今日は旦那はお食事会なんですって。
へぇ~。
帰ってから相当自慢話されました。
ひらめの刺身まるごと一匹出されて食い切れなくて唐揚げしてもらったとか生牡蠣食ったとか。
つうかノロウイルス全盛のこの時期によくそんなん食う気になるよな。

…うらやましくなんかないっすよ。
いやいや、まじで。



話は変わって。

変化は必要なもの。
それはどのような業界にも当てはまる。
新しい風を入れなければ空気が凝って淀んでしまう。
そうなればあとは腐り落ちていくだけの運命だ。
だが既存のものを打ち破り、変えようとするには覚悟がいる。
変化には痛みが伴う。犠牲となり、失われるものがあるからだ。
動かす駒が決まっていれば、自ずと痛みが誰にくるのかは決まってくる。

そこで問う。
…それを守る覚悟は、果たしてあるだろうか?

インパクトを狙うのは良いだろう。まずは知ってもらうことから。その発想は悪くない。
だが、その先は見えているのか? 
業界が抱える二極化した二律背反は、未だに解消されないままだ。
入り口に立ってくれる人間がたくさん増えたところで、中身が崩壊してスカスカの箱庭に、一体誰が入ろうと試みるだろうか。

功を焦るとどうなるのか。
そうして失われたものを、私たちは今年、たくさん見てきたのではないか?

努力が足りないとかそういうことじゃない。
結果は確かに出ている。
いつか必ず、報われる日は来るだろう。
だが、誰が思う以上に、この業界は継ぎ接ぎだらけだ。見せ掛けを繕うのに精一杯で、目に見えているはずの根本的な欠損を、誰も直そうとしていないように見える。
そして、いずれは、致命的な水漏れを起こすだろう。
今年に起こった数々の事故や出来事は、その警鐘ではなかっただろうか。

何をすべきかは、すでに示されている。
業界の地道な努力も、着実に積み重ねられている。
あとは、その努力の方向性だろう。

…できれば、守ってあげてほしいと思う。
知名度をメディアによって無理矢理に高められ、多角的ではない報道の結果に云われなき誹謗中傷を受け、つぶされたスポーツ選手は何人もいる。
そして、だれもがそこでもう一度立ち上がれる強さを持つわけではない。

わかりやすさの代わりに多様性が失われ、個性よりも柔軟性や器用さが必要となるのは仕方がないことかもしれない。
ひとことですべてを説明できるほど、簡単な競技ではないからだ。
だが、説明を簡略化することで発生する誤解は、後にひどい摩擦を生む。
その摩擦で痛みを負うのが誰なのかは明確だ。
かの人がその間隙を埋められるほどの広告塔になれるとは、話を聞くかぎりは思えない。
それはメディアに全面的に責任があるわけではなく(もちろんないわけではない)、業界の方にもフォローする責任がある。

どうか、守ってあげてほしいと思う。
何を気にすることなく、ただ走ることだけに集中できる、そんな環境であるように。