「◎◎しなさい」という言葉は使わない!「子どもを伸ばす親の6カ条」中竹竜二×高濱正伸―前編 | エッセンシャル出版社のブログ

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中竹竜二×高濱正伸―「子どもを伸ばす親の6カ条」前編

 


ラグビーをはじめとするスポーツ界ではコーチのコーチとして、またビジネスの分野ではリーダー育成でも定評のある中竹竜二さん。弊社より、育児についての見解をまとめた、『どんな個性も活きるスポーツ ラグビーに学ぶ オフ・ザ・フィールドの子育て』を上梓しました。


中竹竜二さんと、本書に対談やコメントで登場する花まる学習会代表・高濱正伸さんの対談です。テーマは、「子どもを伸ばす親の6カ条」。この対談の内容を3回にわたって、お伝えします。

前編です!

■中竹さんの幼少時代

 

高濱さん:中竹さんと最初に出会ったときの印象の一つに、言葉がいちいち響くなというのがありました。それから対談をさせてもらったり、中竹さんの著書に登場させてもらったりすることになりました。ところで、中竹さんは福岡県の中間市出身です。最初に中竹さんの小さいころのお話から伺いたいと思います。


中竹さん:ご紹介にあずかりました中竹です。中間市の方がいらっしゃったら失礼かもしれないのですが…僕の生まれ故郷はカオスな町でした。「歩くときは、お金を靴のなかに入れなさい」というような、北九州のなかでも「あぶない」ところでしたね。周りは、みんな不良でした。

このような所で、僕はラグビーに出会うのですが、これが本当にたまたまで、家の前の河川敷のグランドにラグビー教室ができたからなんです。しかも、そのラグビー教室、元々はサッカークラブにするつもりだったそうです。設立の目的は、「あまりに不良ばかりがいてどうしようもないので、スポーツで何かよい方向に持っていけないかと考えたから」。でもサッカーをしたくて集まった人は一人もいなかった。そこで、ラグビーにしたのだそうです。僕が始めたのは、兄がこのクラブに入ったからでした。「喧嘩に強くなるからラグビーをやるぞ」というのが入会の動機だった人も結構いたみたいですし、最初は指導者にもラグビーの経験者はほとんどいなかったですが、今では優秀な選手を輩出するクラブになっています。


高濱さん:それは素晴らしいですね。中竹さんは、小さいときからラグビーで活躍していたのですか?


中竹さん:それが、まったく活躍できませんでした。小さいときから馬鹿にされるくらい足が遅かったですし。せっかくボールを持っても追いつかずで。僕はこれまで、基本的に人にがっかりされるという人生を送ってきてるんですよ。

でも、ボールを持っていないときは、活躍をすることができました。子どもだと10人くらいでプレーするのですが、ボールを持っている人が捕まったり、体の大きい敵が向かってきたときなどは、僕が率先して守ったりしました。小さいころから、ボールを持って活躍することはなかったですね。


高濱さん:それがラグビ―のいいところですよね。誰にでも活躍の場があるという。野球とかだと、「うまさの基準」が決まっている感じがありますよね。


中竹さん:そうですね。日本で運動能力の高い人は、野球に流れていく傾向がありますよね。僕が小中高とラグビーをしていたなかでも、同世代で本当に運動能力のいい子は、ラグビーにはいなかったと思います。これが、僕にとっての幸いでした。

さらにいうと、僕はラグビーのなかでも、とりわけ取り得のない選手が集まる「フランカー」というポジションにいました。フランカーをやっている人は、おそらく頷いてくれると思いますけれど…。フランカーは、背が高いとか、足が速いなどの特長がない人がなるものです。優秀な人は、フォア―ドやスタンドオフなどに行きます。でも、こんな中途半端なポジションにも、今では、リーチ・マイケルなどの優秀な選手が出てきていて、僕らからすると「こんなポテンシャルの高い人がこのポジションでいいのか?」といった感じですよ。なにはともあれ、ラグビーは誰にでも「生きる道」を残してくれているんです。

フランカー
スクラムの側面にいて、攻めたり守ったりするのが仕事です。フランカーの最大の特徴は、スクラムからすぐに離れることができるということ。ナンバーエイトもすぐに離れることができますが、スクラムの最後尾にいるためフランカーよりは相手との距離があります。相手のサイド攻撃などを止めるのは、フランカーの大きな役割になるわけです。
(引用先)
https://www.wasedaclub.com/blog_detail/blog_id=11&id=14


高濱さん:僕は、今日ラグビーのユニフォームを着てきましたけど、ワールドカップの時はすごかったですよね。


中竹さん:ありがとうございます。


高濱さん:密も密の状態で、大声を出して熱狂できた最後のシ―ズンでしたよね。もはや懐かしいですよ。

僕は「ラグビーはすごいな」と思いましたね。野球とは全く違う思想性が伝わってきましたし。中竹さんとお話して、「やっぱりな!」と思ったのは、スポーツのエリートだけが活躍するのではなく、各々の個性が集まってひとつになるということ。


中竹さん:面白いですよね。パズルのピースが集まっているみたいで。


高濱さん:ボールにさわらないまま試合が終わる選手もいますし。他の競技では考えられませんよね。話が戻りますけど、中竹さんは小学生のころは、どういう子どもだったのですか。勉強はできたのですか?


中竹さん:僕は、小さいときから勉強はそんなにできなかったです。あとで分かったことには、読字障害でした。話している分には普通なのですが、国語の授業の音読で文が読めなくて笑われました。悔しくて、小学2年生の時に、母親に真剣に相談したことがありました。ところが「私もそうだよ」と軽くあしらわれまして…。


高濱さん:それも何か「九州の母」らしいですね。


中竹さん:そうですよね。思えば、うちには本が一冊もなかったです。親が本を読む姿も見たことないですし、「字のない家」だったのですね。

 

文が読めないことを担任の先生に相談したら、「努力が足りない」と言われました。そこである時、徹夜で教科書の文章を丸暗記しました。翌日の国語で僕があたったときは、「よし!名誉挽回するぞ!」という気持ちだったのですが、ちゃんと読めた僕に対して、先生も友達もまったく何のリアクションもしてくれなかったのです。僕としては最高の舞台に立ったつもりだったのに、ですよ。そのときに一晩考え、「人に何かを期待するのはやめよう」という結論に達しました。これをきっかけに、わりと「冷めた」人間になっていった気がします。

 

ただ、この時考えたことがもう一つありました。「人の5倍くらいの努力をすれば、平均くらいまではいけそうだ」ということです。「人生長そうだけれど、仕方ない。人より努力しよう」と覚悟を決めました。ラグビーでも、走る練習をしたりして努力しても、特に短距離なんかは、なかなか人に追いつけないですし、器用なほうではないので、できないこともたくさんありますが「僕は、人より努力しないとダメな人生なんだ。努力するしかない」と、そう思いましたね。


高濱さん:なんてすごい子どもでしょう。もうすでに大分違いますね。「俺なんか」とならなかったのが、すごいですよね。「努力」という、人生にとって大事な要素についての確信を持てたのはよかったですね。潰されてしまうこともあるのに、潰されなかったのですね。ところで、お母さんはどういう方だったのですか?


中竹さん:そうですね、よく「どう育てたのか」と聞かれたりもするそうですが、母は、「子どもを育てた記憶は一切ない」と言うのですよ。父もそうです。

僕の家では、「~しなさい」というような教育的しつけが一回もありませんでした。怒られた記憶もありません。父親は、教育的な意味ではなく、殺気を発しているというような意味で「怖い人」でしたね。理不尽なところもありました。寝っ転がってテレビを見ながら、「おーい!ティッシュ取れ!」などと言ってきましたからね。逆らえませんから、遊ぶ手を止めて言われた通りにしていました。


高濱さん:これはもう、東京のお父さんには考えられないような世界ですね。お父さん(の存在)が怖いというのは重要ですし、ひとつの理想だと思いますよ。「~しなさい」という言葉を言われたことがないというのも、中竹さんの成長にとって大きな要素ですよね。


中竹さん:父も母も必死に働いていました。決して裕福ではありませんでしたが、ご飯はちゃんと出してくれましたね。子どもに対して、勉強について口を出したり、礼儀作法を教えたりする余裕がなかったのかもしれないですね。


高濱さん:ご兄弟は何人ですか?


中竹さん:兄と弟がいます。3人兄弟の真ん中です。うちは、「おはよう」や「ありがとう」などの挨拶もありませんでした。朝起きていれば「いる」とわかるのだから、挨拶はいらないよね、という暗黙の了解のようなものがあって。何かをしてもらったときに、感謝の気持ちをお互いに持ってはいるものの、わざわざ言葉にはしないというような、そういう感じでしたね。


高濱さん:思えば、うちもなかったかもしれないです。「他の家族は “おはよう” って言うんだ」と聞いたときに、兄弟で「おかしかねぇ」と言っていましたよ。「家族で挨拶ばすっと?」と。


中竹さん:へー!そういう雰囲気だったのですね。


高濱さん:中竹さんのご実家もこのノリに近いかもしれないですね。今は基本的には「挨拶大事」って僕も言いますけどね家族がゆるくても、押さえるべきところを押さえていれば、育つものは育つということを、皆さんに感じてもらえるといいなと思いますね。でも、親の愛情を疑ったことはないでしょう?


中竹さん:それはないですね。
 

■土の感じが自分のキャラにもぴったり―ラグビーの名門大学へ


高濱さん:そうですよね。中学では何の部活でしたか?


中竹さん:中学にラグビー部はなかったので、部活はサッカー部、週末にラグビーをしていました。サッカー部ではキーパーでした。走れないですしね。


高濱さん:キーパーって、少年にとっては憧れの一つですよね。「横っ飛びでゴールを守るのがカッコいい」というような。


中竹さん:僕は、横っ飛びとかをして土まみれになるのが結構得意でした。ラグビーでも僕は土まみれですし、土の感じが自分のキャラにもぴったりです。高校は、地元で一番ラグビーの強い高校に行きました。


高濱さん:東筑高等学校ですよね。あの文武両道の。この学校はすごい人を輩出していますよね。中竹さんもそうですし。

中竹さん:あと、高倉健さん。


高濱さん:高倉健さんもなのですね。これはまた大きいですね。


中竹さん:仰木彬 監督(昭和30年代の西鉄ライオンズ黄金時代に正二塁手として活躍し、引退後は西鉄、近鉄、オリックスのコーチ・監督を歴任した)も、ですよ。


高濱さん:「仰木監督の佇まいこそが東筑―!」ですね。高倉健さんは、いろいろ勉強してみた結果を持って「こうしなければならない」とか言ったりするタイプではなかったですよね、きっと。


中竹さん:もう一言「任せる」でしたね。あとは、平野啓一郎さんも同窓です。


高濱さん:素晴らしい学校ですよ。中竹さんは、ラグビーで早稲田大学に引っ張られるのですよね。


中竹さん:早稲田に引っ張られたというより、ぎりぎり引っ掛かりました。実は、高校3年生でラグビーはやめようと思っていました。6歳からラグビーを始めて約10年が経ち、体もぼろぼろでプレイヤーとしても限界。これ以上、上に行けないなと思っていました。

それで、福岡県で優勝して、全国高等学校ラグビーフットボール大会に行けば、とりあえず、僕のラグビー人生にピリオドを打つことができると思ったのです。ところが、ベスト8で軽く負けました。学校推薦で受ける大学も決まっていたのですが、その面接の日が準決勝と重なっていまして、「ラグビー人生にピリオドを打つ」ことを優先させた結果、この推薦入試を断りました。学校推薦ですから、受ければ受かったのですけれどね。ところが、準決勝どころか準々決勝で負けてしまったわけです。進路先もなくして、ラグビーの試合もその先に行けなくなってしまって。ここから受験勉強をして、何とか現役で地元の福岡大学に合格しました。ところが、入学したのはいいものの、「何かこのままいくと後悔するぞ」と思ったのですね。「もう一度ラグビーがやりたい」と。それで仮面浪人をすることにしました。


高濱さん:なるほど。やめたらフツフツと、ラグビーへの思いが湧き起こってきたのですね。それで早稲田大学に無事合格したのですね。


中竹さん:はい。でも僕は、元々早稲田大学にはあまり興味がなくて、明治大学に憧れていました。ところが、先輩がたまたま、「明治大学はラグビーで一番すごい大学だ。お前が行っても、箸にも棒にもかからないぞ。だからやめておけ。早稲田大学なら何とかなるかもしれない」と言うのです。それで「だったら早稲田だ」と進路を変更しました。
 

■ボイコットを経て大学ラグビーのキャプテンに


高濱さん:素人目で見ても、早稲田は強いけれど、「時々強い」というイメージがありますよね。


中竹さん:確かにそうですね。一年仮面浪人をしているので、体も衰えきっていますし、もともと関節が弱いしケガだらけだしで、早稲田大学では、3年生まで一度も試合に出られませんでした。僕はこれまで全身麻酔の手術を7回やっているんですよ。本当はラグビーをやってはいけない体だったのでしょうね。ケガにしても、“名誉の負傷”とかではなく、ただ一人で走っていてコケる、ということから負ったものばかりで、医者にもケガの理由を言えなかったです。「一人で走っていて転んで」と言ったら「え?ありえないだろう?!」とか言われてしまうので……。


高濱さん:「ラグビ―部でケガした」って言ったらかっこいいのに。


中竹さん:こんな様子でしたから、3年生まで一度もレギュラーになれなかったです。なのに、4年生でまさかのキャプテンに選ばれて。これは、上の学年の部員と幹部、監督で決めるのですが、前代未聞なことに、これに僕の代全員がボイコットしました。この時の監督は、このボイコットに対する抗議の意味で監督を辞めてしまいました。監督不在です。先輩の幹部も僕がキャプテンになることに抗議してバトルをしているうちに、卒業していく…という有様でした。大学からもOB会からも「お前がやめるって言えばいいんだ」と散々言われました。でも僕としては、立候補もしていないですし、推薦されただけなので、「僕の同期(推薦した人たち)を説得してください」と言って冷静に立ち振る舞いました。そうしているうちに、自分たちの代になったので、僕がキャプテンになりました。でも、監督がいないので、僕がいろいろな人に会いにいって監督を決めました。


高濱さん:なるほど。それで、この代は強かったのですか?


中竹さん:周りからは、「この代は本当に弱い」と言い続けられていました。僕がキャプテンなので、尚更そう言われたのですが、何故か、全部接戦で勝利していくんです。決勝まで行って、明治大学に認定トライで負けました。
 

認定トライ
ディフェンス側の重い反則がなければトライになっていただろうとレフェリーが認めた場合に、オフェンス側に与えられるトライのことを言います。
参考
https://sposhiru.com/84640#-1


高濱さん:へー!それかっこいいですね。お話を聞いていると、「弱い人がたまたま…」とも思えますが、でも、仲間からキャプテンに推薦された時点でなにか良いところがあったわけですよね。それは何だったのでしょう?


中竹さん:おそらくなのですが…。プレイヤーとして僕に期待する人は誰もいなかったと思います。僕が皆から言われたのは、「お前がチームにいると自分たちの力が出しやすい」ということでした。ファシリテーションというか、モデレータというか。


高濱さん:話を聞くのがうまいとか?


中竹さん:そうですね。物事を決めるときに、自分が決めるということはあまりなくて、皆の言い合いを制して意見を整理するような立場でしたね。1年生のときからそうでした。僕の同期も30人、40人といましたが、1年生がするべき仕事をサボったりするんですよね。ですから、一応僕が皆を集めて「これとこれをしなければならないよね。」といったようなお世話役をしていました。


高濱さん:なるほどなるほど。ラグビーはからっきしだけれど…という。


中竹さん:そうです、そうです。


高濱さん:ちなみに、最後の早明戦は出られたのですか?


中竹さん:はい、出ました。


高濱さん:3枚目とうか、ダメ人間を装っていらっしゃいますが、すごいじゃないですか。


中竹さん:ダメ人間そのものですけれどね。

高濱さん:いやいや、決勝に出ているという時点で、選手としてもすごいですよ。


中竹さん:決勝のときはドクターストップぎりぎりでした。いま、試合前にキャプテンがコイントスをするのですが、僕のころはじゃんけんでした。実は、僕は指4本に脱臼癖があって。指一本ずつを独り立ちさせられないので、隣の指と一緒にテーピングしていました。だから、じゃんけんはグーかチョキしか出したことなくて、僕に負けた選手は一人だけでした。包帯を巻いてラグビーをしている感じでしたよ。


■イギリス留学と名監督からの推薦―全日本の監督に


高濱さん:全日本(U20)の監督には、どういう流れでなったのですか?


中竹さん:ラグビーは一度大学で終わりにして、まったく何の当てもなくイギリスに留学しました。英語を学んだりはしましたが、他に何もしないでは帰れないと思って、無理やり人類学と社会学を学んで3年半かけてマスターを取りました。すごく勉強になりましたね。それで帰国して三菱総研に入りました。
 

ここで5年間サラリーマンをやっていたら、母校・早稲田大学のあの名監督、清宮さんから電話が突然かかってきました。僕も「清宮さんが監督になってから、強くなったな」と思っているところでした。清宮さん、こう言うんです。「僕の次の監督候補にお前をあげておくから考えとけ。今度メシ食うぞ」。僕としては、「何故?これはドッキリでしょうか」状態ですよ。清宮さんが「考えとけ」といった場合、ほぼほぼ命令ですからね。これはありがたく受けました。この時言われたのは「サラリーマンをやめて、監督に100%専念しろ」ということでした。そして、「働き口はない。これはボランティアだから自分で稼げ」「だめだったら1年で終わりだから」と。相当無茶ですよね。僕より後の監督は、給料が出るようになるんですけど、僕の時にはなくて、OBの会社が支援してくれていました。


高濱さん:選手からみたら、清宮さんという大スター監督が推薦した人なのか…という感じだったでしょうね。


中竹さん:ですね。しかも僕は指導したことなかったのでびっくりですよ。会社で例えると、働いた事のない新入社員がいきなり社長になるようなものです。僕はこのとき32歳でしたから、全然、社会人経験もなかったですし、ラグビーをやめてから10年は経っていました。それなのに、日本一の監督を突然任されたのです。


高濱さん:清宮さんの意志のありどころが謎ですね。中竹さんのどこを見込んだのでしょうね。清宮さん、何かおっしゃっていませんでしたか?


中竹さん:一つは、「俺より若い世代でチームを作ったほうがいい」ということでした。それは「確かに」と思いましたね。僕も同期も30~31歳くらいでしから、体も元気でまだ現役で頑張っている人もいて、このくらいの若いOBが部を支えるというのが大事だと。それから「お前の(ラグビーの技術においての)指導力はそんなに期待していない。指導できるヤツを集めてやれ」と。


高濱さん:清宮さんは中竹さんを調整役として見ていたのでしょうか。


中竹さん:そうですね。そう見ていたみたいですね。でも人によっては違うことを言っていたみたいですね。「中竹はサラリーマンをやっていて、もし結局監督がだめでもコンサルか何かになれるだろう。だから選んだんだ。」とか。

つづく

お二人の対談は、中編に続きます!

 

 

―中竹竜二( Nakatake Ryuji )

 

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株式会社チームボックス代表取締役
日本ラグビーフットボール協会理事

1973年福岡県生まれ。早稲田大学卒業、レスター大学大学院修了。三菱総合研究所を経て、早稲田大学ラグビー蹴球部監督に就任し、自律支援型の指導法で大学選手権二連覇を果たす。2010年、日本ラグビーフットボール協会「コーチのコーチ」、指導者を指導する立場であるコーチングディレクターに就任。2012年より3期にわたりU20日本代表ヘッドコーチを経て、2016年には日本代表ヘッドコーチ代行も兼務。2014年、企業のリーダー育成トレーニングを行う株式会社チームボックス設立。2018年、コーチの学びの場を創出し促進するための団体、スポーツコーチングJapanを設立、代表理事を務める。
ほかに、一般社団法人日本ウィルチェアーラグビー連盟 副理事長 など。
著書に『新版リーダーシップからフォロワーシップへ カリスマリーダー不要の組織づくりとは』(CCCメディアハウス)など多数。

2020年、初の育児書『どんな個性も活きるスポーツ ラグビーに学ぶ オフ・ザ・フィールドの子育て』を執筆。

 

『オフ・ザ・フィールドの子育て』の紹介
本書では、「多様性」というキーワードに着目し、それを独自に育んできたラグビーに学ぶことで、子どもたちに多様性を身につけてもらえる、子育てをよりよくできるのではないかと考えました。教えてくれるのは、「コーチのコーチ」をしてきた“教え方のプロ"である中竹竜二氏

さらに、花まる学習会を主宰する高濱正伸先生から、著者の考えに対して、
「子育て」や「学び」の観点から、適宜コメントを入れていただきました。
また、巻末にはお二人の対談を掲載し、ラグビーに学ぶことの意義についてご紹介しています。改めて「ワンチーム」という言葉の意味や、ラグビーが大事にしてきた「オフ・ザ・フィールド」という考え方を知ることで、わが子の個性をどのように活かしたらよいかを考えるきっかけとし、わが子が実際に輝ける場所を親子で一緒に見つけてほしいと思います。

“サンドウィッチマン推薦! "
ラグビーがなかったら、いまの俺たちはいなかったと思う。
「中竹さん、ラグビーから学んだことは、今に活きています! 」

 

 

 

 

―高濱正伸( Takahama Masanobu )

 

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花まる学習会代表
NPO法人子育て応援隊むぎぐみ理事長
算数オリンピック作問委員。日本棋院理事


1959年熊本県人吉市生まれ。
県立熊本高校卒業後、東京大学へ入学。
東京大学農学部卒、同大学院農学系研究科修士課程修了。

1993年、「この国は自立できない大人を量産している」という問題意識から、「メシが食える大人に育てる」という理念のもと、「作文」「読書」「思考力」「野外体験」を主軸にすえた学習塾「花まる学習会」を設立。1995年には、小学校4年生から中学3年生を対象とした進学塾「スクールFC」を設立。チラシなし、口コミだけで、母親たちが場所探しから会員集めまでしてくれる形で広がり、当初20名だった会員数は、23年目で20000人を超す。また、同会が主催する野外体験企画であるサマースクールや雪国スクールは大変好評で、年間約10000人を引率。
各地で精力的に行っている、保護者などを対象にした講演会の参加者は年間30000人を超え、なかには“追っかけママ”もいるほどの人気ぶり。

障がい児の学習指導や青年期の引きこもりなどの相談も一貫して受け続け、現在は独立した専門のNPO法人「子育て応援隊むぎぐみ」として運営している。

公立学校向けに、10年間さまざまな形での協力をしてきて、2015年4月からは、佐賀県武雄市で官民一体型学校「武雄花まる学園」の運営にかかわり、市内の公立小学校全11校に拡大されることが決定した。
ロングセラー『伸び続ける子が育つお母さんの習慣』ほか、『小3までに育てたい算数脳』『わが子を「メシが食える大人」に育てる』『算数脳パズルなぞぺ~』シリーズ、『メシが食える大人になる!よのなかルールブック』など、著書多数。関連書籍は200冊、総発行部数は約300万部。

「情熱大陸」「カンブリア宮殿」「ソロモン流」など、数多くのメディアに紹介されて大反響。週刊ダイヤモンドの連載を始め、朝日新聞土曜版「be」や雑誌「AERA with Kids」などに多数登場している。
ニュース共有サービス「NewsPicks」のプロピッカー、NHKラジオ第一「らじるラボ」の【どうしたの?~木曜相談室~】コーナーで第2木曜日の相談員を務める。