あなたの証が力強い武器となる3つの理由
カイル・ウィンクラー
聖書は、私たちの武器庫にはサタンの告発に対する2つの力強い武器があると明らかにしています。
「小羊の血」と「自分たちのあかしのことば」(黙示録12:11)です。
聖書をよく読んでいる方達にとっては、小羊の血はとてもわかりやすいものです。
それは、サタンが利用しようとする私たちの罪と過ちの記録を消し去るためのキリストの十字架での犠牲と流された高価な血潮を表しています。(コロサイ2:14)
多くの人達がすぐに理解できないもの、それは「あかし」がどのように武器として用いられるのかということです。
これからじっくりとそのことを見ていきますが、証というのはあなたの人生においてサタンを黙らせ、神の力を他の人達の人生にもたらすのに非常に効果的なものなのです。
証とはなんでしょうか?
「証(Testimony)」は、ギリシャ語の「マルティリア(martyria)」を訳したもので、「証拠」という意味です。
けれどそれはただ普通の証拠ではないんです。
この言葉を見ると、martyr(殉教者・ひどく苦しめる)の語源であることに気がつくと思います。それなので、本質的には、ここでいう証とは「あなたを殺しかけたものの証拠」と定義されるのかもしれません。
証とはあなたがどのようにして最大の試練を切り抜けたか、どのようにして過去に勝利したか、もしくはどのようにして今日でも生きているのかという証拠です。
単純に言うなら、あなたの証は、現在のあなたになるまでの途上で体験した痛みもすべてひっくるめたあなた自身のストーリーです。
どのようにして自分の証を用いるのか
私たちは皆、身を切られるような体験をしたことがあるはずです。あるものは私達自身の過ちであり、あるものは違います。
どのようなものであれ、それらのほとんどが、私たちに目に見える、もしくは見えない形で影響を与えています。
過去に性的な罪と闘った人は、心の内に恥を感じているかもしれません。虐待された人は、自分は愛されてないと感じていることでしょう。元薬物中毒者は腕の注射針の跡が時たま目につくかもしれません。こういった瞬間や感情は私達の過去を示すものかもしれませんが、それが私たちの証の「結末」ではないのです。
著書「Silence Satan」で詳しく探っているように、小羊の血の驚異はそのいやしの力です。(イザヤ53:5)
イエス様の血潮は、私達の罪と恥を完全に消し去り、主ご自身の義なるアイデンティティーで覆ってくださるのです。
傷が傷跡になるのは本当に力強い瞬間なのです。
傷跡とは、単純に傷が癒されたことです。そして癒されたので、前まであった痛みや恥はもはやなく、かわりに癒しの証拠と神様の力のリマインダー(思い出させるもの)があるのです。私たちはそれらの傷跡を後悔したり、隠したりする必要はありません。むしろ、私達が武器として証を用いるとは、それらの傷跡を臆することなく他の人達に見せること、つまり他の人達に「自分の過去はこうだったけど、神様によってこうなった」と伝えることなのです。
そうして証をするとき、私達は少なくとも3つの手強い方法でサタンを打ち負かします。
1.証をすることによって、他の人達と気持ちを通じ合えるようになります
すべての説教者達が、自分の人生についてどこまで分かち合ったらいいのだろうかと葛藤しています。あまりにもあっけぴろになり過ぎたら、権威や人々からの尊敬を失ってしまうのではないかと、恐れているのです。
しかし、私は全く真逆であることに気がつきました。
ミニストリーを始めた当初に、私は主から、可能な限り自分の人生についてオープンに語りなさいとチャレンジを受けました。
皆さんが、私の他の記事を読んだり、メッセージを聞いたりするなら、そこで使われているほとんどの例が私の人生であることに気がつくと思います。私がそうするのは笑いを取るための逸話や同情を集めたりするためではありません。
そうではなく自分の人生で体験した闘いや勝利を分かち合うと、人情味をあふれさせ、他の人達に親しみやすさを感じてもらえるからです。
聞いている人達は「私はカイルみたいになっれこない。」と思うのではなく、私の証の中に自分自身を見て「カイルって私みたいだったんだ」と言うことができるのです。
人々が私の体験を自分の体験と重ね合わせると、どのように私がそこから抜け出ることができたのか知りたい!とよりいっそう興味を持ち始めます。
あなたもこれとまったく同じことを必ず目にするはずです。あなたが自分自身の人生をオープンにして、傷跡を見せるやいなや、苦しんでいる人達と同じ高さになります。その高さからのみ、心の傷ついた人達をいやす本当の機会を持つことができるのです。
2.証をすることによって、あなたは過去の影響から解放されます
ある人達は、自分の傷は完全に癒され、過去から解放されたと思っていますが、自分の傷や過去について語るなんて恥ずかしすぎると思っています。本当のことを知ったら、今までどおりに接してもらえなくなるかもしれないと恐れているのです。
そうであるならば、もっと癒しが必要なのかもしれません。けれどもたいていは、自分を十字架につけることが必要なのです。
告発者を打ち負かす証の力について誇った後に、聖書は「彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。」(黙示録12:11)と締めくくっています。
これは、十字架につけられた人生のことを言っています。あなたの過去がキリストの十字架に完全につけられ、イエス様の血潮で覆われているなら、恥る理由はありません。過ちの記録は、もはやあなたに付きまとうことはなく、あなたは、もはや他の人の評価を恐れることはないはずです。
けれどももし恐れているのなら、その恐れに打ち勝つ道は、証を始めていくことです。
ちょっとした機会から始めてください。親しい友達との何げない会話の中で、証してください。ソーシャルメディアに投稿したり、短いブログを書いてください。証する度に、あなたの過去の影響がまた一つ十字架につけられいくのです。あなたが恥をまったく感じなくなるまで。
そしてそうなったならば、サタンの告発はあなたにたいして何の力もありません。「古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(Ⅱコリント5:17)
3.証することによって、希望が解き放たれる
私達は皆ひとりひとり、ある理由のために何かから救い出されました。「それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためです。」(Ⅰペテロ2:9)
この暗闇の時代にあって、人々が復活の希望を見ることは本当に重要なのです。かつてないほど人々は、神様がリアルで、神様が自分を愛していて、そして神様には自分の人生を価値あるものに変革することが本当にできるんだという確信を必要としています。
その変革を体験した者として、あなたの証には希望を解き放つ力があります。
あなたの証は、中毒者に「自由になることができるんだ」という希望を与えることでしょう。病気の人には、症状が最終的な答えではないという希望を。
鬱の人には、大きな喜びがあるという希望を。見捨てられた人には、神様に受け入れてもられるという希望を。
心配している人には、神様が供給してくださるという希望を。
あなたの証が大きかろうと小さかろうと、それは、今日直面している問題を乗り切るために誰かが必要としているものかもしれないのです。だから、隠さないでください。
Kyle Winklerは人々が勝利の中を生きることができるように備えています。Shut,Up,Devilの開発者であり、Silence SatanとActivating the Power of God's Wordの著者です。Reprinted with permission from Charisma.
Copyright Charisma Media, USA. All rights reserved. www.charismamag.com.
