海のあるなし | 上原和音の似非随想 -Esse Essay-

上原和音の似非随想 -Esse Essay-

心に浮かぶよしなしごとをそこはかとなく書き連ねるつもりの、エッセイじみた企画をば。あやしうこそものぐるほしけれ。

この前、横須賀に行く用事があったので、せっかくだからということで横浜にも行って参りました。

羽田空港からバス1本、30分で横浜駅という便利さ。

中華街ももちろん行きましたが、印象的だったのは山下公園という非常にでかい公園でした。

何が印象的って、海ですよね。

いや、正確に言えば湾だったり港だったりするのかもしれませんが、海岸というものがない街に住む上原の眼には、それは紛うことなき海なのでした。


素晴らしい景色にしばし猛暑を忘れつつ、海があるというのはなかなかにそれだけで街のパーソナリティになるよなぁと思いました。

海というのは川などの終着点であると同時に他の世界への出口であって、また他の世界が入ってくる入り口でもあります。

その海に港という設備を構える街というのは、必然的に他に開かれた街になるわけで、それに伴ったある種独特の雰囲気が、横浜にはありました。



……。



何かさっきから文章がうまくない。

まぁうまく書けないけれど、とにかく、外との接点を潮の匂いとともにひしひしと感じるというのは、上原にとって新しいフィーリングであったということです。


横浜、いい街でした。また行きたい。

ただ、上原の地元に海がないとはいえ、上原は自分の生まれ育った街をこよなく愛しております(何のアピール)。