この記事を翻訳したのは、誰かを裁いたり批判するためではなくて、真理を知ってほしかったから。
それと異端だとは知っていても、違いがわからない人が(私を含めて)多いんじゃないかなと思ったためです。


クリスチャン、カトリック、モルモン教、エホバの証人 どれが真理?



シェーン・イドルマン


正統派キリスト教は、主に2つの土台の上に立っている。イエス・キリストが神であることと、聖書の無誤性(聖書が原典において全く誤りがない神の言葉であるということ)だ。この2つの基本的核心において分裂しているなら、一致することはできない。
この記事は、クリスチャン、カトリック、モルモン教、エホバの証人の違いとなぜ私達が「みんなで上手くやって行く」ことができないのか(そうできたらいいのだが)をさらによく理解する助けとなるかもしれない。


私達は、違った信仰をもった人達も含め、全ての人と平和を保つようにと促されている。しかし、聖書はまた、真理のために、そして違いを比べるために大胆に確信をもって、聖書的根拠を示すようにと私達に勧めている。宗教の交渉者となるのではなく、平和を造り出す者となるようにと・・・・


聖書の無誤性


・ローマ・カトリック教会は、法王と司祭の教えと聖伝とに従順するようにと奨励している。しばしば聖書よりも聖伝の方が優先されている。伝統的に、信者は聖書を読むようにとは奨励されておらず、法王の解釈を頼りとするようにと奨励されている。
「キリストの代理者」という肩書きは、ローマ法王がキリストと同じ力と権威を教会にたいして持っていることをほのめかしている。


・モルモン教は聖書を引用はするが、主にモルモン書を読んでいる。モルモン書に出て来る地名の地理的な位置が今だ見つかっていないという事実にも関わらず(信仰箇条第8番目)。エルサレムがどこにあるかは知っているが、ゼラヘムラやバウンティフル、その他の地名がどこにあるのかは知らない。聖書とモルモン書の両方を信じるようにというチャレンジは、イエス・キリストとジョゼフ・スミスの双方を正しいとすることはできない。その2つは至るところで相反し合っているからだ。モルモンの教義は、彼らの生きている預言者達の霊感を受けた言葉が権威ある言葉だと教えている。つまり、聖書よりも優先されているのだ。モルモン教徒達は長年「私は、この教会が本物であり ・・・私達の預言者が本物の神の預言者であることを知っているというこのことを証していきたい。」と言ってきて、深くその考え方が根付いてしまっているので、モルモン教について疑うことがめったにない。


・エホバの証人は自分達の新世界訳聖書が学術的で、他の聖書よりも正確だと言っている。しかし、新世界訳聖書の翻訳者達は、聖書学者でも神学者でもなかった。元エホバの証人デビッド・リードは、キリストが神であることを除外するという唯一の目的のために1961年に新世界訳聖書は出現したと語っている。彼らはまた、イエスと天使長ミカエルは全く同一だと信じている。


・正統派キリスト教は、聖書のことばのみを土台としている。宗教改革は、世界に神のことばである聖書に立ち返ることへの渇望を燃え立たせた。ローマ・カトリック教会に挑戦した多くの者達は殺された。聖書は私達の信仰の絶対間違いのない規範であり、私達に確かな福音の知識を与えるのに十分である。
「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。」(Ⅱテモテ3:16)
私達には、聖書につけ加えることも、聖書から何かを取り除くこともできないのである。


キリストによる贖いのみ


・ローマ・カトリック教は、マリヤは罪がないと教えている。贖いを助ける共同贖い主なのだ。あるバンパーステッカーにはこう書いてあった。「イエスを見出すことができないなら、マリヤを探し求めよ」
信者達に、信仰だけでキリストを信じるようにと教えるかわりに、カトリックはしばしば「恵みを得る」ためにマリヤ崇拝と良い行いを奨励しています。カトリック教徒は、煉獄での苦しみから解放されるために死んだ後でさえも「教会」に依存している。罪は懺悔をするたびに赦されるが、罰は残っていると教えている。


・モルモン教徒は、神はかつて人間であったが、今は昇栄した人である、だから人類も神となることができると信じている。預言者ジョゼフ・スミスは、このことを「偉大な奥義」と言及している。(Times and Seasons 5:613; 1844年8月)
ある人達は、それを撤回しようとしているが、モルモンの教義はそう教えているのだ。また、モルモン教は、神の妻が私達の天母であり、私達は彼らの霊の子ども達である。救われるためには善い行いが不可欠だと主張している。
ジョゼフ・スミスと「福音の回復」(末日聖徒イエス・キリスト教会の教義上の概念)がなかったならば、救いはなかった。末日聖徒イエス・キリスト教会以外には救いはないと教えている。(Mormon Doctorine 677ページ)


・エホバの証人は、救いは信仰のみではなく、行ないによって与えられると信じている。イエス・キリストは完全な人間で、私達と同じような被造物であると教えている。(英語版)新世界訳聖書のヨハネ1:1によると、キリストは「a god (漠然とある1人の神)」であって、「God(全能の神)」ではない。エホバの証人は、イエス様がご自身について言われたすべてを信じてない。新世界訳聖書とものみの塔のトラクトは組織的に、イエス・キリストを創造者ではなく被造物とし、イエス・キリストの神性を取り除くことを目的としている。


・正統派キリスト教は、マリヤは神から非常に好意をもたれたと教えているが、罪がなかったとは教えてない。彼女は、贖いにおいて何の役割も果たしてない。私達がキリストを最小限に評価するときにはいつでも、私達は危険な状況にいるのだ。正統派キリスト教は、イエス様こそが唯一の道であり、真理であり、いのちであると信じている。イエス様を通してでなければ、だれひとりとして父のみもとに来ることはない。(ヨハネ14:6)。イエス様は「あるひとりの神(a god)」ではなく、「全能なる神(God)」なのだ。
罪を悔い改め、イエス・キリストを主と告白した時に、私達は完全に赦される。(ローマ3:24-25)。


父なる神様は私達のようであったことは一度もなく、私達もまた神のようになることはない。あの危険な考え方は、人間を高めるものだ。もし誰かが「光の使者」が新しい真理をもって自分達に現れたと主張するなら、私達はその人達にむかってパウロの言葉を指摘すべきだ。「しかし、私たちであろうと、天の御使いであろうと、もし私たちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その者はのろわれるべきです。」(ガラテヤ1:8)


キリストだけが教会の頭である。私達にはさらなる仲介者も大祭司も必要ない。イエス様こそが私達の仲介者であり大祭司なのである。(ヘブル4:15)。私達は救われるために、いかなる教会にも団体にも所属する必要はない。繰り返すが、救いは唯一キリストを通してのみ来るのだ。「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。」(エペソ2:8)


私達の罪という負債は全額支払われたので、私達は神の前に立つことができるのだ。どのような仲裁者達も仲介者達も、苦行も、行ないも十字架でのキリストの完成されたみわざにつけ加えることはできない。


ローマ10:9はこう宣言している。「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。
この真理こそが本物なのだ。


シェーン・イドルマンはカリフォルニア州ランカスターにあるWestside Christian Fellowshipの創設者であり牧師。作家。
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