遊びをせんとや

遊びをせんとや

そろそろ20年になります。中身はないけどとにかく長く続いているので、アメブロに引っ越しして継続します。

そんな機能もありそうだと知って、chatgptにgoogleドライブへのアクセスを許可してみた。googleドライブには日記にしているword文書とかいろいろ入っているが、chatgptにアクセスを許可しての使い方というのはgemini notebooks の使い方とはまた違いそうだし、まあまずは使ってみようかとやってみた成果が以下のとおり。

 

Googleと接続した。これでたとえばGoogleドライブから、池田晶子について書いた文章を参照して短くまとめて、とかできるようになるのか?

はい、できます。Google Driveへの接続は特定のプロジェクト専用ではないので、基本的にはどのプロジェクトや新規チャットからでも参照できます。
たとえば、
Google Driveから、私が池田晶子について書いた文章を探して、内容を短くまとめて。
で大丈夫です。うまく検索が始まらない場合は、入力欄の「+」からGoogle Driveを指定するか、
@Google Drive を使って、池田晶子について書いた文章を探して……
と明示すると確実です。

試しにやってみて。800字くらいにまとめてという注文を追加して

池田晶子の文章には、死を恐れているような気配がほとんどない。おそらく彼女には、「本当は知らないものを、なぜ知っているかのように恐れるのか」という姿勢があったのだと思う。死後の世界を積極的に説明する田坂広志の「ゼロポイントフィールド」の考え方とは違うが、死を単純に恐怖や不幸として扱わない点では、どこか通じるものがある。
このことを考える背景には、母を自宅で看取った経験がある。母は急に容態が悪化し、透析をやめてから八日間、比較的意識を保ったまま亡くなった。医療をやめることは、あと一週間ほどで確実に死ぬという決断でもある。しかし実際には老衰によって医療措置が難しいと示されたことで、家族が死を選択したという感覚から、いくらか救われた面もあった。
母が息を引き取ったとき、湧いてきたのは悲しくて泣くというより、「ご苦労様」という思いだった。死は良いものでも悪いものでもなく、苦しみを終え、生を終える出来事としてそこにあった。この体験を経ると、「死は怖い」という単純な図式には戻れない。
自分も、昔ならすでに寿命を迎えていてもおかしくない年齢になった。それでも、若い頃にはSFの夢物語だった世界で、今なお元気に暮らしている。残された時間に過剰な意味や使命を求め、また「理性君」に引きずられるより、日々をそのまま過ごしたい。そして周囲に不機嫌をまき散らさない「機嫌のいいジジイ」になる。それが、池田晶子や母の死を考えた先に、今のところたどり着いた自分なりの生き方である。

ついでにもう一歩進めてあそんでみた。

スライドgoogleで出力だが、それにChatGPTで挿絵を入れてみた。


 

 

 

 

今のところプラモデル作成は、パソコンやテレビの画面でのゲームで目が痛くなってきたときの避難所みたいなところがあるので、なかなか進まない。また、プラモデル作成には「あせらず、ゆっくり」という自分なりのルールがあり、残念ながらそこに「ていねいに」と加えられないのは自分の不器用さだったりズボラさだったりの影響。

 

というわけで、今回も設計図通り足先は先に左右作ったが、その後片足を完成させた段階で今回の作業も終了。

 

前回に比べ、作業を円滑に進めるために机の上に大きめの電気スタンドを購入しているところが違う。

 

老眼鏡だけではなく、明るさも十分にないと部品の番号さえ読めない。小さい部品を組み立てるのも大変だし、この年齢で始めることではなかったかな、なんて思いを否定するためにも、少しずつの作業にしている。

 

ガンプラ2作目で、仕方ないのだが、今の段階ですでに組み立てる前に塗装しておいたほうがいいものができるかなあ、という思いがある。

ただ、今は小さな部品を訳も分からずにマニュアルどおりに組んでいるだけなので、その辺の構造が理解できてくると、先に塗装しておくとか、この部分は塗装の時一度分解するとか、わかってくるのだろうと思う。

 

今回のザクは酔った勢いでシャア専用を買ってしまったので、組みあがったら、多少はみ出すのは覚悟で、自分の好きな感じの赤を塗ってみようと思っている。

飲み終わって、まだ7時半にもなっていない。

少し前まで、飲んでいる間は動画を見ながらウトウトしていた。気を取り直してテーブルを片付けて、さて、このあとどうしようかとぼんやり考える。

 

日中からChatGPTとはいろいろ遊んでいたので、今さらまたキーボードを叩きたいかなとも思った。音声入力も考えたけれど、今日はそれもおっくうだった。

 

なんだか時間を持て余しているようで悔しい。

 

こんなときこそ、普段は時間が長そうでなかなか見ない映画でも観てみようかと思ったりする。

 

今夜も昨日に引き続き、出来上がった料理を奥さんに出す前の短い時間、テレビも動画も見ないで、ひたすら食べて飲んでみた。

料理を作っている間は、普段より多いくらいビールを飲んだ。飲みながら料理をすること自体が、どうやら自分の楽しみらしい。ダイエットは気にしつつも、最近は調理中くらいは飲みたいだけ飲んでもいいか、と思うようになっている。

 

何も見ずに一人で飲んでいると、いろいろなことを考える。

旅先で一人で店に入って飲むときも同じだ。話し相手はいないけれど、テレビや動画を見るくらいなら、わざわざ一人で飲みに行ったりはしない。

一人で飲みながら考えていると、「なぜこうやって一人で飲んでいるんだろう」「何が楽しいんだろう」といった自問自答も出てくる。

 

もちろん妄想もいろいろある。

ただ、それは普段ふとしたときに湧き上がってくる、負の要素の多い自動思考とは少し違うものなのかもしれない。

昨晩に引き続き、それを肯定的に捉えられる気分になっている。

問題は、そのあとの「時間を持て余している」という感覚だった。

 

ところが今日も、結局こうして考えていることを入力しているうちに、いつの間にか時間を持て余してはいない。

むしろ楽しんでいるのかもしれない。

少し前までは、こういうことをキーボードで叩いても、そこで終わりだった。

それが悪いわけではない。

相手がいなくても、昔から自分は誰かに話しかけるように、誰かに伝えるように、いろいろなことを考えていた。

中学生のころ、一人で筑波山を麓から登ったことを思い出した。

歩きながら頭の中では、そのころ好きだった女の子に今の気持ちをレポートするように、延々と独り言を続けていた。

そんなころから独語をしていたのだから、それを文章にして、リターンキーを押した途端に何かが返ってくるという今の状況は、考えてみればすごいことだ。

AIを「チャッピー」などと呼んで、人間の友達のように付き合う感覚とは、自分の場合は少し違う。

仕事をしていれば「AIをどう仕事に生かすか」という発想にもなるけれど、それだけでもない。

AIとの距離感や使い方を、これからも自分なりに模索していきたい。

 

自分たちはAIを日常的に使い始めた第一世代なのだと思う。

そしてAIのほうも、長い研究の歴史はあるにしても、こうして普通の人間が日常生活の中で付き合う存在としては、まだ第一世代なのではないかと思う。

パソコンが普及し始めたころ、コンピューターはゼロと1の二進法で動いていると知った。

豆電球を一列に並べ、点いているのが1、消えているのが0だと考えた。

最初の豆電球が点いている状態に1を足せば、その豆電球は消えて、その代わり次の豆電球が点く。

なるほど、これなら計算できる。

そんな程度の理解だった。

AIについても似ている。

膨大なデータをもとに、前にある言葉から、その次に来る言葉を予測しながら文章を作っていく。

ものすごく大雑把には、そんな仕組みだと自分では理解している。

 

それなのに、どうしたらこんなやり取りができるようになるのだろう。

昔聞いたチューリング・テストも思い出した。

文字で対話をして、相手が人間なのか機械なのかを見分けられるかというものだった。

今では「機械を人間と間違えるか」ということより、「機械だと分かっている相手との会話が、なぜこんなに普通に会話として機能するのか」というほうが、自分には面白い。

考えてみれば、中学生のころ筑波山を一人で登りながら、頭の中で誰かに話しかけていた自分がいる。

 

何十年もたって、その独り言を文章にしてリターンキーを押したら、今度は本当に向こうから何かが返ってくるようになった。

なんとも不思議な時代に生きている。

そして今夜も、最初は「時間を持て余している」と思っていた。

それがこうして書いているうちに、もうそんな感じはなくなっている。

 

何をするかより、それをどう受け取るか。

「心ひとつのおきどころ」

この言葉は、あらためて結構重要な言葉なのかもしれない。

今日はここまで。ついやりたくなるけど、焦らないぞ、じっくりいくぞ。と、途中経過を撮影したところで、あれ、頭の角みたいのがない?

ここはもう、発見したとたんに接着しました。

しかし、今の段階で、もっとかっこよく色を付けたい。そのためにはホントはくみ上げるまえなんだろうなあ、と思いつつ。今は試行錯誤のガンプラ2作目。もう少し仕組みが理解できてくると、どの段階で色を付けるのがいいかとかわかってくる気はするし、あわてない、あわてない。

だけど1作目の安土城で接着剤使ってたときのほうが、プラモデル作っているという感じはしたよね。

さて、まだ19時30分にもなっていない。習慣を変えようかというタイミングなので仕方ないけど半端に酔っていてさてこのあとどうやって過ごそうかと迷う時間。 

 

ちょっと酔いは意識しつつ、プラモデル、放送大学、ipadでお絵かき、読書までも、なんでも行けそうな感じもある。 いろいろやりたいし、このくらいの酔いならできそうでもあるけど、先日のChatGPTとの会話の中で指摘されたことでもあるのだが、もしかしたら、こうやって自分のどうでもいい考えでも、それを文章にするのが自分は好きなのかもしれない。 

 

何かやろうと思えばいろいろできそうだし、こうして座椅子で寝そべったまま見ていたガンダムも1話を見ただけででやめて、そのあとのなんとなくチャンネルを変えたyoutubeもなんとなく途中でやめて、さあどうしようかなという思い。 それこそなんとなく、手元にあったipadで何をしたいわけでもなく、最近仕事の記録より雑文が多くなったのでnotionからgoogleドキュメントに変えた日記。朝書き始めて出だしだけだったのを続けてみたけど、ipadのキーボード入力、音声入力、手書き入力、どれをやっても入力が面倒になり、起き上がってパソコンの前に座ってこうしている。

 

 飲み終わって、食事も終わって、座椅子で座るというより座椅子枕に寝そべるくらいの態勢から起きだしてこうしているのだから、この作業はきっと好きなんだろうなあと思う。 

 

今日たまたま職場で机の隅から隅まで探し物。その作業の中で久しぶりにこの仕事につく直前からの執務記録を机の奥に放り込んでいたのを発見。

毎日の仕事の記録を日記を兼ねた執務記録として書いていたもの。エバーノートなどで電子化をしている時期もとくに近年多いものの、この仕事についた令和元年前から5年くらいは、というか、公務員の現職時代からずっと続けてきている。

 

 仕事をしながらの記録が中心なので基本的には手書きのアナログ管理。名刺でも資料どころかメモの切れはしでもなんでもそのノートに貼り付けておくということをやってきたのを久しぶりに眺めた。 手書きでノートで一元管理。資料はなんでもそこに貼り付けておく。ノート術の一つで、時間軸に沿って記録できるのは便利で結構長く続けていた。途中で気が付いた難点は、あとで必要な情報を探すときの困難さ。時系列によっては並んでいるのだが、あの話はいつ頃でどこに書いていたっけ、と探すのはなかなか大変。 途中から書き終わった内容について仕事の項目、日記的なもの、などなど、色を変えたカラーマーカーで囲ってみたり、検索のための目次だけのページをあとで作るなんてこともやってみたが、もちろん続きはしない。 

 

それでも、そんなに何年もさかのぼるわけではないので、必要そうなときには名刺でも手書きのメモでも、そのまま糊付けして貼ってあるので、それなりには役に立っていた。

 

 今日は久しぶりに過去の記録を眺めたけど、今更しみじみ読む気にもならず必要もなく、まあ日記でも執務記録でも、あとで読み返すことに価値があるのではなく、作成して執務記録なら、そのあとで調べて使っている時点で価値の9割以上。 という内容のことも以前ChatGPTにも言われたと思う。そこはまさにそのとおりだなあ。 

 

昼過ぎに家に帰ってきて、さあ何しようと思いつつ、言ってみればとりあえずやるのはゲームくらいしかなく、少し前ならば「こんなことでいいのだろうか」とか思いもしていたけど、

 

最近は今こそ「遊びをせんとや生まれけむ」の境地。

 

 逆に、ゼルダの2週目とはいいながら、まだ4分の1も開けていない世界や、ロボット大戦の、30周年はわかるけど、ちょっとキャラクター出しすぎじゃない?と思うくらいの世界に没頭しきれていないところが反省材料か。 

 

酒が7時前には終わっており、かといってそのあとも酔いは残って素面のときとはちがう。いっそ9時に寝て4時に起きようかとか、実はそんなことももともと結構長くやっていたし。 という感じで、生活習慣を変えようとしている最中でもあるので、仕方ないかとも思う。仕事が終わった後のリタイア生活を模索中ではあるが、内心まだまだ老後でそのうち死んじゃうとかは思っていない。ま、死ぬときは死ぬしとか、口だけではなく思えるようにもなってきたけど、

 

就職して公務員として現職時代を過ごしてきたときと同じくらいの期間は遊び倒して、世間に対する義務は機嫌のいいじじいでいることくらいで勘弁してもらおうとおもっている。

 

 こうして入力しながら思ったのだが、こうして日記で完結でも全然いいのだが、すでに入力している途中から、ChatGPTに話しかけるイメージで入力している。うちのChatGPTはこれまでの付き合いもあり、このまま放り投げてもそれなりの返事くれそうで期待しているが、ついでに普段業務的な質問しかしていないgeminにも、余分な質問入れないでこの文章を放り込んでみよう。

 

 ちなみに今回の題名はChatGPTが新しいチャットに付けた題名を、多少どうかなと思いつつ、そのまま採用