クリスチャン達の中でまかり通っている赦しについての神話
ー赦し: それはあなたを解放する力ー



ダグラス・ウェイス博士


赦しに関する最初の神話は、「自分にたいして罪を犯した人達を赦すためには、その人達が実際に目の前にいつ必要がある」というものです。ある人達は、「自分を傷つけた人が目の前にいないなら赦すことはできない」と信じ込んでいます。
私が赦してきた人達の多くは、目の前にはいませんでした。けれど、その人達を赦すことが出来ました。


カウンセリングに来られた何千人もの人達が、加害者がその場にいなくても赦すのを私は実際に見てきました。その中のある人達は、本来はその人達を愛すべきであった人達(伴侶など)から捨てられたり、ありとあらゆる虐待を受けましたが、赦すことができたのです。


加害者がその場にいようが、いなかろうが赦すことは可能です。赦しは決断なので、相手がいなくても決断できるものなのです。
それはあたかも大統領や政府が、監房にいる囚人に恩赦を与える決断をするようなものです。


囚人は大統領や政府の執務室に連れて来られて、それから恩赦を与えられるのではありません。
囚人は自分が恩赦を与えられるとは、おそらくまったく知らずに監房にいます。恩赦を与えられたという書類はおそらく受け取るでしょうが、恩赦を与えるという決断の場にはその囚人はいません。


私が囚人と恩赦の話しをしている理由は、これから手短に分かち合うことのためです。あなたは相手がその場にいなくても、赦すことが出来るのです。赦しは相手がその場にいようがいなかろうが、あなたの心の中で成し遂げられるのです。


2番目の神話は、「赦すけど、その前に相手が私に謝らないといけない。」というものです。これは全く真理ではありません。
その人達が悔い改めるのは素晴らしいことですが、それはあなたがその人達を赦すために必要なものではないのです。


赦しに必要なのはあなたの決断だけです。自分を傷つけた人は赦される前に悔い改めなければならないという神話を信じるなら、あなたはあなたの赦す力を相手に明け渡してしまっているのです。あなたを傷つけた人に赦す力を与えることが素晴らしい選択だとは、私は思いませんよ。


あなたは、自分を傷つけた人達に、その人達を赦し、自分の人生にあるその人達の罪の影響から自分が自由になる時を決められたくはないはずです。思い出してください。キリストは私達がまだ罪人であった時に、私達のために死なれたことを(ローマ5:8)。
イエス様は、私達人間の罪を赦すために十字架で身代わりの死を遂げる前に、私達が悔い改めるのを待ったりはされませんでした。


あなたがその場にいなくても、また赦しを求めることができなかったけれど、イエス様は2000年前に赦しの力と権利を行使されました。ですから、私達も伴侶や親、兄弟、子ども、その他私達を傷つけた人を全員、その人達が悔い改めなかったとしても赦すことができるのです。ハレルヤ!
自分自身で自分を自由にすることができ、誰からも強制されることなく自由に赦すことができる。それは良い知らせです。


覚えといてください。クリスチャンとして、あなたは人を赦すことができるだけではなく、赦すようにと命じられていることを。
いつとかどこで赦すというのを相手にコントロールさせることなく、赦すことができるなんて本当に素晴らしいことです。


最後の神話は、「私があの人達を赦す前に、あの人達が変わらなければいけない」というものです。
クリスチャンの男性や女性がそう言うのを、数が思い出せないくらい沢山聞いてきました。
私達全員が変えられ、ますますキリストのようになるのは最高に素晴らしいと思いますが、残念ながら全ての人が変わるわけではありません。


相手が変わることは、あなたがその人を赦すか赦さないかを決めるために必要なものではありません。自分の周りに壁を築いて他の人達を遠ざけている時に、一部の人達が持ってしまう道徳的優越感、独善さについて少し現実的に考えてみましょう。
これは間違ってます。


イエス様は私にこのようには言われませんでした。「ダグラス、変わりなさい。そうしたらわたしはあなたを赦す。」


もしイエス様がそう言われたら、私は赦されるにふさわしい者となろうと終わりなき苦しい努力をしていることでしょう。


違います。イエス様はこう言われたのです。「ダグラス。わたしはあなたを赦した。」


イエス様は、私が再び罪を犯すことを知っておられました。私がまた同じ領域で罪を犯すことさえ、イエス様は知っておられたのです。ある罪は、私がそれらにたいして勝利を得るまで何年も何十年もかかることさえ、イエス様は知っておられました。


私のような罪人が変わる前に、赦してあげようと思うなんて一体イエス様は何を考えていたのでしょうか?
私は、イエス様はご自身の赦しが最終的には私の心を突き抜け、私の内でイエス様が大きくなっていくにつれ私の罪を犯したいという気持ちがどんどん姿を消して行くと考えていたのだと思います。
相手が変わるのを待つよりも、こっちの方がはるかに良い赦しへの取り組み方だと思います。


私にとって必要なのは、私が誰かを赦す以上にキリストが私の罪を赦してくださった程度の方がはるかに大きいと、聖霊様から優しく思い起こさせてもらうことだけです。
わかりますか。赦しは、加害者がその場にいようといなかろうと関係なく、私達の選択によって私達から流れていくものなのです。
私達の人生にとって、赦しはなんと大きな力を持っていることでしょう!

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ダグラス・ウェイス博士
全国的に有名な執筆家、講演家、心理学者。

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