どうも。
別れの月でしょうか。
私の周りで沢山の別れがありました。
それは大体が3月くらいに訪れるものかと思っていましたが、偶然にもこの初夏に重なってきております。
その中でも特別なことがあって、「はじめまして。」が、「さようなら。」となるかもしれない人や、実際にそうなってしまった人がおります。
そういう経験を経て、終わりを意識していき、やがて受け入れる準備を整えていくのかもしれません。
人は終わりを意識した瞬間から時間の持つ意味は大きく変わります。
多くの皆さんが近い感覚を経験するのは卒業や卒団や退社など、終わる日程を意識し始めた頃から、仲間や同僚との何気ない時間や煩わしいと思ってこなしていた出来事が、心から愛おしくも感じたことはあるかもしれません。
私は選手にサッカーをやる意味や生きる意味を問いかける時に、みんな必ず死ぬんやし。ある意味では死ぬために生まれてきたようなもん。という話をします。
活字に起こすと仰々しいですが、話にするともっとソフトなんですよ。
でも、俺の言葉にリアリティなんて全然なかった。
本当に死を意識している人の目や、言葉や雰囲気は、口先だけでペテン師のような自分のそれとは違いました。
そんな方達と時間と空気を共にすると、ふと情けなくなったり、悔しかったりしてしまいました。
俺は何もわかっていないな。
本気で生きるには、本当に自分の生命を強く意識しなければ掴めないのかもしれません。
私ももうすぐ37歳。
大体そのまま生きると、あと半分くらいでしょうか。
実は明日も生きるか死ぬかわからない中で、ただいま懸命に「出来ること。」と「やりたいこと。」に取り組み笑いながら生きて死んでいきたいと思うのです。
とりあえず明日も朝から美味しいコーヒー淹れて、プロサッカー選手として活躍出来る人を育ててみます。
ではまた。












