やっと、翻訳終わりましたー😵
救世軍を立ち上げた、キャサリン・ブースのメッセージです。
真の悔い改めとは、何なのかが単刀直入に書いてあって凄くわかりやすい。
悔い改めの本質
キャサリン・ブース
悔い改めは、神の御国に入るための必須条件です。
概して人々は、悔い改めは神様の方で用意した任意のものだと主張しているかのようで、この主題を理解することができないでいます。
私は神様は、人類の救いを難しくて複雑なものではなく、単純なものにされたと信じています。
しかし、私達は「悔い改めて神に立ち返る」必要があるのです(使徒26:20)。
悔い改めは救いの必須条件なので、少しの間それに目を留めて、悔い改めとは本当のところどのようなものであるのか探ってみましょう。それにしても、この世と教会には、悔い改めについての混乱が何と沢山あることでしょう!
悔い改めとは、単に罪の意識が生じることではありません。もし、そうであるならば、この世界はまったく違った筈です。なぜなら、神の御霊によって、心に罪の意識が生じた人達は何万人もいるからです。
数は定かではありませんが、私達の集会で、私の手を握りしめて、「ああ!かつて感じたものを、もう一度感じるために私は、何を差し出せば良いのでしょう!15、17、20年前には、聖霊様によって深い罪の意識が生じて、ほとんど食べることも寝ることもできない時がありました。けれども、平安を見出すまで悔い改めるのではなく、そんなことしなくても大丈夫と自分を慰めてしまったんです。今、自分の心は石のように堅い感じです。」と言った人達が何人もいました。
残念ながら、このような状態の人達-かつては罪の意識が生じていた人達-が何万人もいると思います。
今、自分の罪を指摘されている人達が何千人もいます。彼らはこう言います。「そうです。牧師先生が語ったことは本当です。私は、神様に対する自分自身の武器を捨てなければいけないことを知っています。」
彼らは、聖霊様によって罪を指摘されているのですが、それ以上先に行かないのです。
それは悔い改めではありません。彼らは、先週と同じ生き方を、今週もしているのです。聖霊様にたいする応答がまったくないのです。彼らは、聖霊様に抵抗しているのです。
悔い改めとは、単に罪を悲しむことでもありません。私は、人々が激しく泣き、身悶えし、苦闘しているのを見てきました。しかし、彼らは、自分達の偶像を抱きしめているので、彼らからそれらの偶像を振り落とそうとしても無駄なのです。もし、イエス・キリストが彼らの偶像ともども彼らを救ったなら、彼らはなんら反論しなかったでしょう。もし、どうしても手放すことができない1つの偶像と一緒に狭き門を通ることができるなら、彼らは長い苦難の時を喜んで通ったことでしょう。しかし、偶像を手放すとなると、話しが違ってくるのです。
このような人達は、自分のしたくないことを親にしなさいと言われた時の強情な子どものように泣きます。子どもは泣きます。あなたが鞭で打つともっと激しく泣きますが、降参しません。降参するなら、真に悔い改めた者となります。しかし降参するまでは、その人は単に、罪の意識が生じた罪人にすぎないのです。
神様が、御霊と摂理とみ言葉の鞭を当てる時、罪人達は泣き、ひるみ、哀れな声で泣きます。そして、あなたに「あの人は、祈っていて、救われたいと心から願っているだわ。」と信じさせるのです。しかし、彼らはそうしている間ずっと、鉄のようにうなじをこわくし続けているのです。彼らは、服従しません。服従した時に、彼らは真に悔い改めた者となり、救われるのです。
悔い改めとは、「いつか罪を捨て去ります」という約束でもありません。
もしそうであるならば、私達の中には、沢山の悔い改めた者達がいるはずです。
心の中で、もしくは哀れな妻に、「俺は酒をやめるよ」と虚しい約束をする貧しい酔っ払いは沢山います。
それなら、悔い改めとは一体何なのでしょうか?
悔い改めとは、単純に罪を捨て去ることです。闇から光に、サタンの力から神に立ち返ることです。心の中の罪を、全ての悪い事を捨て去ると決心し、それを今、実行することなのです。
もちろん、それには悲しみが伴ないます。ずっと間違った方向を進んでいたことを悔い改めてないなら、正気の人がどうやって、今まで進んできた方向から、別の方向に進路を変えるというのでしょうか?
そしてまた、悔い改めとは、罪を憎むことです。それまで進んでいた方向を憎み、そこから方向転換するのです。
その人は、豚小屋で残飯と汚物の中で座りながら、決心し、最終的に決心を実行した放蕩息子のようです。
彼は、父の家に行きました。そしてそれこそ、彼の悔い改めが本物であるかを試したものだったのです。
もし彼が、そこに長くいつづけていたなら、彼は今の今まで決心し約束しながらただ座り込んでいたことでしょう。もし彼が始めなかったら、一生、父親に口づけされることも、歓迎されることもなかったでしょう。しかし、彼は行ったのです。
彼は、汚物、豚小屋、残飯から離れ、それらを踏みつけました。その国の民から離れ、全ての言い訳を放棄し、父親の元に行き、正直に言いました。「私は、罪を犯しました!」と。それが悔い改めです。
あなたはそうしましたか?咎められた物を捨て去りましたか?聖霊様が示されたものを断ち切りましたか?あなたは、それが何であるかはっきり知っています。あなたがそれを捨て去らない限り、救われることはありません。
本物の悔い改めかどうか試すのは、服従です。私の息子は、喜んで150の事をするかもしれません。しかし彼が、1つの事に関しては服従しないなら、彼は反抗者なのです。服従するまでは、反抗者であり続けるのです。
まがいものの悔い改めと本物の悔い改めの違いがあります。残念ながら、私達の教会にはまがいものの悔い改めをした人達が何千にもいるはずです。その人達は、聖霊様によって罪が指摘され、すまなく思っています。より良い人生を生き、普通にそして多少、神様を愛したいと願っています。しかし、神様が指摘されておられる肝心な事を無視してしまっているのです。その人達はその罪を隠してしまっているのです。
アブラハムは、自分の全財産を喜んで手放したことでしょう。しかし、彼がもし、イサクを明け渡さなかったなら、他の全ては無駄なのです。神様が欲しいのは、あなたのイサクです。
あの若い金持ちにとって、彼の全財産がそうであったように、あなたにもあなたのイサクがいます。聖霊様が手放しなさいと言っているのに、「できません。」と言って、握りしめているものがあなたにはあります。
よろしい。それなら、あなたは御国の外で立ち止まらなければいけません。
私の親愛なる友よ。私はあなたに説得します。
その偶像を踏みつけなさい。自分の身を守るための嘘を破壊しなさい。神様のもとに行き、正直に言いなさい。
「主よ。私は、ただ僕となるために、どのようなことでもし、どのような苦しみも受けるために、ここにいます。これらすべての悪いものがあなたなしで私を幸せにしているよりもはるかに、あなたの微笑みと祝福の方が私を幸せにすることを、私は知っています。」
あなたが、完全に明け渡す時、友よ。あなたは自分が求めていたものを手にするでしょう。中には、長年それを求めてきた人もいます。
しかし、次に、別の困難がやって来るのです。人々は言います。「私には、悔い改める力がありません。」
それは、途方もない誤解です。あなたには、そうする力があるのです。そうでなければ、神様が命じるはずがありません。
あなたには、悔い改めることができるのです。あなたは、この瞬間、放蕩息子と一緒に目を天に向けて、言うことができるのです。「お父さん。私は、罪を犯しました。私は罪を捨て去ります。」と。
あなたは、泣くことができないかもしれません。神様は、そうするようにと要求も命じてもいません。
しかし、あなたは、今この瞬間、罪を捨て去ると決心することができるのです。注意してください。罪を捨てることとあなたを罪から救う力とを混同してはいけません。あなたが罪を捨てるなら、イエス様が来て、あなたを罪から救ってくださるのです。
そしてこう言ってはいけません。「自分は十分に悔い改めたような感じがしない」と。あなたは、自分の罪を喜んで捨てたいと感じていますか?
肝心なのは、それなのです。自分の罪を捨てない人は、少しも悔い改めていないのです!!!
あなたが、罪を捨てるほど十分に悔い改める時、あなたの悔い改めは本物です。そして、あなたはイエス様の手をしっかりと握ることができるのです。あなたは約束を受ける権利があるのです。
そして、「主イエス・キリストを信じなさい。そうすれば、あなたは救われます。」というみ言葉が生きたものとなるのです。
あなたは、今その状態に達しましたか?言い訳を始めないでください。今、悔い改めるのです!
ああ、友よ!今、悔い改めるようにという、この説得を受け入れてください。あなたの罪を去らせ、イエス様の足元に来なさい。
自分自身のために、今、この説得を受け入れなさい。神様のために聖別された人生を生きることと人々に仕えるという平安、喜び、力、栄光のために、降参しなさい。しかし、何よりも、主があなたにたいして抱いている愛のゆえに、服従しなさい。
打ちひしがれた荒々しい大きな男性が、人々が救われている場所を見た時に、夫にこう言いました。「ブースさん。数百ポンドくれたって、俺はあそこに行くつもりはありませんぜ!」
夫は囁きました。「愛のためなら、行きますか?」
1分間躊躇した後で、彼は涙を拭い、立ち上がると夫の後をついて行きました。
あなたは、イエス様の愛のためなら、そこに行きますか?あなたを愛し、あなたのためにご自身の命をささげた大いなる愛のために。
これまで長年、あなたを追い掛けてきた天のお父さんの切なる思いのために。天のお父さんの愛のために、あなたは行きますか?
天のお父さんの足元にひれ伏し、降参しなさい。主はあなたを助けてくださいます!
アーメン。
キャサリン・ブース(1829-1890)
夫ウィーリアムと共に、救世軍を創設した、共同創設者。イングランド出身。クリスチャン家庭で育つが、16歳になるまで真に改心することはなかった。社会の変革のために献身した他、女性も男性と同じように、説教する権利があると信じていた。元は臆病だったが、優れた説教者という評判を得るようになった。
実子8人の母親であるが、救世軍の「母」としても知られる。
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