ヤコブは一人旅を続け(ハランまで直線ですと約640Kmの行程)、ようやくハランの近くまで、たどり着き、その井戸で叔父ラバンの娘ラケル(従妹)と出会います。ヤコブの父、イサクのお嫁探しの時も、アブラハムの僕が同じ場所へ行き、羊を飼っていたリベカ(ラバンの兄)と出会いました。叔父のラバンは快く甥のヤコブを迎えますが、ラバンはヤコブが一月滞在する間に、彼の人となりや仕事の能力を評価し、またラケルに好意を抱いているのを利用して、7年間働けば、娘ラケルを嫁に与えると約束をします。この「働く」という動詞(原語)は奴隷が働くときに用いられる単語で、ヤコブが過酷な労働をしていたことが表現されます。しかし、ヤコブにとっては、ラケルを愛していたので、それが苦にならずほんの数日のように思われたと記されています(20節)。
しかし婚宴の当日の夜、ラバンは長女のレアをヤコブへ送り、ヤコブは朝まで気が付きませんでした。ヤコブは兄と父を騙したが、今度は自分が騙されることになり、レアと次女ラケルの両方をめとるには、さらに7年間働かなければならなくなったのです。蒔いた種は刈り取らねばならない。ヤコブは騙される側の思いを知り、自分の能力や悟りではどうしようもないことを経験したことでしょう。気の毒なのはレアで、彼女は父親の命令のままにヤコブの妻となったのですが、ヤコブは騙される手段とされたレアを疎んじ、ラケルを愛しました。
しかし神様は、疎んじられたレアを見て憐れみ、彼女の胎を開き4人も男の子を産みましたが、ラケルはいくら愛されても不妊だったと記されています。レアはヤコブとの夫婦関係で苦しんだのですが、神が子どもを与えて下さったので、長男をルベン(子を見よ という意味)と名付けました。彼女は子を産めば夫が愛してくれとの思いでしょうか。次男も、「シメオン」という名(聞く という意味)で、神がレアの悩みを聞かれたから、そう名付けたことがわかります。3男は「レビ」(は結びつく の意)となづけ、4男は「ユダ」(ほめ称える の意)と名付けました。おそらく3人もヤコブのために産んでも、ヤコブの態度は変わらなかった可能性があります。しかし、4人目でユダと名付けたのは、たとえ夫がふりむいてくれなくとも、主をほめたたえることの中に喜びを見出そうとしたのでしょう。このユダの子孫から、ダビデ王とその歴代の王がバビロニア王国で滅ぼされるまでユダ王国で続き、その末裔からイエス・キリストが生まれることになります。人間的には、叔父の策略により、ヤコブのゆがんだ夫婦関係、複雑な状況が出来てしまいますが、それでもレアから生まれたユダは、主をほめたたえるという意味で名付けられるという神様の不思議なご計画を読み取れます。(引用 新共同訳聖書)