神は、このシーズン、飢え渇いた心を持った人達を講壇に呼んでおられる


パット&カレン・スチャットズリン

この本を執筆するというとてつもない旅は、今からだいたい20年前、祭壇について議論していたある夜遅くに始まりました。
1997年5月、私達はアラバマ州ディケーターのカルバリ・アッセンブリー・オブ・ゴッドでユースパスタをしていました。教会とユースミニストリーはリバイバルしている最中でした。私達の教会の南、車で4時間ほどの場所のフロリダ州ペンサコーラーにあるブラウンズビル・アッセンブリ・オブ・ゴッドもまたリバイバルの風を体験しているところでした。私達の教会の主任牧師ジョージー&フィリス・ソウイヤ夫妻は、神様をさらに求めて飢え渇いていて、その情熱が教会スタッフの心をも同様に捕えていました。私達は当時若い牧師夫婦で、神様が御霊をアラバマ南部に注がれるのを見たいと切に願っていました。私達の内側で、密かに何かが起こっていたのです。後に、神様が私達を次の段階へ移す準備をしていたのだということに気がつきました。主のプロセスの一部は、私達の霊をかきたてることだったのです。今まで、私達の霊を満たしてきたものではもはや満足できなくなっていたのです。

私(パット)は、私達家族の小さな分譲マンションのリビングルームである早朝祈っていた時のことを覚えています。そこで横になっている時に、私は突然、ダビデ王が契約の箱をイスラエルに戻すために運んでいる幻を見ました。私は主に「主よ。なぜこの幻を見ているのでしょうか?」と尋ねました。すると主は、「息子よ。わたしは、あなたとカレンに、わたしの憐れみの御座をアメリカに運び戻してほしいと思っている。」と言われたのです。その時、神様が私達を伝道者となるように呼んでおられるのだと分かりました。

事実、私達のミニストリーは2015年まで、憐みの御座ミニストリーと呼ばれていました。2015年に、新しい啓示が来た後、名称をレムナント・ミニストリーズ・インターナショナルに変えました。あの朝、私が床に横になりながら祈っている時に、当時5歳だった息子が来て、私の隣に横になり、尋ねてきました。「パパ。なんでパパはいつも泣いているの?」

私は微笑んで、答えました。「それはね、天のパパがこの時代の人達のために心を痛めているからなんだよ。」

すると再び突然、主が私に語られました。「息子よ。あなたは自分自身の死を嘆いてるから泣いているのだ。」

「主よ。それはどういう意味ですか?」

「こういうことだ。わたしがあなたとカレンを用いるなら、あなたは全てに死ななければいけないんだ。あなたはわたしのために祭壇を築かなければいけない。」


私達夫婦は共に、地球の4隅を200万マイル以上旅してきました。何十万という人達が救われ、新しくされ、御霊に満たされ、癒されるのを見て来ました。それは決して簡単なことではありませんが、神の臨在によって続けさせてもらっているのです。そして祭壇で主とお会いするということを従順に続けることによって、本当にそれによってのみ私達はその神の臨在を体験しているのです。

私達は集会で祭壇への招きをすることで知られています。そして私達は、祭壇で何千という人達が触れられ、変えられていくのを見ています。しかし、多くの人達は、その明け渡しと従順の場所を去ってしまうのです。私達の教会の祭壇は、神様の道筋を歩んでいくことを学ぶための場所よりかは、人がプラットフォームに上るための階段となりはててしまっています!悲しいことに、私達の多くの教会でもし主が現れたなら、主は人々から、赤の他人のように扱われしまうそのような時代に、私達は生きているのです。

もし私達が、神の変化させる力を体験しようと思うなら、祭壇に戻らなければいけません。イエス様が十字架に腕を伸ばされた時、イエス様は人類にこう言われたのです。「今、あなたがたには神様と会うための方法がある!」
イエス様のこの地上での全ミニストリーは、私達が天に直接アクセスすることができるために打ち立てられたのです。

もし、あなたが月並みの霊的生活(しかし、この霊的生活をするなら、天国で神様とお会いした時に、あなたは赤の他人と会ったような気分になるでしょう。)に満足しているなら、これを読まないでください。あなたを信仰と自由と権威と知恵と祝福と霊的アイデンティティーと自分自身に死ぬという冒険へと連れて行く、神様の召命は応答を要求しています。私達はこれから物理的教会の祭壇について議論しますが、この神の召命は、個人的なものであり、強盗達の真ん中で十字架にかかられたお方との深い出会いなのです。人々や、講壇、賞賛を求めること以上に、もう一度私達が神様を見たいと切に願うのは十字架の祭壇でなのです。そこでは私達は、宗教的排他的小集団中で被告人になるのではなく、天の法廷で申立人となるのです。

これは満足しきった人達や、神様が自分達の空間に侵入してくるという考えにしり込みする人たちのための召命ではありません。これは飢え渇いた心の人達への召命であり、突極の祭壇は天の宝石(イエス様)を抱えた十字架であったという悟りへの召集なのです。(ヘブル10:12-13)

あなたの解放が待っている場所へと、走り、歩き、あるいは這い戻っていく気はありますか?日々の止まることのない仕事を脇に置いやって、長年使われていなかった神との出会いの祭壇をまた再び用いる気はありますか?
もし、そうであるなら、あなたは、私達が「祭壇で変えられた者達」と呼んでいる者となる最有力候補かもしれません。「祭壇で変えられた者達」とは、神様との日々の出会いがなければ、人生は完全にならないと気がついた人達のことです。彼らは、詩篇32:7を体験した人達で、これが彼らの叫びなのです。
「あなたは私の隠れ場です。」
*この記事は、パット&カレン・スチャットズリンの最新刊「Rebuilding the Altar(祭壇を建て直す)」から抜粋しました。

パット&カレン・スチャットズリンはインターナショナルな伝道者であり、レムナント・ミニストリーズ・インターナショナルとアイ・アム・レムナント・ムーブメントの創始者です。全ての年代の人々を神様との深いエンカウンターへと導くことで知られています。また幾つかの本も書いています。1990年に結婚して以来、アラバマ州バーミングハムに在住しています。

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