どぅもです。


この度、サルヴァさんにお誘いいただきまして、泉佐野市北中小学校でのトレマッチに参加させていただきました。


主催および会場提供していただきました北中FCの皆さまお招きいただきましてありがとうございました。


まず会場の雰囲気ですが、おおよそ試合をする会場のありふれた雰囲気ではないことを説明したいと思います。


会場に到着すると、笑顔とゆる〜い空気に包まれていました。
試合会場というよりは、週末に子どもが沢山集まる公園のような空気です。
集う大人たちも公園で遊ぶ子ども達を見守る印象でした。
自由に遊んでおいで。といった感覚です。


冒頭に「ありふれた」という言葉をつかいましたが、本来は子ども達を主役に考えるならこうでないといけないのではないかということです。


試合も次から次へと流れていくのですが、各チーム楽しむことと自分たちの好きなことへの表現と、その中でも相手あってことなので、お互いに吸収し合っている印象でした。

試合への大人の介入が少ない。
というか時間以外はほぼ無い。


もちろん、試合後に子ども達へ試合の振り返りやトレーニングで行われていることへの確認や話し合いの司会を指導者が務めるシーンはありますが、いつもの試合会場で聞く大人の怒鳴り声や場当たり的な対処を促す指示は全然聞こえてくることはなく、ピッチ外の子どもの遊ぶ声やその他の物音が会場には響いていました。


自分たちはその環境に珍しさに驚きを感じるとともに、包まれている優しい空気に遠慮なく包まれることにしました。
試合に入ると相手の選手のドリブルの巧さや寄せの速さにも驚きを感じました。

どの形も決して強制されたものではなくて、自分たちのキャラクターやカラーを全面に打ち出していてアクが強かった印象です。


それと…これは深読みし過ぎかもしれませんが、サルヴァさんからのお声がけが偶然でないものとして仮定すると…ひょっとして我々に足りないものを対戦で見せてくれたのではないかというほど、北中さんに「あって」「ないもの」とエストラージャに「あって」「ないもの」がコントラストが逆でした。

エストラージャにあるのは繊細なタッチとボールの持ち方。しかし、切り替えやディフェンス面の寄せの甘さは僕らの弱点です。

北中さんにあるのは素早い切り替えと寄せとスピーディーな崩し。その反面、スピードを上げすぎてボールコントロールが雑になりがちでした。


見事に表と裏でした。
偶然なら素敵な出会いですが、偶然でないなら、すごい策士で粋な計らいです。
また確認してみます。
答えはどちらでもいいのですが、そんなお考えと配慮が出来得る方でないかと勝手に理解しております笑

そして、何よりもサルヴァの子達は我々の良し悪しで挙げた部分も含め全ての面で上回っていました。これも天晴れ。


エピソードはまだ続きます。それだけ刺激が多かったということなのです。駄文が続きますことを許して下さい。


「ダメ」と言い続けると人がダメにするのは皆さん理解されているでしょう。

あれをやっちゃダメ。
これをしちゃあダメ。

ダメダメ×ダメダメダメダメ×ダメダメダメダメダメ×ダメ×ダメダメ×ダメダメダメダメダメ。
しなさいしなさいし731しなさいしなさいしなさい4731しなさいし7さい47さ1しなさいしなさいしな31しなさい


目がおかしくなったでしょう。
ごめんなさい。


ある子達があろう事に学校の体育館にボールを蹴り壁に当てまくっていました。
良く見ると、壁の継ぎ目を利用して、ルールを決めて壁当て遊びを夢中になって2人の子がやってます。

もう壁がドロドロです。えらいことです。

蹴って壁に跳ね返ったボールは時に試合の中に隕石として乱入しています。

それを見た子達は試合が遠くなった時だけやるようにしていました。
でもとにかく相手に勝ちたいのと楽しいので遊びに夢中です。

自分たちの試合の時間になって忽然とその場からピューっと消えました。

泥壁だけが残された後。

年配の方がデッキブラシとバケツを持って壁を洗っていました。
おそらく主催チームの関係者の方だと思います。

でも、誰も怒っていない。
むしろ、これを消すのがわしらの趣味と言って笑っている。

それを聞いた指導者はその子たちにしたらいけない理由を普通に伝える。

こんな寛容は試合会場では見たことない。


なんでも最初からダメと言って、止めてしまうと子どもの表情は消える。

ダメと言われるものだから、心理的にしたくなる。
でもしたらダメと言われる。
だからどこかで水が溢れる。

子どもがダメなことをしたらダメな理由をキチンと説明してあげればいい。
決して感情的にならず、器物損壊の危険性と他人の迷惑という部類の感覚を伝えてあげればいい。
理解できなければ何度も伝えてあげればいい。

いつかはわかる。


この感覚が3種4種サッカーの指導の場でも学校でも家庭でも消えてしまっているのかもしれない。


子どものやることや冒険に大人の方程式をぶち込むと、限りなくゼロに近くてしょーもない解が導き出される。
そして下手したらマイナスの解を生み出す。

大人が彼らにしてあげることは寛容さと客観性を持ってあげることだと感じました。


でもそうするのは怖い。
とんでもない方向に飛んでいくのではないかと。自分が周りから非難されるかもしれない。
また失敗により子どもが悲しい思いをさせてしまうのではないかと。


そこに関しては大人が自信を持った人間性を兼ね備えていたら大丈夫なんだと思う。

社会から承認されたものの自信を大切にするのではなく、自分のやり方や生き方を社会からの影響に左右されることなく、大切にできればいいのではないかと思うのです。


あの会場ではなぜか試合でほぼプレーヤー同士でのセルフジャッジが成立して行われていました。


いつも思うのですが、公正かつ厳正な大人のジャッジが子どもの成長には絶対に必要でしょうか。
性善説や性悪説を問うこと自体がそもそも違うのかもしれないと思うことはないのでしょうか。
みんな子どもの成長の法則を不勉強かつ空気の読めない社会的承認欲と自己有能感に取り憑かれた大人達のクレームにビビりすぎてないでしょうか。


あの会場の子ども達は自分たちの楽しさを守ることによって、ルールを守っていたように見えました。

また子ども達によって、正しさよりも楽しさの重要性を見せられた気がしましたね。


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今のところ、この環境が近くにないことから、遠征するか今ある環境でギリギリを遊ぶか、自分たちで生み出すしかない手段はないのがいろいろと大変ですが、彼らには良い経験を得てほしいと心から思いますので、また親御さんにも選手達にも理解してもらって活動していきたいと思います。


ではまた。