アブラハムはサラの死後、ケトラという女性を妻(側女)にし、彼女からもたくさん国民が生まれていることが記されています(23節)。アブラハムは神様が約束なさったように、サラの他にハガル、ケトラを通して多くの子孫が生まれ、多くの国民の父となったのです。(創世記17:4)しかし、アブラハムは全財産を神様との契約の継承者であるイサクにのみ与えています。そばめの子たちには贈り物を与え東のほうへ遠ざけたのは、子供同士で遺産のトラブルがないようにとの配慮でしょうか。ケトラの子孫からミデヤン人がでてきますが、このミデヤン人がイスラエルの民がエジプトから脱出し、約束の地へ移住した後、一時イスラエルの民を武力で支配し、悩ませることになります。それは、イスラエルの民が神様から離れ、カナンの土地の人々が拝む偶像を拝んだことによります。一方で、イザヤ書60章6節にはミデヤン人、シェバが主のくすしい御業を宣べ伝えるとも記されているのは興味深いです。つまり、ミデヤン人だけでなく、わたし達日本人のように以前は神様から遠く離れていた民族にもキリストの福音が宣べ伝えられて、キリストを信じる信仰によって、イスラエルの民に約束された同じ祝福を受け継ぐことができるようにとの、主なる神様のご計画が実現していると下記のエフェソの信徒への手紙が記しているとおりです。
「また、そのころは、キリストとかかわりなく、イスラエルの民に属さず、約束を含む契約と関係なく、この世の中で希望を持たず、神を知らずに生きていました。しかしあなたがたは、以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近い者となったのです。」(エフェソの信徒への手紙2章12-13節)
神様がアブラハムを彼の信仰により義と認めて下さり(創世記15:6)、彼は天の都を待望しつつ75歳で亡くなりました。しかし、彼は体が死んでも、天で都で神と共に生きれる、永遠の命に預かれることを確信していたと下記に記されています。
「アブラハムは、神が設計者であり建設者である堅固な土台を持つ都を待望していたからです。」ヘブライ人への手紙11章10節
またアブラハムの埋葬にはイサクだけでなく、イシュマエルも参列していたことが記されています。おそらく二人は長い間音信不通で離れて暮らしていたと思われますが、父の埋葬の際には連絡できる関係にあったのでしょう。そして12-18節に記されるイシュマエルの系図が記されていますが、主がその母ハガルになされた約束の成就を証ししています。(創世記17:20)
創世記24章の終わりで僕がイサクのことを「私の主人です」と言ったのは、アブラハムがすでに死んでいたことを知っての発言ではないかとも推測されます。創世記に記されている順序からすると、アブラハムが生きているうちにイサクの嫁リベカにあっていた可能性もありますが、25章の記載からすると、僕がヘブロンに戻るとアブラハムはすでに亡くなっていて、イサクがべエル・ラハイ・ロイへ行ったことを知り(11節)、そのままそちらへ向かい、彼の新しい主人にリベカを連れていったのか、いずれにしても定かではありません。
アブラハムは神様に祝福されて、たくさんの恵みを受け楽しい時もあったことでしょう。一方で、神様の約束の子孫については年を重ねるとともに、まだかまだかと何度も期待と失望を経験し、またイサクを捧げるという究極の試練の道を通され困難な人生でもあったともいえます。彼は決して完全ではなかったし、失敗もありましたが「信仰の父」とされています。神様が彼とその家族を守り続けてくださったことから、神様の深い愛の表れを見ることができ、同時にそれと同じ愛と祝福がキリストを 通してすべての人に準備され、それを受け取れるように一人一人が招かれていること、その恵みに感謝したいと思います。 (新共同訳聖書 引用)