、継母のコニーが亡くなってから、父は道を見失ってしまい、私の人生から姿を消しました。
その後、父は何度か再婚しましたが、コニーがいた時程幸せそうな父の姿を再び見ることはありませんでした。


父にたいする苦々しさや痛みの鎖を自分の心に巻きつけていたことに私は気がついていなかったのです。
父を赦した瞬間、私と神様との歩みのための道筋が示されました。
私が父と庭で働いていた時、神様は私と共におられたのです。
怒り狂った両親によって引き裂かれた時、神様は私と共にいてくださいました。
父が去って行った時も、神様は私と共にいてくださったのです。


私を決して裏切ったり、失望させない神様の中に、私は父を見出しました。
このお父さんは、決して私を捨てたり、拒絶することがありません
神様の愛は尽きることがなく、主は真実な供給者です。


今まで、「敬虔な父親になる」といった本や教えを沢山見聞きしてきました。
専門家が言う「良い父親」が私にはいなかったので、時に、自分が傷物であるかのように感じることがありました。また、男性の注目を引きたいという渇望がありました。
その渇望が多くの女の子達を良くない関係へと導くのです。
私が若い頃に、その渇望を満たすために神様が私の人生に入ってきて、私が男性との関係の中でその渇望を満たすことがないようにしてくださって、本当に良かったと思います。


あの夜、私の人生に入って来てくださり、私を養子にしてくれた時に、神様は「父親がいない
」という傷と恥を取り去ってくださいました。
父親を求める心を満たしてくださり、敬虔な男性の素晴らしい手本となる牧師達や主にある兄弟達といった神様を恐れる男性を送ってくださったのです。
彼らによって、私は将来の夫に求める基準を設けることができました。


家族が正常に機能するために、全ての人に神様が必要であると私は信じています。
私は、素晴らしい父親がいた友人達を羨ましくおもいますが、私から決して離れず、見捨てないお父さんがいることに感謝しているんです。
あなたの実の父親があなたを失望させる時、あなたにたいする神様の心を思い出してください。


「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、キリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。すなわち、神は私たちを世界の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。神はみむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。それは、神がその愛する方にあって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。」(エペソ1:3-6)


あなたは孤児ではなく、一人ぼっちでもありません。
神様はあなたをご自分の子どもと呼んでくださっているのです。神様があなたを失望させることは絶対にありません。