前章での「神との格闘」の体験を経て、ヤコブのエサウへの態度が変わりました。400人の従者を引き連れてヤコブに向かってくるエサウに、ヤコブ自身が彼の群れの先に立って進み、しかも、エサウに近づく前に7度も地に頭をつけてお辞儀をしたと記されています。神様によって恐れを取り去られ、エサウに低い姿勢で向き合おうという姿勢がうかがわれます。
私たちの心を変えると同時に、相手の心をも変えて下さるのが神様です。エサウはなんと、ヤコブを抱きしめ、泣き、ヤコブを受け入れたのです。20年前の復讐の思いは神様が取り去り、エサウはヤコブを赦すことができたのでしょう。私たちも、人間関係において過去のわだかまりが互いにあったり、赦してもらえないこと、もしくは赦し難い行為を相手がする場合があると思います。自分の心はとにかく神様に祈り、相手を赦せるように変えて下さいと祈り続け、相手の心に関しては私たちはどうしようもできないので、神様に委ねていきたいと思います。
この後、エサウはヤコブに一緒に進むことを提案しましたが、ヤコブは丁寧にそれを断り、それぞれの道へ進んでいきました。エサウは自分の居住地セイルへ帰り、ヤコブはスコテというカナン地方の入り口へと移動。兄弟が和解したとしても、エサウにはエサウの生きる道、ヤコブは神様の契約を継承する者として行く道があり、それぞれ異なります。和解したからと言って、必ずしも一緒に住まなければならないとか、行動を共にしなければならないということはないでしょう。相手の祝福を祈りつつ、各々神様が私たちを置かれた場所で、生活することができます。
その後、ヤコブはスコトという場所へ行きに自分のために家を建て、そしてシケムの町に移動し、天幕をはった土地の一部をその土地のハモルの息子たちから買い取り、祭壇をたてたと記されています。そして「エル・エロへ・イスラエル」(イスラエルの神の神 という意味)とその場所を呼んだ。シケムという場所は、父祖アブラハムがハランから出発し、カナンの地域に入って初めて礼拝を神にささげた場所です。そこで神様はアブラハムに「あなたにこの土地を与える」創世記12:6-7と言われ、そのことをヤコブは礼拝の場所として知っていたのか、この場所でヤコブも祭壇を建てて礼拝したようです。
しかし、ヤコブにとって、戻るべき場所はベテルだったことが次章以降を読み進めるとわかります。ベテルへ行くべきことはヤコブの中ではわかっていても、おそらくヤコブは叔父のラバンからの独立、エサウとの和解という大問題を解決して、故郷のカナンの地へ入りほっとして、ちょっとその手前で休みたかったのではないかと察します。人間的に考えれば、それも理解できます。しかし、ここで滞在したことが、次章にて繰り広げられる事件につながることはヤコブも想像はつかないことだったでしょう。
大問題を解決して、気が緩み、霊的緊張を欠いて、ほっとして緊張感が抜けたとたんに、別のことが起こりるということは誰にでもあります。神様への礼拝の心と、神様への感謝の心は常に持ち続けたいものです。