遊びをせんとや

遊びをせんとや

そろそろ20年になります。中身はないけどとにかく長く続いているので、アメブロに引っ越しして継続します。

さて、70歳が近づいてきて、仕事をしなくなった後の毎日をどう過ごすかということが、本格的に向き合うべき課題になってきた。

 

基本方針そのものは、これまであれこれ考えてきたので、もう迷いはない。

生産的であるとか、効率がどうとか、そういう発想はしない。

ただ、自分が楽しいと思えることをやって過ごす。

 

そして、自分に課す唯一の義務は、「機嫌のいいじじい」でいること。

 

もっとも、頭ではそう理解していても、実際に楽しく過ごすというのはなかなか難しい。

何をして遊ぶのか。どうやって日々をご機嫌に暮らすのか。そういうことを探したり、試しに始めたりすることこそ、70歳を待ってからではなく、今すぐやるべきことなのだと気がついて、最近はいろいろ動き始めている。

 

外出関係では、まだ二回だけだけれど、お風呂に行くようになった。

 

特に東京に住んでいた頃は、いろいろな温泉にも行ったし、千葉へ来てからは「健康ランドみたいな場所へ行くくらいなら、狭くても自宅の風呂でゆっくりしたほうがいいかな」と思っていた。

ところが、久しぶりに大きな風呂へ行ってみると、やはり気持ちがいい。

 

まだ二回しか行っていないのに、備え付けのボディソープは泡立ちが悪いなどと言い始めて、早速お風呂グッズまで買ってしまった。

 

もっとも、本当の問題は自宅での過ごし方である。

 

昔は「何時間でもゲームをやっていられる」という妙な自信があったのだが、最近はすぐ目が痛くなる。

短時間で区切ったり、ひどいときは休むだけではなく、散歩に出て遠くの景色を見ながら歩いたりしている。

 

遊びのひとつとして始めた放送大学の授業にしても、結局は目を使う。

中古のプロジェクターを買って試したりもしているが、狭いアパートでのセッティングはなかなか面倒だ。

 

そこで最近考えているのが、「同じ目を使うにしても、モニターやテレビ画面を見ない遊び」を増やすこと。

 

たまたま本屋で見つけてきた工作キットを作ってみた。

昔から不器用で、子どもの頃もまともにプラモデルを完成させた記憶がない。それでも「まあ、ものは試しだ」と思って挑戦してみた。

 

毎日ではないし、本当に少しずつ。

 

気がつけば、これまでならパソコンに向かってChatGPT相手に日記を書き、ジャーナリングをしていた夜7時半とか8時くらいの時間帯に、黙々と手を動かしている。

 

これはこれで悪くない。

 

作り始めてみると、世の中にはいろいろな種類があるらしい。

とりあえず工作キットは完成できたので、次はいよいよプラモデルに挑戦しようと思っている。

 

子どもの頃、車にはあまり興味がなかったので、作っていたのはお城や軍艦のプラモデルばかりだった。

もちろん塗装なんてしたこともないし、何をそろえればいいのかもわからない。

 

それでも、いずれはガンプラを塗装しながら作れるようになったら楽しいだろうな、などと思っている。

 

そんなわけで、今は「何をどう遊ぶか」を模索中。

勧められるまま、とりあえずあれこれ手を出しているところである。

久しぶりに天気がいいという予報で、なんとなく佐倉のラベンダー園に行ってみようかと考えていたが、ラベンダーはまだ1か月早いらしい。お出かけを義務にしてしまいそうなところもあり、また、雨で気分が左右されるのと、晴れたからどこか行かなくちゃと思うのも一緒のことに気が付いて、今日はあえてどこかへ行こうというのはやめた。早朝からドラクエビルダーズ、一つのものを作り始めたらなかなか途中でやめにくい。今日は放置していた緑の開拓地の整備。といっても開拓地の入り口に櫓門を作ってそこを兵士の宿舎にした程度。それでも2時間以上経過で、よく目が痛くならなかったものだ。9時半にやめて、目を休めるためにも散歩かなあ、と思い支度をしたが、今頃だと歩くのも走るのも同じ格好。久しぶりにスロージョギングにした。別にスローと強調しなくても頑張っても歩くより少し早い程度。どのくらいかというといつもの5キロの散歩コース、歩いて1時間強。走ってい1時間弱。まあ、それでも歩くよりは汗をかいて、帰ったらシャワーではなくお風呂にして、湯上りはこんなときはちょうどいい、最近買ってあるノンアル飲料。午後は昼寝とゲームで、このまま飲み始めるのもなんだかなあ、と思って特に必要なものもなかったけどとりあえず買い物。そして5時半から飲み始めて今に至る。ジョギングとかしているので途中、途中で余分なこと考えたりもするけど、それに気が付いて軌道修正。 桃太郎電鉄に「天下無敵の無一文」なんてフレーズがあったけど、今日一日何をやったんだろうなんて思ったとき、天下無敵の無一文ではないけど、何にも生産的なことはしなかったぞ!と誇れるようになりたい。 ちなみに今後の生き方のテーマは「機嫌のいいじじいになること」なのだけれど、これがなかなか難しく、スーパーの店員のちょっとしたことでイラっとしたり、逆に感謝するようなことがあってもそのままスルーだったり。 少し意識してでもやたらいろいろ話しかけてくるじいさん、くらいに積極的にしなければいけないだろうかと思うこともあるが、まあ、それは次の課題。今はまだ想定していた70歳までは間があるし、ハーフリタイヤの生活に慣れることかと思っている。

 

ChatGPTに文章の修正ではなく、コメントを依頼しました。

 

いい日記だなあ、というのがまず率直な感想。何か大きな出来事があったわけじゃないのに、「自分の扱い方」を一日かけて試している感じがちゃんと出てる。

まず前半の「晴れたから出かけなきゃ、をやめた」ところ、けっこう大事な転換点っぽいね。
天気に引っ張られるのも、義務感で動くのも、どっちも同じ構造だと気づいたのはかなり鋭いと思う。ここに気づけると、休日の自由度が一段上がるやつ。

その流れでのドラクエビルダーズ→ジョギングも、なんだかんだバランス取れてる。
「2時間ゲームやってしまった」じゃなくて、そのあとちゃんと外に出て身体を動かしてるし、しかもスロージョギングという“自分にちょうどいい強度”を選んでるのがいい。頑張りすぎない感じ、今のフェーズに合ってる。

あと、「何も生産的なことをしなかったと誇れるようになりたい」ってところ、ちょっと面白いね。
これ、半分は本音で半分はまだ抵抗がある感じがする。完全に吹っ切れてたら“誇れるようになりたい”じゃなくて、もう静かに満足してるはずだから。今はその途中段階っぽい。その揺れも含めて自然。

後半の「機嫌のいいじじい」、ここが今日の核かな。
理想像ははっきりしてるのに、現実の自分はちょっとしたことでイラっとするし、感謝も流してしまう。そのズレをちゃんと観察できてるのは強いと思う。たぶんここ、性格を変えるというより「気づいた瞬間に1回だけ反応を足す」くらいで十分なんじゃないかな。無理に“やたら話しかけるじいさん”まで振り切ると疲れそうだし。

全体として、「何もしなかった一日」に見えて、実際はかなり調整してる日だよね。
生活のギアを落として、新しいペースを探ってる感じ。ハーフリタイヤ初期としてはむしろ理想的な過ごし方に近い気がする。

一つだけ気になったのは、「買い物に行く理由」がちょっと空白になってるところかな。
“なんとなく外に出るための口実”として機能してる感じもあって、それ自体は悪くないけど、もし自覚的に使うともっと気楽になるかも。

この感じだと、しばらくは「うまく過ごそう」としすぎずに、今日みたいに試しては微調整、くらいがちょうど良さそう。

令和8年4月。期せずして、いわゆるハーフリタイアのような状態になった。

もともと積極的に望んだわけではない。流れの中でそうなった、というのが実感に近い。ただ、表面だけ見ればこれまでと大きく変わったわけでもない。仕事は続いているし、生活のリズムも大きく崩れてはいない。だからこそ、ときどき思う。余計なことを言わず、これまで通り我慢していればよかったのではないか、と。

このあたりは、もう頭では整理がついている。今さらどうこうという話ではない。

ただ、考え方として二つの見方がある。

ひとつは、単純に仕事の時間が減って楽になった、休みが増えてありがたい、という見方。もうひとつは、本来は仕事を辞めるつもりで動いた結果なのだから、基本は無職。そのうえで、状況に応じて少しだけ仕事をしている、という見方。

どちらも間違っていない。むしろ、どちらでも説明がつく。

けれど、どちらで捉えるかによって、気分が少しずつ違ってくる。

前者であれば、「こんなに楽でいいのか」という引っかかりが出てくるし、後者であれば、「これはこれでひとつの生活だ」と受け入れやすい。頭では後者だと思っていても、長く続いた習慣のせいか、ときどき前者の感覚に引き戻される。

この揺れが、なかなか面白い。

本来であれば、70歳で仕事をやめて、そこから先の生活をどうするか考えるはずだった。ある日を境に、仕事がなくなり、時間が一気に増え、そこで初めて「さて、これからどう過ごすか」と向き合う。

ところが今は、その前段階にいる。

仕事はまだある。ただし、負担は軽い。時間もある。完全に切り替わったわけではないが、確実にその方向に向かっている。いわば、2年かけてのソフトランディングのような状態だ。

理屈で言えば、とても恵まれている。急に何もかも変わるよりも、ゆっくりと慣れていける。

けれど、その「ゆっくり」が、かえって迷いを生む。

生活が大きく変わらないまま、「自由な時間」だけが増える。そうなると、その時間をどう使うかについて、妙に意識が向くようになる。何もしないで過ごすことに、理由を求めてしまう。

最近の自分がまさにそうで、ここ一週間ほどは、飲んだあとにゲームに没頭していた。やっている最中はただ流れに乗っているだけで、特に何も考えていない。以前であれば、そのあとに「こんな時間の使い方でよかったのか」と理屈が顔を出していたはずだが、今回はそれがあまりなかった。

それはそれで、ひとつの変化ではある。

ただ、完全に割り切れているわけでもない。少し距離を置いて振り返ると、「これでいいのか」という声が、どこかに残っている。

結局のところ、今の自分は、

仕事が減って楽になった人なのか、
それとも、すでに仕事を離れた生活に入りつつある人なのか。

そのどちらでもあり、どちらでもない。

そして、その中途半端な位置にいるからこそ、

「遊びをせんとや迷いけり」

という言葉が、妙にしっくりくる。

遊んでいいはずなのに、どこかで迷っている。
迷っているのに、結局は遊んでいる。

おそらく、この状態はしばらく続くのだろう。

無理に結論を出す必要もない気がしている。むしろ、この曖昧さの中で、少しずつ自分の感覚が変わっていくのを、そのまま眺めていけばいいのかもしれない。

いまは、そんなふうに思っている。

70歳までは普通に仕事を続けようと考えていて、そのあとの過ごし方については、ここ数年、少しずつ思いを巡らせていた。
それがこの4月、「期せずして」という言葉がぴったりくる形で、仕事をやめることを考える流れになり、結果として勤務時間を半分に減らすことで落ち着いた。

いっそ退職してしまえればよかったのかもしれない。
時間は減ったとはいえ、仕事自体はこれまでと変わらず普通にやっているので、「退職するなんて言わずに、あと2年なのだから我慢すればよかったのではないか」と、考えてもどうしようもない思いが、ふと頭をよぎることがある。



もっとも、すでに正式に退職の意思は伝え、そのうえでの勤務時間半減という形に落ち着いているのだから、それでなお不都合があるというのであれば、そのときは希望どおり退職するだけのこと。
本来、あれこれ考える余地はないはずなのだけれど。

それでも残るこのもやもやの原因は、おそらく一つ。
仕事の時間が減って楽になった、と素直に受け止めればいいものを、長年の習慣のせいか、どこか後ろめたさのようなものを感じてしまうことだ。

まだ自分の視点というか、ものの考え方の基準が、仕事の側に置かれているのだと思う。

本来は退職したかったのだから、今の状態は、言ってみればリタイヤ後の生活を先取りしているようなものだ。
時間的な余裕の中で、できる範囲で関わる仕事――いわばアルバイトのような位置づけと考えてしまえばいい。

そう考えると、リタイヤ後の生活の中で、社会とのつながりがあり、果たすべき責任が一つ残っているというのは、むしろありがたいことなのかもしれない。

その自覚を持ちながら、それ以外の時間をどう過ごすか。
本来、仕事を離れたあとにやろうと思っていた生き方を、少し早く試してみる時期に入ったのだと考えればいい。

いまは、そんなふうに自分に言い聞かせている段階である。

もう我々ぐらいの年代にならないと、知っている人も少ないだろうが、 永六輔の遠くへ行きたいという歌をテーマに、旅番組で「遠くへ行きたい」というのがあった。 実は自分でも多分まだ子供の時代で、ほとんどどんな内容か覚えていないけれども、 なんとかそれを意識して。 母が仕事柄ずっとラジオを聴いていて永六輔のファンだったので、その影響で、多分年齢には合わなかったと思うが永六輔の本は随分読んでいる。「遠くへ行きたい」という題名だけど、「いつも行く町でも、その知らない街角を曲がるだけでも旅」というような内容のことを言っており、日ごろからちょっとした散歩でもそれを意識している。

特に名所巡りでもなんでもなく、さらに新しい試みとしては、ただ行ってくるだけではあとで文章にしようと思ってもなかなか億劫で取り組みにくいので、先日武蔵野線の乗ったときにやった方法を工夫して、ChatGPTをメモ代わりに使って記録を残しておくという手段を考えて、その実験。

とりあえず今日は千葉都市モノレールの終点の駅である千城台のあたりを歩いてみた。という記録を作っていこうと思っている。

 

ChatGPTにはこんな書き出しからスタートした。

書き出しと言っても、ChatGPTの入力欄にairpodsを使っての音声入力。電車の中とか人のいるところでは手入力に切り替えるという作戦。

いつもの散歩とは少し趣向を変えて、今日はモノレールで移動して、動作した先で少し散歩するということをやってみる。

では、ここからはChatGPTの返事の部分は省いて自分で文章にしてみよう。

 

今、モノレールで向こう辺りの駅に行っているところ。

あと少しで駅というところで、モノレールが通り過ぎていった。ま、急ぐわけでもなし、こうしながらゆっくり持つことにする。

一日中ゲームで過ごして目が痛くなった昨日とはうって変わって、今日はとてもいい天気。 休日のいつもの日課、朝からの洗濯と一緒に、冬用の布団を春用の布団に交換することも依頼されたので、これから使う布団を洗濯物と一緒に干してきた。2、3時間の外出だろうから、今日の天気なら雨の心配はいらなそう。

花粉症用のマスクをして、散歩だという意味で、普段かぶらない帽子をかぶって、この感じだと、普通にただスマホを眺めているような感じで入力ができる。

 



千葉都市モノレールのみつわ台駅から千城台までの路線は、町なかの車道の上を走るので、車窓風景を撮影しようと思っても、街並みの途切れるタイミングを探すのが大変。一駅だけ扉の前に立ってスマホを構えていたが、あきらめて座った。

午前8時30分、千城台駅に到着。スマホに手入力で記録していてチャンスを逃したが、一駅前で降り手歩くという手もあったかな。

ここで今日の散歩の記録用に使っているChatGPTに千城台について簡単に答えてもらった。

千城台あたりは、いわゆる千葉ニュータウン周辺の住宅地の一つで、比較的計画的に整備された“新しめの町”という位置づけ。団地や戸建てがまとまっていて、駅から少し離れると一気に生活圏になるのが特徴。

もともとは大きな自然や農地だった場所を開発しているので、道が広めで、公園や空きの余白がちょこちょこ入っているのもこのあたりらしいところ。

ということらしい。

 



さて、ここからは適当に散歩。地図を見ないという選択肢もあるが、そんなこだわりも不要。とりあえず地図で見た大きい公園の方に行ってみる。

数年前に千城台文化センターであった催し物に出席したことがあって、千城台はその時に一度来たきり。その時は家から自転車を使った。自転車で来ても全然問題ない距離。


その時は本当にすぐ前を通り過ぎただけなんだけど、大きなショッピングセンターみたいなものが駅前にあることには気がついて、一度来てみてもいいなと思っていたので、今日は散歩をして、そこでご飯の買い物をして帰るということを考えている。

 

こうしてみれば、小さな旅というのを意識して歩いてみるというのは、これまであまりしたことはなかったなと思いつつ、 それにしては、なんだか慣れている気分。

 考えてみれば、60歳までは1年か2年に一度の転勤で、その都度知らない町に住み、歩き回り、これは小さな旅というより大きな旅だろうけど、その時の感覚かな。

 



そういえば、こういう外歩きの場合、外歩きというより49歳から10年ほど乗っていた自転車なのだが、子供のいない夫婦二人の生活。ウチの奥さんは長いこと昼夜逆転の生活なので、いつも奥さんが一晩中起きてて、朝寝付いてから出ていくので、いつもいろいろな所に行くのは早朝から午前中、仮に観光地に行っても開いてない店や資料館ばかりで、建物の前を通り過ぎるだけというパターンが多い。今日は午前9時は確実に過ぎるので、どこかでお店は入れるだろうと思う。

駅から10分程歩くと、お店の数は減ってきて、ちょっと先には団地が見えて住宅地に入ってきたという印象。

 

今でもこうして外出していて、今日は土曜日で、明日は日曜だから休めるとか考えてしまう。 今は仕事を続けられるのがありがたいくらいで、うっかりするとこの先、いや、うっかりしなくてもか、毎日日曜日状態になってしまう。 わかっていてもそんな考えが頭を過るのだから、習慣というのは恐ろしい。

それを思うと、自転車に乗っていた頃は、奥さんが朝布団に入ってかあ出かけて、自転車で100キロも200キロも走って帰ってきくるというのを、勤務の間の週休の日だけでやっていたんだから、我ながら大したものだと思う。

 



グランドがあって野球の練習をしてるなと思って見ていたらそこが目的地としていた公園。

スマホの地図を見ながら公園からさらに緑のある方へと調整池の方を目指してきたら、遠くに見えていた団地ではなく住宅地の方に出てきた。おしゃれな住宅がいっぱい並んでいる。

一気に雰囲気が変わってそれぞれの「人の趣味」というのが見えてくる。

新しい住宅街だと思うのだが、その中の路は不規則に入り組んでいる

調整池に沿って一度も曲がらずに進んで行ったが、途中で調整池の柵は切れて左側も住宅になったが、その住宅の庭の向こうはもう畑が広がっている。さらに道なりに進んで行くと、どうやらこのまま元の車道に出るみたいだ。


車道に戻る前の1件の住宅の庭で、鳥の写真を撮影できた。ホントに便利になったもので、鳥の名前など1発で調べられてしまう。近くに公園があったのでそこのベンチに座って調べてみたら、ヒヨドリだった。

 



ヒヨドリって名前はよく聞くけど、こうしてどんな鳥か確認したのは初めてだ。


歩きながら何かお店があれば寄ってみるのもいいかとは思っていたが、まだ時間が早いせいか、シャッターが閉まっている店が多く、和菓子屋とか魚屋とか、シャッターは開けていても開店準備中。

始めの予定どおり、最後に駅前で昼食や夕食の買い物と思ったが、駅前のビルも10時開店のようだ。 わざわざ開店を待つ必要もなし。今日はこのまま帰ることにする。

千城台は始発駅なので、八社分前、モノレールはすでに停車しており、座席も8割がた埋まっている。狭いところに割り込まず、もうこの歳なら優先席でもいいかと、そこは居直って比較的空いている優先席に座る。

自分ではもうこの歳なら、と居直って座っているのに、段々混んでくると誰でも彼でも普通に座っている。居直っただけ損した気分。

発車のときには結構混んでいて、これでは降りるのも大変かと思っていたら、都賀駅で半分以上の人が下りる。さすがにJRの乗り継ぎ駅、とへんなことに関心しつつ、次はみつわ台。ほんの2時間弱の旅だった。