エジプト王ファラオは奴隷の労働力を失いたくないため、また自分が王であり現人神であるプライドをもってして、イスラエルの民を去らせなかったので、神様はさらにエジプトに災いを起こされます。5つ目の災いは、エジプト人の家畜に対する疫病が蔓延し、すべて彼らの家畜は死んでしまいました。ファラオのせいで結局他の生き物も犠牲になったのです。それでもファラオは意思を変えません。6つ目は、今度はエジプト人に腫物が全身にできるという災いを神様は起こされ、人々は膿のでる腫物に苦しみました。それでもファラオは心を頑なにし、イスラエルの民を去らせません。7つ目は雹の災いで、エジプト全土に今迄にないはなはだしい雹が降り、外にいた人や家畜、そして作物もすべて打たれてしまいます。8つ目はイナゴの災いで、イナゴの大群により雹の被害から免れた小麦などの作物や地のあらゆる草がすべて壊滅状態になりました。9つ目は暗闇の災い。エジプト全土が太陽・月・星が照らない日が3日続き、光をすべて失われた状態が続き、誰も互いに見ることも、自分の場所から移動することもできない程だと記されます。これらの災いは、エジプト全土に及びますが、ナイル川上流のゴシェンというイスラエルの民が住むエリアには全く及ばず、エジプト人の居住地区にのみ起こされたと記されています。イスラエルの民にとっても、「わたしが主であることを知るためである」(10章2節)、彼らの神の偉大さを目撃することになります。
エジプトの王、つまり国のリーダーが頑ななため、その国の民が気の毒に思えます。しかし彼らの王が何度も「もう、イスラエルの民を去らせるから、この災害を止めるよう祈ってくれ」「わたしが悪かった」とモーセに言いますが、すぐに前言撤回するということを繰り返し、災いが次々とイスラエルの神により起こされます。神様は、一度にエジプト人を壊滅させることも出来たのですが、あえてそうならさなかったのは、「実際、今までにもわたしは手を伸ばし、あなたとあなたの民を疫病で打ち、地上から絶やすこともできたのだ。‥しかしわたしは、あなたにわたしの力を示して私の名を全地に語り告げさせるため、あなたを生かしておいた。」(9章15-16節)と神がモーセを通してファラオに言われたように、彼らが生きていてこれらの災害を経験し、真の神がいることを知り、その力を語り告げさせるためだったからです。モーセが予告した災害を聞いた一部のエジプト人は事前に避難していたことから、神様はむやみにエジプト人を苦しめようとされない方です。ファラオの家臣たちもさすがにファラオに訴えました。「即刻あの者たちを去らせ、彼らの神、主に仕えさせてはいかがでしょう。エジプトが滅びかかっているのが、まだお分かりになりませんか。」(10章7節)それでも、ファラオは頑迷でした。
この時代は、王が専制君主であると、そこで生まれた国民は選択肢がなく、国のリーダーの愚かさは致し方ないところはあります。ましてや現代のように選挙で政治家を選べる時代、どのリーダーを選ぶかは国民の責任が問われます。どんな政治形態であっても、宗教を政治の道具として利用せず、神を畏れ、神からの知恵を与えられた政治家が国とまた世界の平和を担ってほしいと願います。そして次章はついに最後の災いとなります。
(新共同訳聖書引用)