ひとたびゲイになったなら、一生ゲイなのか?その必要はなし
J・リー・グラディー
同性愛の感情と戦っている人達は、たいてい、その同性愛のアイデンティティーを受け入れるべきだと言われている。多くの心理学者達は、同性愛を問題として扱うべきだと言うのは間違っていると思っているそうだ。
あなたはゲイなんですね。それはすごいね。私達はあなたのことを受け入れますよ。あなたが持ちたい性を持ってくださいね。
しかし、同性愛の魅力と戦っていながら、それはクリスチャンのモラルを犯しているから同性愛から解放されたいと心から思っている人達はどうなのだろうか?こういった人たちは3つのジレンマに直面する。
なぜなら1.一部のクリスチャン達は、同性愛の 人達にたいして偏見を持っていて、彼らのことをまったく気にかけてないから。
2.多くの教会は、カウンセリングを提供できるようととのえられていないから。
3.私達のカルチャーは、一度ゲイだったら、一生ゲイと思っているから。
けれどこのうようなジレンマは、私の友人ウィリアム・ドブソンがゲイのライフスタイルを捨てるのを止めることはできなかった。彼の話しは考慮する必要がある。
ウィリアムは繊細な少年だった。それなので、彼と同い年の子供たちが、彼のことを「女々しい奴」とか「変な奴」と呼ぶようになった時、感情が傷ついてしまった。
しかし12歳の時、イエス様に心を明け渡し、いじめの世界にあって安全と安心を見出した。
そして、大学生の時に聖霊様に満たされてから、同性 愛の感情と戦っていることを牧師に告げた。自分の秘密にたいして正直になってからある程度の自由を感じるようになり、彼は神様を追い求めるようになった。
やがてウィリアムは、フロリダ州、タンパで建築家として成功をおさめるようになり、長年ワーシップリーダーとして奉仕してきた。しかし、44歳の時に、信頼していた牧師が道徳的な失敗を犯してしまった後、彼は信仰の破船にあってしまい、教会をやめた。
そして彼の怒りは、不必要な性的衝動に抵抗するのを止めてしまうほどにまで達してしまい、ゲイのライフスタイルにまっさかまさに飛び込んでいった。ゲイバーに行き、何人もの男性と付き合い、タンパのゲイコミュニティーにすっかり浸るようになった。それだけではなくインターネットポ ルノのとりこになり、ゲイの彼氏と3年間同棲した。しかし、一度も本当の満足感を見出すことはなく、いつも心の奥底で、自分は神様から逃げているんだと分かっていた。
ウィリアムは先週、私にこう語った。
「ゲイのライフスタイルをしていた間ずっと、平安がなかったんだ。」
「僕の対処メカニズムはお酒だったんだ。でも、そうやってごまかしている時でさえ、僕を呼び戻しているイエス様の静かな小さな声を聞くことができたんだよ。」
ウィリアムは助けを求め、最終的にテンパにあるメソジスト教会に行きついた。しかし、カウンセリングした牧師は、ゲイでいることは全然問題ないですよ。と言い、同性愛から脱出する方法を教えるどころか、ゲイのライフスタイルを受け入れるようにと励ました。
「そんな(同性愛賛成)教えを受け入れたことは一度もないよ。Ⅰコリント6:9-11ははっきりと、姦淫をする者、偶像崇拝する者、酒に酔う者、盗む者、同性愛をする者は神の国を相続することはできないと言っている。そしてその同じ聖書が、そのような教えを受け入れることができると信じ込むことは欺きだと断言しているんだよ。」とウィリアムは言っている。
ウィリアムはしばらくの間苦しんだが、ある日、車で仕事に向かっている最中に、ヒルソングの「You are Holy」を聞きながら泣き出した。
あなたの大庭で
あなたの御座近くで
居場所を見出した
「その瞬間、パートナーと分かれることを決めて、自分の性的情熱にこれ以上屈することはしないと決心したんだ。そして自分の人生に神様の召しがあることを認めたんだよ。ずっとその召しから僕は逃げて来ていた。自分のために人生を生きていたけど、そんな人生は僕に虚しさしか残さなかった。自分がした悪い選択による脱線した人生から導き出して、あなたのもとに帰らせてくださいと神様に請い求めたんだ。」
ウィリアムの解放は一夜にして起こったのではない。彼の解放に至る道は遅かったが、神様は忍耐を試された。
打ち破りは3年後、ウィリアムが勇気を奮い起こしてテンパの友人達から離れ、しば らくの間孤立していた時に起こった。その間、彼はポルノ中毒から解放してくれるようにと神様に助けを求めていた。
「ゲイのライフスタイルにのめり込むかなり前から、何年間もインターネットポルノの中毒だったんだ。今日では、完全にその中毒から解放されたけどね。かつて僕の心を捕え、欲望を満足させていた裸の男性達のビデオや写真を探すことはもうしてない。そうしたいっていう欲望が全然ないんだよ。もう1年以上、ポルノ中毒がないんだ。」
ウィリアムは自分だけで自由を見出したのではありません。地元のタンパにあるミニストリー、New Hearts Outreachに電話して、自分の苦しみを理解してくれる男性にすべてを打ち明けた。そしてサポートグループに加わり、カウンセリングを受け、毎日神様と時間を過ごし始めるようになった。今日では、自分はゲイだと思わなくなったのだ。彼は、自分の古い人生を新しい人生に交換した。そう、キリストにあって。
「僕とイエス様との関係はかつてなかったほど親密になったんだ。僕の誤った性的アイデンティティーに打ち勝つための本当の手段を提供してくれるミニストリーとつながり、キリストを愛するリーダー達を見つけたんだ。そして、自分の中に、僕を呼び、導き、教え、強め、愛し、認め、受け入れてくださる生ける神様の御霊がおられることを発見したんだよ。」
ウィリアムは、自分の信念を同性 愛の人達に押
し付けたがるようなステレオタイプで心の狭いクリスチャンではない。彼は「ホモ嫌い」ではないし、同性婚を非難するプラカードをもって通りに立つこともない。彼は今でも同性愛の友人達を愛し、以前同棲していた彼氏とも連絡を取り合っている。
彼の話しは1つの興味深い疑問を提起している。
私たちのカルチャーが自由という名のもとに同性愛を受け入れることを要求するなら、同性愛のライフスタイルを離れたいと思っているウィリアム・ドブソンのような人達の権利をも認めるべきではないのだろうか?この問いにたいする答えは、私たちのカルチャーの中にある「寛容」について語られていることが、実際に不寛容さの偽装なのか、そうでないのか立証するのだろう。
J.Lee Grady
カリスマの元編集者
Reprinted with permission from Charisma.
Copyright Charisma Media, USA. All rights reserved. www.charismamag.com.
