RT ・ケンドル:神様を感じることができない時どうすればいいのか?


ジャスリン・ジャスティス

あなたが神様を愛すれば愛するほど、主の臨在を常に感じることはないかもしれない。

多作の作家であり、聖書学者のRT ・ケンドル氏は、そのことをよく知っていると、語っている。そもそも、そばにいる主を感じないということは、悪いこと、罪深いことなのだろうか?

ケンドル氏はこのように語っている。
「何も感じなくて、主があなたの祈りに答えてくれないと、あなたは裏切られた気分になります。主が、語られたことを守ってないように思える時、あなたはこう言います。「主よ。どうもありがとうございました。もうあなたのことなんてどうでもいいです。」
けれど何も感じない時、そして主に裏切られたと感じ、大混乱が起こった時、天国では絶対に起こることがない物事を現実の世界で目にする時、そのような時にこそ、あることをする機会なのです。こういうのはなんですが、でも間違っていないと思います。-そのあること、つまりそのような時にこそ、あなたが主を喜んでいることを、主に示すことなのですが、やる人はわずかです。」

この教えは、詩篇16編とケンドル氏の最新刊「The Presence of God(神の臨在)」(販売中)が由来だ。

ウェストミンスターチャペルの前牧師であるケンドル氏でさえ、時々主の臨在を感じられないと述べているが、だからといって、神様が彼を見捨てたわけではないのだ。

この啓示の中には、深い教えがある。

ケンドル氏は、神様を感じられないことを嘆くのではなく、詩篇の作者を思い起こす良い機会とした。

詩篇16編で、ダビデは主を自分の前に置いた、と語っている。ケンドル氏は、この聖書箇所を、主の臨在を感じられない時であっても、神様が自分の右側におられるのを思い浮かべるために用いています。と書いている。

「この箇所の意味は、私が思うに、ダビデは、主が自分の前におられることを思い浮かべたのです。」と、ケンドル氏は説明している。
「ダビデは、『主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。』と言っています。実のところ、イエス様はあなたの右にいつもおられるのに、本当にそうだということをあなたは忘れてしまうのです。忘れてしまうからこそ、信仰によって、あなたは、主が自分の右におられるのを想像するのです。これこそ、私が長年してきていることです。」

ケンドル氏は、ある日テネシー州で運転している最中に幻を見たそうだ。道路を走行中に、突然、天が開け、キリストご自身が神様の右側におられるのが見えた。イエス様が自分のためにとりなししていました。とケンドル氏は言っている。彼は救い主の顔を30秒間見た。この出来事が、彼の全神学を24時間以内に変えてしまい、それだけではなく、主の臨在にたいする理解をも変えてしまった。

主の臨在を求めていると最終的にこの問いに行き着く。
神様があなたを喜んでおられるのと、あなたが神様を喜んでいる。どちらのほうがあなたに満足感を与えるか?

神様は私達を喜んでくださっている。でも、それは信仰の本質ではない。

ケンドル氏はこう言っている。「主がご自身の臨在を表してくださる時、主はあなたを喜ばれています。私が車を運転していたあの日、十字架で死なれ、死から復活したあの同じイエス様がおられたのです。イエス様は本物だったんです。それは夢ではなく本当に現実だったんです。とても素晴らしかった。聖書が生き生きしたものとなったのです。今だかつて見たことがなかったものを、私はその日見たのです。とても素晴らしいことでした。」

「しかし、主をまったく感じない時もあります。私がこの本の中で示したかったのは、あなたが感じられない時でも、主は変わらずそばにおられるということです。そのことに変わりはないのです。」

主を感じられないことは悪いことでも罪深いことではない。むしろ、そのような時こそ、どれほど私達が神様を愛しているか、神様に示す絶好の機会なのだ。

主が遠くにいるかのように感じる時であっても、信仰を保ち、神様を喜ぶかは、私達にかかっている。
ジェスリン・ジャスティス
カリスマニュースネット版のディレクター。アラバマ州の牧師家庭で生まれ育ち、リー大学、ワシントン・ジャーナリズム・センターで学ぶ。文筆を通して神様の良さを人々に伝えることを情熱としている。

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