地獄は本当に存在するのか?
ジョゼフ・マッテラ
人が地獄で永遠に過ごすという概念はあまりにも深刻なことなので、自分の頭で完全に理解することは不可能だと私は思っています。
事実、ほとんどのクリスチャン達はあたかも地獄が存在しないかのように生きています。なぜなら、もし私達が地獄の存在を本当に信じているのなら、イエス様の福音を伝えようと一生懸命になるはずだからです。
最近、フランシスコ法王が「悪い魂は消滅する。地獄は存在しない。」と述べたという報道があった後、地獄の存在についての議論が注目を浴びています。
エウジェニオ・スカルファリ、93歳がイタリアの日刊紙ラ・レプッブリカの木曜日版にある記事を書きました。
スカルファリ氏は法王に、「悪い魂」はどこに行き、どこで罰を受けるのかと尋ね、法王は次のように述べたと書いています。
「彼らは罰を受けない。罪を悔い改めた者達は神の赦しを得、神を見つめる者達がいる場所に行くことになります。しかし、悔い改めなかったので罪を赦されなかった者達は消滅します。地獄は存在しません。罪ある魂の消滅があるのです。」
ここで取り上げるのは、法王が本当にそう言ったのかどうかではありません。私が一番関心を持っているのは、この深刻な主題について聖書が何と語っているかなのです。
(聖書は、教会の伝統や教義、公教要理、教会の告解、教会法、また法王や司教達の教えや声明に勝るものだと私は信じています)
事実、地獄が存在するなら、賢い人はそこで永遠を過ごす羽目になるような生き方を選択しないでしょう。
もし地獄が存在しないなら、もしくは何を信じていたかに関係なく全ての人は最終的には神様と和解するのであるならば、私達の救いのためのイエス様の十字架での死は虚しく、十字架の恩恵を受けるためにイエス様に従っていく必要などありません。
旧約時代のユダヤ人達が信じていたこと
これは短い記事なので、新旧両方に書かれた地獄に関する全ての箇所について詳しく触れることはできません。
と言いつつも、旧約では地獄の話しはほとんど出て来ませんが。
しかし、預言者イザヤが書いているように、古代のユダヤ人達は、悪者達を罰するためにそのような場所が用意されていると信じていました。
「彼らは出て行って、わたしにそむいた者たちのしかばねを見る。そのうじは消えず、その火も消えず、それはすべての人に、忌みきらわれる。」(イザヤ66:24)
新約聖書のイエス様と使徒達の教え
イエス様を信じない者達のための永遠の地獄が存在することをイエス様が信じていたことは明白です。
そういう訳で、もし誰かが地獄の存在を信じないなら、その人は自分の方がイエス様よりも永遠について知っている、もしくはイエス様は間違っていたと思っているのです。(私はイエス様に反対する意見を述べようとは少したりとも思いませんが!)
「金持ちとラザロ」(ルカ16:19-21)の話しをされた時、イエス様は不信者達は永遠に苦しむとはっきり言われました。
エホバの証人(魂は消滅すると信じているものみの塔聖書冊子協会)のような異端は、聖書を曲解し、この話しはたとえだと言います。
しかしルカは「ある金持ちがいた」と書いています。もしこれがたとえ話であるなら、他の箇所でそうしたように、これはたとえ話だと新約聖書の著者は書いたはずです。(ルカ18:1、9、マルコ4:2、13:30参照)
この事実に即した話しの中で、金持ちは死んで、苦しみの場所に行きました。彼は、地獄の火の中で苦しんでいる時完全に意識があったのです。イエス様は、ご自分について来る者達に、自分をつまずかせ、地獄の消えない火の中(そこにいる人達を食ううじは尽きることがなく、火は消えることがない)に投げ落とす危険性があるものはすべて自分の人生から取り除きなさいと警告されました(マルコ9:42-49)。
イエス様はまたパリサイ人達にこう言われました。
「おまえたち蛇ども、まむしのすえども。おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうしてのがれることができよう。」(マタイ23:33)
この永遠の地獄と裁きにたいする信仰はキリストの使徒達に引き継がれました。
使徒パウロは、「私達はみな、キリストのさばきの座に現れる。それは主にたいする恐れをもたらす。」(Ⅱコリント5:10-11)と警告しています。
不信者達にたいするさばきの座については、使徒ヨハネが黙示録の中でもっと詳しく書いています。
この最後のさばきに関する終末論の箇所は、今ここで読む価値があるものです。
「また私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行いに応じてさばかれた。それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投 げ込まれた。」 (黙示録20:11-15)
イエス様を信じなかった者達のためには「数々の書物」が開かれ、イエス様を信じた者達のためには1つの書物(いのちの書)だけが開かれたことに注目してください。なぜなのでしょうか?
それは、神様にたいするすべての罪と不従順の行為は記録されていて、最後のさばきを下す前に神様の正義を不信者達に示すためです。
そして、キリストに従った(おそらく)何十億もの人達にはたった1つの書物だけが必要だった理由は、キリストの十字架での身代わりの死による尊い血にたいする信仰のゆえに彼らの罪は洗い流されたからです。
そういう訳で、「いのちの書」に唯一記録されれていたのは、イエス様を人生の主として受け入れた者達の(罪ではなく)「名前」だったのです。(ヨハネ1:12-13、ローマ10:9-10)
最後に、イエス様は地獄は人間のために造られたのではなく、悪魔とその使いたちのために造られたのだと語られました(マタイ25:41)。
神様は、人間が1人として滅びることなく、すべての人が悔い改めることを望んでおられます。なぜならイエス様は、この世を裁くためではなく、救うために来られたからです(Ⅱペテロ3:19、ヨハネ3:17)
そういう訳で、どこで永遠を過ごすのかという選択は、1人1人にゆだねられているのです。
イエス様を信じてください。そうすればあなたは滅びることなく、永遠の命を持つことができます。(ヨハネ3:16)
「御子(イエス・キリスト)を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。」(ヨハネ3:36)
ジョゼフ・マテラ
国際的に知られた作家、活動家、神学者。国々に影響を与えるリーダー達に影響を与えることを使命としている。
現代起こっている出来事をみ言葉のレンズを通して対処し、現代のポストモダン文化にたいして説得力のある答弁をすることで知られている。
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