やっぱり、書いておきたいので。

あの最初の栄光をその手につかんだ、その時から。

いつか、かならずと信じてきました。
その願いが叶った瞬間に、たとえ遠くからでも立ち合えて良かったと思います。

あなたがくれる希望が、わたしに明日を生きるための勇気をくれる。
生きていくのは怖いけど、その中に飛び込んでいく力を与えてくれる。

その事実が、泣きたいほど嬉しいです。

おめでとう。
そして、ありがとう。
たまたま健康に生まれて、たまたま普通に育てられたことの、一体何が偉いことだというのか。
本当に、たまたま与えられただけの「普通」が、誰にとっても当たり前であるなんてことはないんだと思う。
世間一般で言う「普通」のカテゴリーにいる人間が持つ傲慢は、見ていて嫌な気分になる。
自分を普通の基準だと思っている人間ほど、そうでない他人を、いとも簡単に踏み付けにする。

運命の陥穽がいつ誰にもたらされるのか、それは誰にもわからない。
誰にでも、いつでも起こり得る。
誰にも。
これを見ているあなたにも。
あなたの周囲で生きている大切な人たちにも。
そして、そう、わたしにも。

知らないことは、罪だと思う。
知らないから何を言っていいわけではない。
無知であるなら、それを自覚して口をつぐまねばならない。
無知であることを恥じ、学び、正しいことを知り、自分の頭で考える。
そこで初めて、その何かに対する発言をする権利が発生する。
わたしは思う、それこそが思慮であり。
人が人である所以であり。
そして…思いやり、なのではないのか?と。

好きで障害を持っている人なんか、誰もいない。
好きで持たされたハンデではない、でも。
それでも。
一生懸命、生きている。
それを知っていれば、踏むことなんかできない。できるはずがない。

無知であることは、=愚かではない。
無知であることを知りながら放置することは罪だけれど、それも愚かでは決してない。
わたしの思う愚かというのは、無知であることを知らず、自分の認識に疑問を持たないこと。
目で見た光景に対して、自分のなかの常識に照らし合わせて、照合できなければ「異端」として切り捨てること。
一人が持てる小さな世界からすれば、世の中は「異端」なことだらけ。
もちろん、目をつぶれば、やりすごすことはできるけど。

でも、目を逸らさずに、知ろうとしようよ。
この世は、本当に、不条理ばかりなんだよ。
不条理に泣いてる人はたくさんいるよ。
この先、あなたの身に、愛する人の身にその不条理が訪れたとき、不運を嘆くだけで終わる、本当にそれでいいの?

その時、あなたの身の不条理を考えてくれる人は、誰もいない。
それは、あなたが、誰の不条理にも触れてこようとしなかったから。
誰かのために、何もしなかったから。

「普通」であることは、天からもらったギフト。
それは、何よりも尊いことかもしれない。
でも、「普通」な人が愚かなままだったら、社会は上手く機能しない。

学ぶたびに、強く思う。
わたしたちは、愚かなままじゃいけないのだと。


本当にたくさんの優しさを、いただきました。
わたしなんかには、もったいないくらい。

大好きな場所でした。
いつまでもいられないことの方が辛いくらい。

本当にありがとう。
大好きな大好きな、わたしの仲間たちへ。