子供のように成長を目指して | ester-chanのブログ

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聖書を読んで示されたことを記しています。礼拝でしたメッセージや聖書の学びの内容も載せています。

 小さい子供たちに久しぶりに会うと、その成長にいつも驚かされます。一方、何年、何十年ぶりに友人や同窓生とあって、「変わらないね」と互いに言いあうことがあり、見た目が変わっていない(年をとったように見えない)という、誉め言葉であるともとれます。その中でも「変わらないわけないよ、皆、前と同じじゃない、変わってるんだよ」とある人がボソッとつぶやきました。その方の意味するところはおそらく、数十年の間に、各々の人生でいろんなことが起こり、それを乗り越えてきたり、挫折したりと若い時とは異なり、考え方も背負っているものも変わっているはずだ、と。

 仕事でも、スポーツでも、趣味でも現状で満足するのではなく、その上を目指そうとすると、それが過度のプレッシャーとならなければ、善い結果を生み出し、成長した、善い意味で変わったと言われるでしょう。信仰の面でも、クリスチャン生活長いから「知っている」と聖書を日々読むことを止め、たまにしか祈ることしかしなければ、成長するどころか、後退してしまいます。子供はなぜ良いのかというと、わがままで子供っぽいところが良いわけではなく、自分が大人と比べて身長も低く、体力・腕力もなく、大人に多くのことを頼らなければならないとわかっているところ、素直なところだと思います。子供は無意識にも、成長を目指しているのではないでしょうか。

 イエス様の弟子たちが、ある時「天の国で誰が一番偉いのでしょうか」とイエス様に質問しました。そこで、イエス様は一人の子供を呼び寄せ、彼らの中に立たせて、下記のことを言われました。ここでの子供のようにというのは、自らを低くする態度、自分の力を誇らず、神様により頼むという神様との信頼関係を持つ人、子供のように素直に天の父なる神様に従おうとする人のことだと思います。天の国:神様が支配する領域では、権力をふりかざし他者に指図するのではなく、低くなって他者に仕えることが大切であるのでしょう。イエス様は師として多くのことを弟子たちに教えられましたが、ご自身で人々に仕えるその模範を示され、多くの病気や障害に悩む人、悪霊に取りつかれて苦しんでいる人、社会から疎外されている人に仕えられたことが聖書に記されています。

 私は生活している中で、イエス様がいうように、子供のように自らを低くしているだろうかと問われます。自分が高ぶっているのが顕著にわかるのは、たとえば、何か自分が他者から認められない状況がおこり、自身のプライドを傷つけられる時です。つまり自分が何かひとかどのものかと自負し、他者から評価されないと思い、自分を高めたくなる、弁明したくなるという愚かな気持ちになることです。謙遜ぶった自己卑下ではなく、自分自身はたくさん成長しなければならないところ、変えられなければならないところがあるということを忘れずにいたいです。また、イエス様の名のゆえに、子供のような小さな、弱い、誰かの助けを必要とする人々を受け入れているだろうか(マタイ18:5)も問われます。私は信仰の面で、一生かかっても理想とするところ:イエス・キリストのようにはなれませんが、それでも神様が成長させてくださると使徒パウロが記しているので*、聖霊の助けを得て、少しでも霊的な成長を目指したいと願います。

「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。 自を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。 」マタイによる福音書18章3-4節

*コリントの信徒への手紙Ⅰ 3章6節