この記事と一緒に私がお酒を飲まない50の理由も読むことをおすすめします。
今回の記事はちょっと、わかりづらい翻訳かもしれません。すいませんぐすん
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
お酒を飲む前に考えてほしい6つのこと


シェーン・イドルマン

数年前に、私はあるカンファレンスに参加しました。そのカンファレンスで牧師達は、一般セッションが終わったらパブ(居酒屋)で集まりましょう。と呼びかけられていました。何人かの牧師達は、自由を行使してましたが、おおっぴらにやる必要があったのでしょうか?私は、このカンファレンスに参加していた何人の人達が、そのことのゆえにつまずいてしまったのだろかと思いました。

日々の生活の重荷によって、しばしば私達はお酒やその他のもので気を楽にし、楽しむようにという誘惑にかられます。私達は厳戒態勢でいなければいけません。敵である悪魔は、私達を神様から引き離すために「機会」を利用するのです。(ルカ4:13参照)この境界線はとても細いので、いつ超えるべきなのか決めるのがしばしば困難です。

お酒を飲む人は、自由と罪、責任感と軽率さ、自由と乱用のぎりぎりの所を歩いています。そしてお酒の飲み過ぎは、その人から指導者としての資格を奪ってしまうのです。(Ⅰテモテ3章を参照)ここで討論するのは、時々飲むワインやビールのことではなく、自由を乱用することについてです。飲酒によって家族や個人に与えるダメージをよく見る必要があります。

ジョン・マックアーサー牧師は、私達の多くが感じていながらも、討論することがめったにない事についてはっきり語っています。「お酒をレクリエーション目的で飲むことを、特に教会が主催する活動で、牧師がすすめることは未熟で無責任なことです。私達が生きるカルチャーにあるアルコール中毒や薬物乱用による破壊はよく知られていることです。酒を飲みすぎること以上に人々を誘惑し、抑圧する罪の束縛のシンボルはありません。」

全く同感です。若いクリスチャンリーダー達が頻繁に飲酒しているという風潮はただごとではありません。彼らの多くは、いつの日か振り返った時に、人々や教会、また彼ら自身の証にもたらされたダメージを後悔することになるでしょう。

ダリン・パトリック牧師は、著書Church Planter(教会開拓者)の中でこう書いています。「私は、アルコール中毒になっている、もしくはなりつつある牧師達の数にショックを受けています。」

デビッド・ウィルカーソン牧師は加えてこのように言っています。「今日アルコールが、現代版の金の子牛です。そして何百万という人達が、老いも若きも、男性も女性も、そのとりことなっているのです。」多くのカウンセリングの予約はアルコールと薬物乱用によるものです。それに加えて、家庭内暴力事件と子どもの虐待の総計は、アルコールによるものなのです。しかし私達は不注意で、アルコールの危険性を見落としています。

私達はしばしば、自分のお気に入りのビールの銘柄やワインをFacebookに投稿することによって、自由をひけらかし、面と向かって神様の恵みをあざ笑っているのです。全ては「自由の行使」という名のもとに。ローマ14章では、個人の自由について述べている一方で、「他の人をつまずかせることは何であれしないように」(21節参照)と強く警告しています。

以下にあげることを考えてみてください

・イエス様は御霊に満たされていました。聖さがイエス様の生活の全てから流れ出ていました。これは頻繁に飲酒する人にはあてはまりません。現代のお酒への没頭の実は何でしょうか?そもそも、お酒の場での会話はしばしば神様から離れたものです。自分の時間や関心事に悪影響を及ぼします。祈り会よりもラスベガスに関心が行くのです。イエス様は「知恵の正しいことは、そのすべての子どもたちが証明します。」(ルカ7:25)と言われました。肉的なクリスチャンは、頻繁に飲酒します。お酒に焦点を合わせたライフスタイルがもたらした結果である有害な実が何よりの証拠なのです。

・聖書は一線を越えることを一度も奨励していません。お酒に夢中になることは、アルコール中毒であることを示すサインであり、イベントや社交的な集まりで飲酒に執着することはまた別のことを指し示しています。ある人達は2,3杯飲んだ後にも関わらず、蒸留酒のコレクションを持ち出してきたりします。これは自由ではありません。中毒です。

・現代のアルコール度数とイエス様の時代のアルコール度数は同じだと私達は思っていますが、イエス様の時代、ワインに少量の水が入っていて、アルコール度数を低くしていました。(Ⅰテモテ5:23)現代のO'Douls(ノンアルコールビール)と似ています。
イエス様の時代の「強い酒」は、酩酊状態にさせる高いアルコール度数を含んだ酒のことを意味していたのです。例えば、エールビールの多くは、普通のビールの2倍のアルコールが含まれています。エールを2パイル(1パイルが500mlぐらい)飲むことは、通常のビールを5杯飲むことと変わらないかもしれません。

・「イエスは罪人達と飲み食いした。」
「しかし、彼らから受け入れられたいがゆえに、取税人のライフスタイルをイエス様が取ったと暗示している聖書箇所はどこにもありません…」(ジョン・マックアーサー)。
私達は、世俗的なライフスタイルに携わることなく人々と親睦をもつべきです。この世の人達は、私達の愛と信念によって、私達がクリスチャンであることを知るのです。私達がどれだけうまくこの世をまねることができるかによってではありません。ノンクリスチャンの人達がこのように言うのを私達が聞くことはほとんどありません。「クリスチャンは妥協することがほとんどないから、好きになれないよ。」
しかし、こう言うのは聞きます。「言っていることとやっていることがまったく違うクリスチャン達に、本当にうんざりするよ。」
「大酒飲みと交わるな。」(箴言23:20)

・今日、飲酒はしばしば中毒ではなく自由だと言われています。多くのクリスチャンは、全てのことをお酒を中心にしておこなっています。交わりやイベント、誕生日、はたまた聖書研究、その他の多くの事がお酒を中心に回っているのです。お酒が注目の的となる時、それは偶像と中毒になりはてるのです。おそらく多くの人はこの記事を読んで気分を害することと思います。

・イエス様の時代、社会は今よりもっと隔離されていました。現代のソーシャルメディアによってどれほどの人が影響を受けているか私達は計算することができません。500人の「友人」がいる人は、多くの人達をつまずかせているかもしれません。他の人をつまずかせないようにするということは無欲な愛が動機となっているのです。い(ローマ14章)

Ⅰペテロ2:16は、多くの人達は罪を隠すために自由を行使していると私達に教えています。ガラテヤ5:13は、私達に「自由を肉の働く機会として」用いないようにと言っています。もし、これら6つの指摘によってあなたが不安を感じるのであるならば、正直に悔い改めることをおすすめします。飲酒がダメージを引き起こすことは確実です。問題はいつダメージを引き起こすかなのです。なぜ、私達は敵の陣営に自分から喜んでのこのこと入って行こうとするのでしょうか?

神様は私たちがどんなものにも支配されてほしくないと思っています。自分の生活を考慮して、飲酒が自分を支配していないか確認してみることはとても大切です。正直になってください。どれくらいお酒を飲みますか?本当に、時々一杯ですか?それとも毎日ですか?ワイン瓶3/4の量が入る大きなワイングラスを2杯飲んでいませんか?

節度を超えて、お酒を飲む活動について計画するために言い訳をしていませんか?あなたの飲酒について他の人に何か言われていませんか?自分の立場を正当化しようとしたり、議論することを頻繁にしていませんか?パウロは、私達には自由が与えられているけれど、全てが私達にとって益となるわけではないと言っています。私達はどんなものにも支配されないようにしましょう。(Ⅰコリント6:12)今こそ、この欠点のある自由から解放される時です。

シェン・イドルマンはロサンジェルスのちょうと北に位置するカリフォルニア州レオナバレイにあるWestside Christian Fellowshipの創設者であり、主任牧師です。彼は最近、7作目の著書Desperate for More of Godを出版しました。

下矢印アルコール中毒から解放されて、その後奇跡的な人生を生きたハロルド氏の本です。何度読んでも飽きません。もしかしたら、図書館においてあるかも。

Reprinted with permission from Charisma
Copyright Charisma Media, USA. All rights reserved. www.charismamag.com.