そんな機能もありそうだと知って、chatgptにgoogleドライブへのアクセスを許可してみた。googleドライブには日記にしているword文書とかいろいろ入っているが、chatgptにアクセスを許可しての使い方というのはgemini notebooks の使い方とはまた違いそうだし、まあまずは使ってみようかとやってみた成果が以下のとおり。
Googleと接続した。これでたとえばGoogleドライブから、池田晶子について書いた文章を参照して短くまとめて、とかできるようになるのか?
はい、できます。Google Driveへの接続は特定のプロジェクト専用ではないので、基本的にはどのプロジェクトや新規チャットからでも参照できます。
たとえば、
Google Driveから、私が池田晶子について書いた文章を探して、内容を短くまとめて。
で大丈夫です。うまく検索が始まらない場合は、入力欄の「+」からGoogle Driveを指定するか、
@Google Drive を使って、池田晶子について書いた文章を探して……
と明示すると確実です。
試しにやってみて。800字くらいにまとめてという注文を追加して
池田晶子の文章には、死を恐れているような気配がほとんどない。おそらく彼女には、「本当は知らないものを、なぜ知っているかのように恐れるのか」という姿勢があったのだと思う。死後の世界を積極的に説明する田坂広志の「ゼロポイントフィールド」の考え方とは違うが、死を単純に恐怖や不幸として扱わない点では、どこか通じるものがある。
このことを考える背景には、母を自宅で看取った経験がある。母は急に容態が悪化し、透析をやめてから八日間、比較的意識を保ったまま亡くなった。医療をやめることは、あと一週間ほどで確実に死ぬという決断でもある。しかし実際には老衰によって医療措置が難しいと示されたことで、家族が死を選択したという感覚から、いくらか救われた面もあった。
母が息を引き取ったとき、湧いてきたのは悲しくて泣くというより、「ご苦労様」という思いだった。死は良いものでも悪いものでもなく、苦しみを終え、生を終える出来事としてそこにあった。この体験を経ると、「死は怖い」という単純な図式には戻れない。
自分も、昔ならすでに寿命を迎えていてもおかしくない年齢になった。それでも、若い頃にはSFの夢物語だった世界で、今なお元気に暮らしている。残された時間に過剰な意味や使命を求め、また「理性君」に引きずられるより、日々をそのまま過ごしたい。そして周囲に不機嫌をまき散らさない「機嫌のいいジジイ」になる。それが、池田晶子や母の死を考えた先に、今のところたどり着いた自分なりの生き方である。
ついでにもう一歩進めてあそんでみた。
スライドgoogleで出力だが、それにChatGPTで挿絵を入れてみた。


