2日目は、ホテルを出て、宮島とは反対方向の呉に向かいました。
大和ミュージアムとてつのくじら館を見に行くためです。
実はわたし、潜水艦が大好きで。
広島行きが決まった時、どーーーしても、てつのくじら館が見たくて見たくて仕方なかったので、強引に呉をプッシュしまくりました。
ちなみに、もうひとつの候補は岩国(お隣の山口県ですが)の錦帯橋でした。
そちらもすごく見たかったですけど、潜水艦にはちょっと勝てなかった(笑)。

で、大和ミュージアムと、てつのくじら館に話を戻して。
先に大和ミュージアムを見たんですが…。
知っての通り、呉の造船所で作られた世界最大の戦艦「大和」は、最後の戦いに臨むべく、徳山を出航した後にアメリカ軍からの攻撃を受け、乗っていたたくさんの人間と共に沈没しました。
タイタニックといい、戦艦大和といい、世界最大と言われた船は悲劇的な最後を遂げることが多い気がしますね…。
これは、技術を過信することなかれ、という教訓なのでしょうか…。
最高の技術は、いついかなる時も、最悪の結果をも導きだす可能性を持っている。
それを忘れるな、という。
展示品を見ながら、そんなことを思いました。

…本当なら、戦闘や戦争なんて、ない方がいいんですよね。
それだけは、どんな理屈を差し置いても間違いないことです。
でも、あの時代の、あの時の流れは、誰かに止められるものではなかったのかもしれません。
欲しがりません、勝つまでは。そういいながら、日本はどん底まで我慢に我慢を重ねました。
でも、結果として、その忍耐強さや意志の強さこそが、二度とは帰らない大切なものを多く失わせることへと繋がっていきました。
そう、敗北という明確な楔が打たれるまで、抜き差しならぬところに追いやられるまで…。
それが間違っている、とか、正しい、とか、ではないと思います。
決して、連合国側だって正しかったわけじゃないです。彼らだって、あくまで自分の国の利益を優先し続けました。
そして、それは日本だって同じです。
でも、もちろん、当時はそんな論議のできる時代ではありませんでした。
だから、日本の敗戦の色は次第に濃くなりながらも、戦いは終わらない。
その選択肢を選ぶ意志が最初から存在しないからです。
アメリカからの経済封鎖を受けて、戦うための資源もまた底をついていく。
何もかもが困窮していく中で、ついには命を武器にして、絶対に二度と帰れぬ戦いに赴く…。
御国のために、といいながら…両親や弟妹を気遣う言葉を残して、戦地へと旅立っていく。
そうして残された遺品や遺書の数々を、わたし、半分泣きながら、ひとつひとつ、見てました。
どうにもならない状況の中で、それでも残された人たちが生きる未来に、少しでも希望が残せるように。
…そんなふうに命をかけてくれたあの人たちに、今のこの世の中、胸を張って見せることができるのかな…?
そう考えたら、なんだか少し悲しくなりました。

本当に、戦争なんか、しちゃダメですよね…。
戦争に、正義は、ありません。
ただの大義名分、人を殺すことを正当化する理由になるだけです。
これは戦争だから。
それが命令だから。
そんな理由があれば、人は平気で、他人を人間だと認識しなくなる。
人間は、本当に、危ういバランスの上に成り立つ生きものです。
理由さえあれば、簡単にリミッターを外すことができる。
それは、どんな優れた技術でも、それを使う人によっては、最悪の結果を導きだすということにも繋がります。
当時の日本の造船技術は、確かにすばらしかったのだと思います。
ですが、それを過信したがために、あまりにも多くの代償を払うことになった。
私には、そう思えてなりませんでした。

教科書で習う歴史ではなく、自分で学ぶということは、とても大事なことですね。
高校の修学旅行で広島を訪れたときには、こんな気持ちにはなりませんでした。
行かされるのではなく、自分の足で行って、見て、考える。
歴史を学ぶことの最も深い意義は、その流れを読むことです。
間違っても、年表を丸暗記することではありません。
過去を理解し、現在の立ち位置を確認し、未来に繋がる道を確保すること。
その最も大きな目的は、過去の過ちを繰り返さないこと。
…でも、それは、今だからこそ、わかること、なのかもしれません。
正直、最初は軽い気持ちで訪れたのですが、とても大切なものを得ました。
そう思います。

その後訪れたてつのくじら館では、念願の潜水艦の内部に潜入しました!
ここって本物に入れるんですよね。
発令所(撮影禁止)をしげしげと見て回りながら1人でキャーキャー言ってると、内部にいたボランティアのおじさまが「興味あるの?」って聞いてきたので、「ものすごく!」とお答えしたら、親切にいろいろ説明してくれました。サービスで警報まで鳴らしてくれた(笑)。
なかなかできない経験なんで、ちょっと嬉しかったです。

また、てつのくじら館にはこんな展示もありました。
あの太平洋戦争の後、日本の近郊の海にはアメリカ軍によって無数の機雷がばらまかれていました。
地雷と同じで、触れれば船ごと爆発します。
戦後の日本近郊の海は、それほど危険な状態だったそうです。
しかし、これから復興を成し遂げねばならない日本にとって、安全な海路の確保は必要不可欠。
そのためには、機雷を除去する必要がある。
もちろん、それは危険が伴う大変な作業でした。
しかも、その作業はなんと、あれから何十年もたった今でも続いているんだそうです。
…あの戦争の大きな爪痕を、こんなところにも感じましたね…。
…この潜水艦もまた、この平和な時代を守るためのものだったのでしょうし。
わたしたちは、きっと知らないところで、たくさんのものに守られているんでしょうね…。
それを忘れては、いけないですよね。本当に。

ちなみにその後、ボートピア呉宮島をちょっと覗いて帰りました。
ボートピアって初めて行った。本場に慣れてるとすごく狭く感じる…。当然なんだけど。
智也さんと徳増さんのレースだけ観戦して、帰りの電車に飛び乗って、その後は広島駅近郊で食事とお買い物。
十分に広島を楽しんでから、帰途につきました。

本当に、今までになく学ぶことの多かった、いい旅だったと思います。
…また来れるといいな、広島。