またまた結婚に関する内容です(笑)

聖書が語る結婚生活における従順とそうではないもの


クリスティーン・クラーク


「聖書が語る結婚生活における従順」の本当の意味を見てみましょう。因みに、これは完全な定義ではありません。というのも、1つの記事で全てを取り扱うことはできないからです。ただ、しっかりとした基礎を築くのには十分な内容です。
さあ、それでは早速見ていきましょう。


聖書が語る結婚生活における従順とは・・・


1.結婚生活における従順は第一に、役割と働きのことを言っている


聖書的従順は、多くの人が思い浮かべる型にはまった「主人と奴隷」のイメージではなく、大統領と副大統領を彷彿させるような機能的な役割のことを言っています。
この世の中はリーダーシップという構造の上に築き上げられていますが、結婚もそれとまったく同じです。
組織やビジネス、スポーツチームのどれも、1人の人が頭(CEO、会長、ヘッドコーチ、リードティーチャー)として任せられる時に一番良く機能します。


リーダーシップには屈辱さや不快さはまったくありません。神様は、結婚もこれとまったく同様に機能するようにとうまくデザインされました。


このレンズを通して見る時に、実際に私達は神様のデザインの健全な構造と知恵を理解し始めるのです


結婚生活であろうと、会社であろうと、誰かがリーダー、最終決定者としての責任を持たなければいけません。神様の最高の計画において、神様はその役割を男性に任せられました(エペソ5:23)。
結婚生活における聖書的従順は、夫のリーダーシップに従うことによって実現されるのです。


ジョン・パイパーがこう言っているように。
「従順とは、夫のリーダーシップに敬意を払って、それを支持し、夫がリーダーとしての役割を最後までやり通すことができるように自分に与えられた賜物に応じて助けるようにと、神様が妻に与えられた召しです。
それは夫の権威に従う気持ちであり、夫のリーダーシップに従おうとする意志です。
またそれは、『私はあなたが、私達家族の主導権を担うことを喜んでいるよ。あなたが様々な物事にたいして責任を持ち、愛をもってリードしてくれるのが嬉しい。』という態度です。」


2.結婚生活における従順とは、結婚生活においてチームであるということ


(神のみことばに従って生きようとする時に)突極的に、この聖書的夫婦の役割は、夫と妻が一致したチームとして機能するのを助けます。


ザックとの結婚生活において、ザックを私達家族のチームリーダーとして見ることによって、私は聖書的従順を実行しています。
私達は2人とも、積極的なチームプレーヤーですが、彼は神様のデザインによって『キャプテン』として任命されているのです。
キャプテンとして、最終的にザックは、私達の家族をビジョンと情熱と目的を持って導くという責任を神様にたいして負っています。
彼は、自分に任せられている人達の霊的訓練と同様に、私達家族の方向性やゴールにたいして責任があるのです。(エペソ5:25-27、ヨシュア24:15)


チームプレーヤーとして、私達は両方ともアイデアや情報、懸念、ゴール、助言、祈り・・・etcを出しますが、最後には私はザックが私達家族のために最終決定を下すのを喜んで認めます。彼のリーダーシップに従うことを選びます。神様が彼に与えられた立場を尊重することを選ぶのです。「キャプテン」の立場を得ようと争うのではなく、私はリーダーであるザックを励まし、応援しています。


3.結婚生活における従順とは、突極的には神様には信頼すること


従順とは、突極的には、妻が夫に信頼し、従うことではなく、妻が神様に信頼し、従うことです。
女性である私達が、神様のデザインを好もうと好まなかろうと、私達の仕事はまず神様に信頼し従うことです。
結婚生活における従順は、結局のところ神様にたいする私達の信頼を試しているのです。
箴言3:5は私達にこう語っています。
「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りに頼るな。」


私の夫は素晴らしい人ですが、完璧ではありません。事実、私とまったく同じ罪人です。つまり、彼は夫として、またリーダーとして欠けがあるということです。時々、彼が私を失望させることは間違いなくあります。
だからこそ、私の最終的な希望、信頼、確信をザックに置くことはできないのです。私は神様に私の希望を置く必要があるのです。
神様が私の力、錨とならなければいけません。神様のみことばにたいする尊敬の念と神様にたいする信頼のゆえに、私は進んで、結婚にたいする神様のデザインに従うのです。


「クリスチャンの女性は、夫に、また夫を得ることに自分の希望を置いたりはしません。彼女は神様の約束に希望を置くのです。」-ジョン・パイパー


私達の信頼が私達の救い主にしっかりと根ざしている時のみ、妻にたいする神様の召しを受け入れることができるのです。


罪のゆえに、聖書的従順はチャレンジを強いるもの


誰かのリーダーシップに従うのは私にとって非常に苦痛であることを認めます。
私の罪深い心は、意気地なプライドで一杯です。どちらかというと「どうもありがとう」と捨て台詞を言いたいんです。
本当に大変なんです。結婚生活における従順は、罪のゆえに、難しく、魅力を感じさせないのです(創世記3:16)。


罪がこの世界に入って来るまでは、アダムとエバはあらゆる面において完璧な結婚生活を楽しんでいました。
罪が入ってきて初めて、結婚生活と男女の役割が戦場化していったのです。
エバの罪にたいする罰として、神様は彼女に言われました。
「あなたは夫を恋慕うが、彼は、あなたを支配することになる。」(創世記3:16)
あらら。


罪はすべてをめちゃくちゃにしてしまいました。罪は私達の願いを捻じ曲げてしまいました。
罪は、結婚生活に痛みをもたらしました。


シャノン・ポップキンが言っている通りです。
「アダムとエバが神様に従うのを拒んだときに、彼らは神様の麗しいデザインを台無しにしてしまいました。
アダムとエバの反逆の性質を引き継いでいるので、私達の誰一人として従いたくないのです。」


罪が服従を嫌なものとしてしまった


結婚にたいする神様の良い、そして本来のデザインの麗しさを体験する唯一の方法は、私達の罪深い心をキリストに明け渡すことです。
私達はイエス様に、自分の醜い反抗的な心を謙遜と義の心(ローマ8章)に変えてもらう必要があります。
この世の従順は、神様に心からへりくだって服従した時のみ可能なのです。
そうした時のみ、私達は神様の結婚にたいする良いデザインを受け入れることができ、受け入れたいと願うのです。


さあ次に、聖書が語っていない、間違った従順を見ていきましょう。


私達は、「聖書が語る従順」という言葉が、沢山間違って定義されてしまっている時代に生きています。
それでは早速、それらの嘘をいくつか暴いていきましょう。


1.聖書が語る結婚生活における従順は、私達の価値を決めるものではない


聖書ははっきりと、男性も女性も神様に似せて造られたと言っています。

「神は仰せられた。『さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。』神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」(創世記1:26-27)

従順とは、女性が男性より劣っているという意味ではありません。そうではなく、ただ単に、女性が男性とは異なる役割を担っているということなのです。神様は男性も女性も100%平等に価値あるものとして見てくださっています。


2.従順とは、愚かな行為ではない


神様は男女両方に、脳を造られました。神様は男女に、異なる強さ、才能、賜物を与えられ、私達がそれらを神様の栄光のために用いることを願っておられるのです。(Ⅰペテロ4:10、ヤコブ1:17)


女性が結婚生活に入って行く時に、神様は彼女に頭脳や賜物を置いて来るようにとは言われていません。それどころかむしろ、家族のためにそれらを用いるように、と言われています(箴言31:10-31)。
神様は男性に、妻を無理やり従わせろとは一つも言っていません。それどころかむしろ、それは(夫に服従すること)、神様に敬意を払うがゆえに妻が選び取ることなのです。


3.従順とは罪深い行為や虐待を容認することではない


罪は多くの結婚生活に沢山の痛みを引き起こしています。
「聖書的従順」という旗の下で、妻を虐待している夫達は、神様のデザインに真っ向から反することをやっているのです。
これは本当に恐ろしいことです。
聖書が語っている結婚生活における役割は、虐待や暴力、身勝手さに何ら余地を与えていません。
神様が男性を女性より強い者としたのは、男性が妻を愛し、養い、守ることができるためです。


神様がクリスチャンの夫達に期待しているのはこれです。

「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。・・・そのように、夫も自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。自分の妻を愛する者は自分を愛しているのです。だれも自分の身を憎んだ者はいません。かえって、これを養い育てます。それはキリストが教会をそうされたのと同じです。」(エペソ5:25、28-29)


もし夫が妻を虐待していたり、罪深い活動に加わっているなら、妻はそれをおとなしく受け入れるようにとは一つも言われていません。彼女の忠誠はまず何よりも、キリストにあります。
神の女性達は、知恵と真理をもって罪深い言動に立ち向かっていくべきです。


この記事を読んだ皆さんの心が柔らかくなり、目が開かれ、神様にたいする信頼が強められますように


聖書が語る結婚生活における役割は、夫と妻がそれぞれ、へりくだった心と恵みをもって受け入れるなら、本当に素晴らしいものなのです。神様のことばをそのまま信じるクリスチャン女性世代と私達がなりますように。
完全に理解することができない時でも、結婚生活にたいする神様のデザインを受け入れる女性達に。
意気地なプライドではなく、謙遜さと恵みによって強さを醸し出す女性達と私達がなりますように。


最後に、私達は選ばなければいけません。神様に従うか、それとも自分の肉に従うのか。神様が良い方であると信じるか、それとも恐れの中で生きていくか。
自分の人生を完全に神様に明け渡すか、それとも簡単な部分だけ明け渡すのか。


それを決めるのは私達です。私達の選択がすべてを物語るのです。
私達の人生がイエス様の福音を美しく、そして正確に伝えるものとなりますように。
天国で、私達の創造主の前に立つその日、主が私達の目を見つめ、神様だけに希望、信頼、確信を置いた忠実な娘達の姿を見られますように。