34章に記された息子たちのカナンの地での暴虐行為により、周辺の民族から攻撃される危険が生じ、再び恐れに駆られてしまったヤコブ。そんなヤコブに、神様は再び声をかけて下さいました「さあ、ベテルに上り、そこに住みなさい。」(1節)。20年以上前に、ヤコブが兄エサウの復讐から逃れ、たった独りで遠い母の実家ハランへ旅だった時に、主がヤコブに夢で顕れて下さった場所です(創世記28章)。その時主は、アブラハムになされた約束(土地を与える、子孫を増やす、地上の氏族がその子孫によって祝福に入る約束)をヤコブになさり、さらに「見よ、わたしはあなたと共にいる」(28:15)という、非常に心強い約束をして下さいました。これ以降、神様は苦難の時にヤコブに答え、旅の間ヤコブと共に歩んで下さり、ヤコブが自分で色々と策略をしても、結局いつも神様の介入により彼は守られ、祝福されてきたことが今迄の経緯よりわかります。ヤコブはカナンの地に戻ってきてシケムに祭壇を築きましたが、彼がまずベテルに祭壇を建てることが神様のみ心だったのでしょう。
そして、ヤコブは家族の者や一緒にいたすべての人々に、異国に神々を取り除くように命じました(2節)。逆にいうと、今までヤコブの家族は父ヤコブが信じる主なる神以外に、偶像崇拝もしていたことがわかります。ヤコブも家長として、そこのところを徹底していなかったので、今回のベテルへ向かうにあたり徹底して異教の神々を取り除くこと、つまり皆で悔い改めを実行したと言えます。私たちも本当の神様を信じるようになると、今まで何気なく受け入れていたかもしれないお守り、方角、占星術、「罰が当たる」・「運が悪い」などの言い回し等、迷信的なものを一切受け付けなくなるでしょう。なぜなら、それらは人間が作り出した信心・偶像であり、主なる神様以外に神は存在しないと信じるからです。そして全ては神様の摂理が働かれ、偶然に起こることは何一つなく、神様の御手の中にあり私たちは神様に守られていることを信仰によって物事を受け止められるからです。
彼らがベテルへと旅立つ途中、「神が周囲の町々を恐れさせた」(5節)ので、誰もヤコブの一行を追跡して危害を加える者がいなかったのも、神様の守りがあったからでしょう。そして、創世記17章で神様がアブラムに顕れて「全能の神」であると自己紹介されて、名前を「アブラハム」へと変えられたように、ここでもヤコブに再び「イスラエル」と名付けられ、再び子孫の増加と土地の所有の約束を言われます。神様はヤコブに何度も、祖父アブラハムにされた約束を言ってくださり、そして約束を果たしてくださっています。
ヤコブはその全能の神様に支えられて、その後の愛妻ラケルの死、長男ルベンの不品行、父イサクの死という悲しい出来事も乗り越えていきます。そして、ベテルを信仰の原点としつつ、約束の地を行き巡るという生き方を続けたであろうヤコブを中心とした話が、創世記の最後で再び子供たちを祝福する時まで、いったんこの章で区切りをつけられます。