聖書の学び 出エジプト記13章 雲の柱、火の柱が導く旅 | ester-chanのブログ

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聖書を読んで示されたことを記しています。礼拝でしたメッセージや聖書の学びの内容も載せています。

 とうとうエジプトでの奴隷状態から解放される日が来ました。今までの奴隷生活での過酷な労働に呻き、休んでいると鞭うたれ、生まれたばかりの男子を殺されと、人間扱いされなかった何十年も辛い日々を送ってきたイスラエル民族にとって、どれ程この日を待ち望み、喜び、歓喜の声を上げてエジプトの地から旅立っていったことでしょうか。現代の私たちのような自由な時代に生活していますと、何かに束縛されて、虐げられている状態というのは想像しにくいかもしれません。しかし、現代であっても、闇バイトなど恐ろしい犯罪組織に拉致されて詐欺の仕事をさせられたり、また借金のために強制的に働かされたりという隷属的状況にいる人たちのことを知ると、早く、彼らが救済されるように祈るばかりです。

イスラエルの人々はエジプトから出て、神様がモーセに葦の海に通じる荒れ野の道へと迂回するよう命じられました。エジプトからカナンの地へは海添いの道を北上すれば近いのですが、その地域にはペリシテ人という民族が住んでいて、イスラエルの民族大移動を見たならば闘いをしかける可能性があり、またそれに対して何の訓練もされていないイスラエルの人々は逃げるしかなく、恐れてまたエジプトへ戻ってしまう可能性があったので、あえてシナイ半島を南下するルートを行かせたのです(17節)。その荒野の旅において、昼は雲の柱、夜は日の柱(22節)という超不思議な現象によって、荒野の灼熱から雲で守られ、夜の寒さ、猛獣からの攻撃から火の柱でテントの宿営地全体が守られ、荒野をさまようことなくそれらの柱が道しるべとなります。

 そして、この歴史的な出エジプトの出来事を忘れないように、お祭りを毎年同じ月に行い、次の世代に継承していくように神様は命じられます。それが過越しの祭りと除酵祭(種をいれないパンの祭り)です。私たちは辛かったことなど、次第に忘れて行きます。人間にとって忘れるということはある意味大切な機能です。すべてのことをみな覚えていたら、特に辛い悲しい恐ろしいことをいつまでも覚えていることはパニック障害などの心の病を引き起こし、人を恨んだり憎んだりすることを続けていると、前向きな人生を送れないからです。しかし、人にしてもらった親切、助けられたことなど良いことは覚えておきたいし、苦しかった時から解放され、助けられたことへの感謝を忘れないでいたいと願います。イスラエルの人が、奴隷からの解放という神様の救いの業を民族的に継承できたのは、このようなお祭りや習慣を世界のどの国へ移住しても続けてきたからでしょう。それが現代のユダヤ人の人々です。

 クリスチャンは、民族や性別、階級など一切関わりなく、ただ、イスラエルの人々を通して表された唯一の神様を信じる信仰で一つの神の民となれます。どの時代、どの国に生きていたとしても、人は自分が罪と死の奴隷のようになっていると気が付いた時、そこから解放されたいと初めて思うでしょう。そしてそこから救って下さるのが神様の御子イエス・キリストであることを聖書が記しています。キリストが十字架にかかられたのはその為であって、このキリストの救いを信じる者は、死んでも生きる、永遠の命が与えられると約束されています*。今のこの体で永遠に生きるのではなく、イエス様が3日後に死からよみがったように、いつか私たちも新しい体に復活して、永遠の命に生きるという将来の希望を与えられています。そして、今のこの体で生きている時も、すでに永遠の命は与えられていて、キリストを信じてこの世で生きる上で、この世の旅路を聖霊の導きのよって天国に向かうという生き方へと変えられます。その救いとは、シンプルにイエス様の十字架のお陰で、自分は罪と死から解放されると信じるだけです。それは、イスラエルの民が、過越しの夜、小羊の血を鴨居と柱に塗れば、死から守られると信じて、救われた様に。

 

*ヨハネによる福音書3:16、11:25-26