どうも。




①の続き…。





では我々大人は自由な時間の中で、子どもたちをどう見てあげようかという話を。





3つのパターンと相関関係…




「じゃ、自由な感じでよろしく〜」




と伝えた後、大まかに3つに分かれる。
あくまで大別やから詳しくはもっと沢山に分かれる。




1.真面目くん…自分が苦手なことをしっかりやりこむ。少しでも練習して成長を刻んでいきたい願望。




2.感覚くん…好きなことや直感的に色んなことを組み合わせて、自分だけの形を創作願望。



3.ボーくん…なんとなく周りを見ながらやるかやらへんかを決める。基本的に好きなことも得意なことも苦手なこともカテゴライズされてはいない。時間経過願望すらうかがえる。




1.2は対局にあってどちらも刺激し合いながら育つ、3はその間ですらないのかも知れんけど、こんな感じに大体別れるよね。



この2つから、細かく分かれていく。


*1.2の才能を大切に育むこと。

*3層の各々にどうアプローチしていくのか。





そして、思い違えてはならないのは3はダメなヤツとかそういうことではない。





1.2が成長出来るのは実は3の存在は大きい。





1.2はもちろん自分の道を真っ直ぐ進んでいく。
3の中途半端さや不十分さは色んなところで影響を与えたり、その子たちを1.2が支える中で知らぬ間に責任感と自信を深めていくのだ。





3は諦めてしまう子も居る反面、潜在的な力が1.2からの刺激で覚醒し、やがて1.2を追い越し、自分が1もしくは2の存在に変わっていくのだ。





悲しい追記だが、3に追い抜かれた1.2も気持ちがパンクして競争の螺旋から離れていってしまうケースは度々出会う。




つまりどの芽が芽吹くかなんて誰にも正確にはわからないのだ。





見守ること…





良く育成を苗床なんて言うけれど、少し違うなと私は思う。




均一に並べて栄養を豊富に与えて、こちら側で水の量と糖度も調節して、付く病気や虫を退治しながら育てる。




そんな綺麗で計算された環境で逞しく栄養豊富には育ちにくいのだ。




突発的な天災にも凶悪な外敵にも絶望的な事故にもあいながら、命からがら育つしかない自然の中だからこそ逞しくなるのではないだろうか。




我々指導者や大人は子どもたちに対して僅かな手助けしか出来ないスゴくちっぽけな存在だと思う。




それでも我々に出来ることを探してみると、僅かに軌道を変えてあげることは出来るだろう。




しかし大人が自分の力を過信して、子どもを育ててやろうなんてのはあまりにも危険かつ軽率だと思う。




強い力や正しい修正を加えることで、反発や歪さや脆さを招くことは当然に起きてしまう。





だからこそ、大人は彼らの軌道がどう進んでいくかを大らかに楽しみながら見守れる精神状況を作っておきたい。




本当に必要なタイミングで必要な分の助力を身計らないながら。





結びに…





実は、我々大人も子ども達の存在によって成長させられていることは間違いない。




子どもがいらっしゃる方や育児を頑張っている方は、日々そのように感じることはあるかと思います。





沢山の子どもや選手に出会わせてもらったこそ、我々もそのように解釈出来たのだと、ここまでの活動経験を感謝してやまない。




これからも沢山の出会いと別れが活動を通してあるのだけれど、互いに成長し合える仲間と沢山出会えることを願っています。




とんでもない年度始めとなりました。




ひょっとしたらこの騒動がなければ出会えてる人に出会えていなくて、出会うはずのなかった人に出会ったかもしれませんね。




まだまだ動きにくいご時世ですが、頑張ろうね〜。





ではまた。

どうも。




段階的な規制緩和が世間の話題になってきましたね。






ここからしばらく練習しかできないでしょうから、練習に関しての当たり前のことを綴ります。




わたしはトレーニングのどこかしらで自由な時間を設けます。






『枠と自由』





「てな具合で自由な感じでやって。」



ということもあるし、



自由な時間を身守ることもある。





いちいちアレコレやりましょうと言い過ぎるのもイヤなんですよね。




しかし…良い意味である程度の「枠」は必要であると考えてます。





我々指導者が思う「枠」ってのはピッチで自由を得るためにこれはやっとこか。っていう指導経験で得たモノぐらいなもの。





自由を体感するにはある程度の型と締め付けがないと本当の自由の快感は得られへんから「枠」は大事にしてます。




大人で言うたら、日々の仕事から休みの日の開放感でプクプクと湧いてくる趣味へ没頭する感覚かな。



この時の大人の枠は日々の仕事と休みの限られた時間ですわな。




子どもで言うたら、学校の図書室での自主学習時間の「何を読もうかな〜」っていう自然な知識欲から出るワクワク感や図工の時間の創作意欲に似たものを演出したいと思っています。




この時の枠は学校であり、図書室の本であり、図工室の作業工具や材料なんだよね。





そしたら段々と大人の趣味はプロ級の腕前になってたり、子どもは自分の興味分野が勝手に育ってて、自分の将来への進路を決めていくキッカケになる特技みたいな。





ある程度の「枠」があってその中で自由にやってっていうのが、社会と試合とが似ていてリンクしやすいからそのようにやってる。




あらゆることに対局作用はある。




光と影、弱さと強さ、目的と手段など。




互いを上手く作用させることで勝手に育つ仕掛けを設けることが出来るんよね。





っていう当たり前の話①





みたいな当たり前の話②へ続く…。





ではまた。


どうも。




あかんよ。




グラウンド整備はちゃんとせなあかん。
神が宿る的なオカルト話ちゃうよ。





たまには真面目な話を。





きっと整備をテキトーにやっちゃうことでのアナザーストーリーはあると思うのよ。




そう…


 

何を隠そう、この私もグラウンドでサッカーしてて足首持っていかれた記憶があります。





どこぞのヘボピがピッチング練習で開けた穴ですわ。





今思い出しても忌々しい記憶…ギャ!!って足首曲がったら靭帯がビヨンビヨンに伸びてしまったのよ。





まさかグラウンドにポッコリ穴🕳あいてるなんて思わへんやん。





一撃で数ヶ月間サッカー出来んくなってしもた&一生捻挫感がある生活になってしもたのよね。





でもこれはサッカー側もアナザーストーリー作っちゃってることもあると思うのよね。





たとえばサッカーしてたやつのグラウンド整備がテキトーで、ノックされたボールがイレギュラーして目に当たって眼下底骨折したとかね。





みんな怪我してみりゃグラウンド整備の大切さと怖さがわかるんやろうけど、なかなかピチピチの少年少女にはオジサンの話なんて伝わらないよね。


今日もさぁ蹴ろう!と思ったら、ガッチリええ穴空いてましたわ。



 
我々が練習する前に熱心に練習していたソフトボールを頑張る親子さんでしたね〜。





みんな一緒なんよね。


 
 
怪我してもあかんし、怪我させてもあかんよ。


 

お陰様で穴🕳あいてないか必ずチェックする機能が備わりました。



  

ええグラウンドだけでスポーツ出来たらええんやろうけども、みんながそんな環境やないからね。




 
せやから邪魔くさいかも知れへんけども、ちゃんとグラセンやろーで。っていう話。





ではまた。