教育の本質って何?
教育は、この世界に、「奇跡の物語を生み出せる力」を持っている。
エッセンシャル出版社の自称・うさぴょん編集員(うさぎ年生まれのウサギ好きです)です。
先月、米国ウィスコンシン州で、黒人の男性が警官に背後から銃で撃たれるという事件がありました。
そのニュースを聞いて、、私は、その根っこの部分に、「教育の問題もあるのではないか」と感じてしまいました。
事件について言えば、その3ヵ月まえにも、ミネソタ州で黒人の男性が警官に拘束されて死亡するという痛ましい事件があったばかりです。こうした状況を受け、テニスの大坂なおみ選手が、試合への出場をボイコット(のちに回避)するなど、全米で人種差別に抗議する大規模なデモが発生するのも当然のことだろうと思います。
1992年に世界的なニュースにもなった「ロサンゼルス暴動」も、きっかけは黒人の男性が白人の警察官から暴行を受けたことでした。
デモや抗議行動がすみやかに行なわれるのは、ある意味、市民の意識がそれだけ高いという側面もあるのだと思います。
しかし、状況はなかなか変わっていきません。
人間の感情の奥深くにある、受容と変容への耐え難い拒絶感が、変化や変革を阻むのだと思います。
じつに根深いです。
差別、あるいは区別の意識というのは、人間であれば誰もが潜在的に持ち得る感情でしょう。それをことさらに嫌悪したり、あるいは擁護したりするだけでは、なかなか状況は変わっていかないのではないかという側面もあるのかなと思います。
「そういうものだ」と受け入れて、自分にも相手にもそれはあるのだと認め合って、その上で折り合いをつけていく道を探していくほかないのではないかと。「それじゃ何も変わらない」と、いわれるかもしれませんが……。
ただし、そういうことを「知らない」のと「知っている」のとでは、そこに大きな隔たりが生じます。
おそらく、差別の根底にあるもののひとつは、「無関心」や「無意識(無自覚)」だからです。
そして、そのことに気づかせ、考えるきっかけを与えてくれるのが、
「教育」が本来なすべきことのひとつではないかとも思うのです。
さて、どうして、この話をしようかと思ったかというと、先日、ある映画をCS放送で観たからです。
■ある新米教師と1冊のノートが生んだ奇跡の物語
2007年の米国映画『フリーダム・ライターズ(FREEDOM WRITERS)』は、ロサンゼルス暴動から2年、LA郊外の荒廃した高校に赴任した新米女性教師エリン・グルーウェル(ヒラリー・スワンク)が、苦難を乗り越え、クラスの生徒たちの意識と行動を変容させていくというお話です。
弁護士試験に合格したエリンは、「法廷で子どもを弁護するのでは遅過ぎる。教室で彼らを救うべきだ」と教師になりました。理想に燃える女性です。
そんな彼女が実際の教育現場で目にしたのは、麻薬、暴力、貧困、そして激しい人種差別がはびこり、白人、黒人、ヒスパニック系、アジア系が徒党を組んで憎しみ合う姿でした。街の在り様がそのまま彼女が担当することになった203教室でも展開されていたのです。まさに、“手に負えない生徒たち”が集められた、吹きだまりのような場所でした。当然、白人女性のエリンは彼らから拒絶されます。
エリンは、あの手この手で彼らの懐に飛び込もうとします。しかし、現実は厳しい。
こんな印象的なシーンがありました。
授業中にラティーノの少年が紙に絵を描いて仲間にこっそり回します。黒人を揶揄(やゆ)するような絵でした。それが黒人少年のもとに回ったところで、エリンがその絵を取り上げて、言います。
「わたしはこんな絵を博物館で見たわ」
それから人種差別について彼女はまくし立てます。
ホロコーストはこんな絵から始まったのだ、うんぬんかんぬん……。
激昂ぎみに語るエリンに、ひとりの生徒が遠慮がちに手を挙げて尋ねます。
「先生、そのホロなんとかって何?」
エリンが、「ホロコーストを知っている人は?」と訊くと、白人の生徒ひとりが手を挙げました。
「銃を向けられたことがある人は?」と訊くと、その生徒を除く全員が手を挙げます。
絶句するエリンを尻目に、生徒たちはゾロゾロと勝手に教室を出ていく――そんなシーンです。
エリンは奮起して、「アンネの日記」を教材として生徒たちに読ませようとしますが、ベテランの女性教師に「予算の無駄」と一蹴されます。はなからエリンの生徒たちを見下しているのです。それでも彼女はめげません。用意したのは、人数分の日記帳でした。もちろん自費です。
「なんでもいいからこれに毎日思ったことを書いて。誰にも見せなくていいから。でも、もしわたしに読んでほしいと思ったら、この棚に入れておいて」と。
その日記帳に書かれていたのは……彼女のまったく知らない世界でした。どこにも出口が見出せずにもがき苦しむ、生徒たちの魂の叫びです。
エリンは、デパートやホテルでアルバイトをしながら資金を捻出し、彼らに本を与えます。
さらに、自費でホロコースト博物館へも連れていきます。
生徒たちは、こうしてエリンに導かれるようにして「命」の尊さについて知り、「知」への欲求を高めていくのです。
彼女はこうして、人種の壁を越えてクラスをひとつにまとめあげていきました。
これは、「教育現場だからこそできたことではないか」と私は思うのです。
こういうお話は、「こんなの絵空事だよ!」と思った瞬間に陳腐化します。
しかし、このお話は事実に基づいて映画化されたものなので、そうはなりません。
あきらめずに、やればできるということを教えてくれます。
エリンは、クラスの出来事や生徒たちが書いた内容をまとめて本にしました。
それが『フリーダム・ライターズ』です。
彼女は現在、自身の教育哲学を広めるために「フリーダム・ライターズ基金」の代表を務めているそうです。
■The Problem We All Live With――私たちみんなの問題
私がPCのスクリーンセーバーに設定している画像のひとつに、『The Problem We All Live With』という絵があります。
アメリカの市民の暮らしを描いた、イラストレーターで画家のノーマン・ロックウェル(Norman Rockwell)が描いた絵です。
白人の大人たちに守られるようにして歩くひとりの少女。壁には黒人への差別用語が書かれ、憎々しげにトマトが投げつけられています。「KKK」(クー・クラックス・クラン/白人至上主義者の団体)の文字も見えます。
この絵のことを知ったのは、もうずいぶん前に読んだ一冊の本からでした。「アメリカ文学の巨人」と呼ばれ、ノーベル文学賞を受賞しているジョン・スタインベックの『チャーリーとの旅』(Travels with Charley)という本で、晩年のスタインベックが愛犬のチャーリーとの旅の様子を綴ったものです。
時代は1960年頃で、この本に描かれているのは「古きよきアメリカ」が変貌を遂げようとする渦中の姿です。いろいろな場所でのエピソードが綴られているのですが、この絵のもとになった、ニューオーリンズでの騒動についても書かれています。
白人だけしかいなかった小学校に、黒人の子どもがふたり通うことになり、それに反対する中年女性のグループが、登下校する子どもに対して毎日罵詈雑言を投げつけました。彼女たちは「チアリーダーズ」などと呼ばれて、その様子を見て喝采を送るために、多くの人びと(もちろん白人)が集まったのです。そのときの様子を描いたのが「The Problem We All Live With」と題された絵です。
この絵には、はっきりと醜悪な事象が描かれているわけですが、白いワンピースに白い靴下と白い靴、白いリボンまでつけた黒人の少女が、背筋をピンと伸ばして真っ直ぐに前を向いて歩く姿には清々しさを感じます。ここに作者の強い意志を感じるのです。
少女が向かっている場所はどこでしょう?
そう「学校」です。
物差しとノートを持った彼女は、勉強をしに学校へ行くのです。
この少女の小さな勇気が、多くの子どもたちに「教育への道」を開いたことは確かでしょう。そのことを忘れないようにしようと思います。願わくば、この女の子がエリンのような先生に勉強を教わっていたらいいなぁ~と思います。
✴︎
教育ジャーナリストのおおたとしまささんが、そ著書『いま、ここで輝く。』の中で、子どもたちの知的好奇心を刺激し、彼らの目をキラキラと輝かせる、カリスマ数学教師・井本陽久先生の授業に触れて、
「教育とは、『何を教えるかより、誰に教わるか』が大事であることを思い出させてくれる」
と書かれています。それは、本当にその通りだなと思います。
そして、同時に、子どもたちを魅了する、様々な知的好奇心の中の1つに、
「私たちみんなが幸せに暮らしていけるためには、何が必要なのか?」
というテーマも入っていてほしいということを、私は願っています。
なぜなら、
教育は、教育こそが、この世の中に、「奇跡の物語を生み出せる力」も持っているのですから。
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